穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アウトサイダーに巡り合う

2020-10-09 09:57:50 | 破片

 といっても知己ではない。コリン・ウイルソンはもう昔の名前である。ひところは新作が出るたびに書店の店頭を賑わしたものであるが、最近はとんとお目にかかれない。それですっかり忘れていたが、先日書店巡察の途次棚にひっそりと並べてあるのに出会った。中公文庫「アウトサイダー」上下二巻である。

 私も昔彼の本を何冊か、たぶん二冊ぐらい読んだ。この「アウトサイダー」と言うのはひところは「実存主義」と同じくらい流通した言葉であった。しかし私は当時もこの本は読まなかった。とくに理由はない。たまたまそういうめぐりあわせだったのだろう。現在私の書棚には彼の「オカルト」上下二巻が残っている。読んだ本は処分してしまう私にしては何となく捨てるのを躊躇っている本(文庫上下二冊)である。

 彼の著作の特徴らしいが、テーマについて広範、多数の引用があるので、後々検索用の文献として使うこともあるかな、ということで廃棄を免れている。もっとも、実際に利用したことは記憶にないが。引用が正確であるか、各個の解釈が適切であるかどうかは専門家ではないから評価できない。評者によっては問題を指摘しているらしいが。正しくなくても、間違っていてもいいではないか。読んだあとで本当かなと調べればいいことだ。とにかく索引の第一段階には役にたつ。

  奥付を見る。単行本翻訳の初版は1988年であるが、中公文庫の初版は2012年であり、2017年に再版とある。今手元に取ったのはこの再版である。やはり流行ではないのだろう、売れていないようである。あとがきで見ると、やはり多数の作家、思想家?の引用があり、彼の論旨は50ページに纏められるが、引用で500ページになったとある。相変わらず「オカルト」と同じ手法らしい。それで索引になるかと贖った次第であった。

 中を眺めてみるとなるほど、多数の引用がある。中には名前を知っていて読んだことのあるドストだとか、ニーチェ、カミュ、サルトルほかがある。名前を知っているが読んだことがないのもある。初めて聞く名前も多数ある。なるほど、知っている名前からの引用はともかく、彼が与えている解釈は何とも言えない。しかし、これを見てそれらの作品を再読しようかなという気になった。

 画家のゴッホがある。舞踏家のニジンスキーがある。どうやって論じるのかと思ったら、彼らの日記とか手紙とか伝記から迫ろうというようである。「アラビアのロレンス」まで詳細に論じられているのには驚いた。ロレンスは第一次大戦でアラビアのベトヴィンの部族と一緒に参謀として指揮官としてオスマントルコと戦った人物である。テロ、列車襲撃や数々の凄惨な戦闘にかかわった人物として知られるが、アウトサイダーとして取り上げられているのには驚いた。

 ざっと眺めたところで、小生得意の「読みながら書評」をしようかと思ったが、アウトサイダーの定義が見つからない。で読みながら書評はお預けにする。しかしなんだね、これを見ると誰でも表現家、言いなれない、聞きなれない言葉を使ってすみません。つまり作家、画家、バレーダンサーあるいは音楽家要するに「芸術家」はすべてアウトサイダーになるのかな。金儲けオリエンテッドの芸能人、大衆作家以外はすべてアウトサイダーという考え方もあるだろう。

 昨日村上春樹がまたノーベル賞を受賞できなかったが、金をもうけすぎているから、その上、名誉と言うのもどうかな、ということかもしれない。それにしても、毎年テレビにでてくる村上春樹ファンクラブの連中はやはり奇観というか偉観というべきだろう。

 

 



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