穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

前金作家ドストエフスキーのほのめかし

2013-06-23 08:37:10 | 書評
ドストエフスキーはルーレットの借金で首が回らなくなり、出版社からの前金契約で執筆することが多かった。

感興が湧くのを待って執筆するなどという余裕はない。契約の締め切りがある。枚数がある。いやがおうでも、一日何ページというノルマで仕事をしなければならない。

こういう場合、紙数を稼ぐために、叙述を長引かすための手法がいろいろある。ドストエフスキーが多用するのが「ほのめかし」戦術である。ミステリアスな事実があるような、ないようなことを書いて読者を引っ張る。

例を「白痴」にとると、第一編のドラマとしてのすばらしさに比べ第二編のペテルブルグ郊外の別荘地での話はやたらとほのめかしで話を長引かす。その内に又興が乗ってくれば文章にも緊迫度が増してくるのだろうが。

注1: 「今度それに着手したのは、生活がほとんど絶望的な状態になったからです」。ドストエフスキーの姪ソフィヤ・イワーノヴナあての手紙

注2: 「ただ私の絶望的な生活状態がこの至難な意図に着手することを余儀なくさせたのです。ルーレットに賭ける気持ちで、危険を冒したのです。(ひょっとすると、ペンの下から生まれるかもしれません)こんなことは許すべからざることですがね」。ドストエフスキーのマイコフあての手紙

次回はドストエフスキーの「至難な意図」について、彼の顕在意識および潜在意識における作品の意図について。