いつも四時ごろになるとソワソワしだして、帰る第九が悠々とダウンタウンのソファに
腰を落ち着けているのを不審そうに見て卵型禿頭老人が揶揄い気味にきいた。
「夕食を作らなくていいんですか」
「今夜は外食デートかしら」と女主人が首をかしげて聞いた。
「ワイフはアメリカに出張中でね。夕飯はどこかで食べるつもりです」
「ほう、それはいい。鬼のいない間に命の洗濯ですね」と下駄顔が言った。
「いつまでご出張なんですか」とクルーケースが尋ねた。
「あとひと月ほどです」
「まあ、随分長期なのね」と奥さんが呟いた。
「うらやましいな」
「それでは存分に羽が伸ばせますね。なにか計画でもおありですか」とクルーケースがうらやましそうに野卑な笑いを浮かべた。あるなら付き合おうという気配を見せた。
「あとで焼き鳥でも食いに行きましょうか」と下駄顔が誘った。
「いいですね。たまに暇が出来るとバカにいいことがあるような期待があるんですよね」
「ところが実際に暇が出来ると暇を持て余すようになる」と下駄顔が注釈を加えた。
「その通りですよ。だけどそれは我々が老人だからもしれないな。あなた方若い人はそんなことを考えないでしょうな」と卵型ハゲがクルーケースの男を見ながら付け加えた。
「ご老人たちは暇をどうしてやり過ごすんですか。失礼だが勿論働いていらしゃるようにも見えないし」
「それが我々老人には大問題でしてね。これがばあさんたちならみんな同じことをするから問題はないんだが、我々多少教養がある老人には難しい」
「まあ」と多小非難の混じった間投詞を発したのは美人の女主人である。「それで『ばあさんたち』はどうして暇をすごすの。わたしもまもなくばあさんになるから参考までにうかがっておきたいわ」
「決まってまさあ、数人のばあさんが寄り集まって飯を食うんでさあ。そしてそれぞれの病院通いの話をさも深刻なことのように順々に話すんでさあ」
「ばあさん版饗宴だね」とハゲ老人。
「そういう光景を見ると一体旦那はどこにいるんだろうと不思議だね。後期高齢者のばあさんが群れをなして定食屋にたむろするんだからね」
「亭主たちはみんな先に死んじゃったんだろうね。だってその年齢でダンナたちが勤めに出ているとは考えられない。また、いくらなんでも亭主に留守番させて女房たちが外食に群れるとはいくらなんでも考えられない」
「それで年金で外食に群れるんだろうね。年金制度も悪用されているんじゃないの」
「まあ、それは言いすぎですよ」と女主人は非難がましく明眸を見開いて老人たちを優しくにらんだ。
「それであなたはどうして暇を過ごすんですか」と逆襲に転じた。
「ヒマは退屈をもたらし、退屈は死に至る病なんですな。痴呆にいたる病でもある。絶望は鬱病に至る病かもしれないが死に至ることはまれだ。それで私は最近はプラトンを読んでいる」と下駄顔は橘さんを見た。