穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

68:自称フリーのノンフィクションライター

2020-02-24 08:59:37 | 破片

 騒ぎに気が付いてママが飛んできて男の体に取りすがらんばかりにして「竜ケ崎さん、竜ケ崎さん」と絶叫した。「どうなさいました!」
男は答えるどころではない。その顔は腐ったブドウのような暗赤色に変わった。顔の体積は120パーセントぐらいに膨らんできた。

『ママの亭主かな、それなら竜ケ崎さんなんて言うはずがない。パトロンなのかな』と第九は腹の中で想像をめぐらせた。
ママはレジの女の子に向かって「救急車を呼んで」と絶叫した。ママはそれからハッとしたように気が付いて「上の先生も呼んできて」と命令した。別のウエイトレスが部屋を飛び出していった。

「どうしたんですか」と彼女は一座に詰問した。JHが「どうも葉巻の煙に噎せたみたいだ」
彼女はまだ葉巻を咥えたままの長南を見た。彼女はなじるようなママの凝視線を浴びると我に返ったようにビクッと体を固くしたが、やばいと思ったのだろう、いきなり店を飛び出した。固い皮底の中ヒールが廊下の床を遠慮会釈なく叩きつける音が響いたがだんだん音が遠くなった。彼女はビルを駆け下りて道路に飛び出したらしい。阿部定のように太い葉巻を咥えて道路を疾駆する若い女に通行人は驚いたにちがいない。

 まず診療所の若い先生が道具箱を携えて店に入ってきた。35歳くらいの男性である。悶絶する男を見た。「どうしたんです」というとママが葉巻の煙に急に噎せたそうですと説明した。医師はすぐに注射器を取り出してまず注射をした。そこに救急隊員がどかどかと入ってきた。

 男の咳の間隔はだんだんと間遠になってきた。

顔色は今度は蒼くなった。膨らんでいた顔はしぼんできて猿のような表情になった。
救急隊の隊長らしいのが、どうしますかと医師に聞いた。
「大丈夫でしょう。しばらく休ませれば落ち着くと思います」
「搬送しますか」
医師はしばらく思案していたが、「いや上の診療所にベッドがあるからそこでしばらく休ませましょう。ストレッチャーを貸してもらえますか。まだ一人では歩けそうもないから」
竜ケ崎さんと呼ばれた男は救急隊員が持ってきたストレッチャーに載せられて運ばれていった。ママが付き添って上に行った。

 戻ってきた彼女に「お知り合いだったんですか」とEHが聞いた。
「ええ、最近同じマンションに引っ越してきたかたです」
「なにか芸能界の人のようですね」とCCがいうと「いえ、軍事評論家だそうです」
皆が意外そうな顔をしたので、彼女は続けた。「なんでもフリーのルポライターだそうですよ。軍事関係のほうの専門らしいです。大変なことになってしまって。たまたまこのお店のことを話して近くをご通行の時にはお立ち寄りくださいってこの間ご挨拶をしたんです。早速来ていただいたのにこんなことになってしまって」と彼女は困惑気味につぶやいた。

 



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