穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

29:Disorder、精神病とOSの場合

2019-09-23 08:14:09 | 破片

 生理学的にと言うか生物学的というか、そういうアプローチは精神医学では皆無なんですか、と第九が疑問を呈した。

「もちろんあります。しかしね、なかなか決め手がないんですね。脳に器質的な変化があるというケースは少ない。細菌とかウィールが見つかるわけじゃない。癌みたいに器質的な変化が見つかるわけでもない。勿論脳腫瘍というのはありますよ。だけどこれは精神病ではない。ふわふわしていて原因が分からないから宗教に頼るように哲学に頼るような気持ちですり寄るんですな。だから決定的にこの流派が正しいという論拠は求めようとしてもできない。たまたまこの流派でやってみたらら症状がよくなった、それも複数回あったなんてなると、その流派が流行るわけです」

「なるほど、実際には精神分析でもフロイト一辺倒ではないし、ラカンとかユンクとが多数の流派がある。現象学といっても複数の流派があるしね」

「精神医学では薬物療法というのはあるんですか」と女主人が聞いた。

「もちろんあります。どうにも患者が始末に負えなくなるとやたらと薬物を投与する傾向がありますね」

「それは流派によって違うんですか」

「いや同じですよ。向精神薬とか鎮痛薬とかまるきり正反対の薬を投与する。すぐきかなくなるからどんどん薬量を増やして本当の廃人にしてしまう」

  橘氏の深刻な話に一座はシーンとしてしまった。その沈黙を破るように彼は言った。

「精神疾患は、最近は精神病と言うのは禁句のようだが、英語ではMental Disorderといいますね。Diseaseとは言わなくなった。日本語で言うと失調というのかな」

「統合失調症とか訳の分からないことを日本でも言うようになりましたね」と第九が言った。

  たとえですがね、と橘氏は続けた。「たとえだから文字通り受け取られると誤解されるかもしれないが、パソコンのトラブルに喩えるんですよ。Diseaseというのは部品がぶっ壊れた状態ですね。電源がいかれたとかコンデンサーが機能しなくなったとか、ディスプレイが壊れたとかね」と言うとグラスの水を口に含んだ。

「Disorderというのはハード的に正常でもオペレイションがスタッグする場合かな」

「どういうことですか」と長南さんが反問した。

橘氏は眼をすぼめて彼女をみた。

「立ち上げる場合に一番多いが、途中で動かなくなることがあるでしょう。先月買い替えたばかりなのにもう壊れたと青くなってメーカーのサポートに電話すると、まず勧められるのが、電源を切ってもう一度やり直してくださいというと思います。それで言われたとおりにやると今度は最後まで通る。通らない場合はもう一、二度同じことをするとたいていの場合は正常に動くでしょう」

長南さんは橘氏の顔を睨みつけるようにして聞いている。きっと先月パソコンを買ったばかりなのだろう。かれは長南さんをちらっと見ると

 「起動する場合が一番多いが、作業中にも時々スタッグすることがある。間違えて別のところをクリックした場合とか、無遠慮に断りもなく広告が表示された場合なんかよくおこる。こういう場合にもう一つ前に戻ってやり直すと動き出す。それでもダメなら電源を落として最初からやり直すといい」

 「それはパソコンの欠陥でしょう。そういうことが頻発するのは」と下駄顔が訂正しようとした。

「diseaseというのですか、しかしハード的には問題ない。やり直せば通るから。こういうのをまあdisorderとしますかね。パソコンの場合はリセットするか、やり直せばいいが、人間の場合はそうもいかない。電源を落としたりリセットするというのは『殺す』ということですからね」橘氏はどうだ、分かったかと言うようにみんなを見返した。

 禿頭が聞いた。「電気ショックというのがあるらしいが、あれはリセットの一種じゃないのか」

「ごく軽い疑似リセットですね。きく場合も少しはある。本当のリセットではないから」

  しかし、と第九は吹っ切れないように「どうして頻繁にパソコンはスタッグするんだろう。昔はそんなことは少なかったような気がする」

「いや、いい疑問ですね。夏目さんがパソコンを始めた時のOSのバージョンは何でした。Window95あたりかな」

「まさか、もう少し後ですよ。そうするとOSの責任なんですか」

「そのとおり」

 


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