世間(文壇)のキーワードは私小説作家
オイラのキーワーズは、不愉快作家、落語のまくら(ただし半世紀以上前)、そしてドストエフスキーである。
ワタシがWikipediaの私小説作家のリストに賛成できないことは前に述べた。私が私小説作家として思い浮かべるのは葛西善蔵、嘉村磯多、川崎長太郎あたり、それに一部の田山花袋の小説である。
それも常識としてである。つまり作品を読まずに世間のイメージを受け売りしているということ。葛西、嘉村、川崎の小説は一、二読んだ記憶がある。川崎氏の小説は雑誌かなんかだったがで読んだと思うが、いずれも内容はまったく記憶にない。ま、そんなもんだ。
不愉快作家というと志賀直哉を思い出す。志賀、西村両氏を不愉快なる言葉で括るのは、生い立ちは対照的であっても、キー・ムードは不愉快の一語である。それも不条理に突然襲ってきて作者の全身全霊を捉えてしまう。西村氏はこのブラックアウト(あるいはフラッシュバック)状態を表現するのがうまい。
読者は何故だか分からない。それでも西村氏は現代作家であるから一生懸命説明しようとするがそれでもよくわからない。不愉快(生理的に言うと吐き気、行動で言うとDVなどの肉体的暴力)モードは「実存」(懐かしい言葉だ)の根源的なモードではある(ショーペンハウアー参照)。
次回は落語のまくらと西村賢太