太田直子さんという外国映画の字幕翻訳者のぼやきがつまっている「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」(光文社新書)を読んだ。かつて、ぼくにとって新書といえば、岩波新書のことで、かなり堅い内容のものばかりという印象があった。しかし、最近、出版各社が出すようになった新書は、気軽に読めるものが多い。太田さんの本(タイトルが長いのでこう呼びます)も、スイスイと、そして、「そうだよなぁ」と共感しながら、1日で読んでしまった。
はじめて知ったのだが、映画のせりふの長さと字幕の文字数の間には、「1秒=4文字」の原則があるそうだ。そして、字幕翻訳者は、文字通り、1文字をどう減らすかということに神経をすり減らしているらしい。直訳したら10文字以上あるせりふを、前後の関係から再構成することで4文字にしてしまう、という離れ業の例があった。単純に「すごい!」と思い、実は、この部分を立ち読みして、思わず買ってしまったのである。
読み進めると、字幕翻訳に限らず、最近の日本語の「変な部分」がいろいろと取り上げられていて、しかも、それが、ぼくが感じていたものと、かなりシンクロしていた。ぼく自身、言葉に敏感な広告業に携わっているし、スポーツライティングにも興味があるので、自然と、日本語の変化、というか日本語の乱れが気になる。そして、太田さんの本を読んで、その気になる部分とその理由が少しわかったような気がした。
実は、このブログも、いい加減な文章のようだが、たかが1000文字程度に、結構、時間がかかっている。文字を打っては、デリート(消去)し、コピペして、文章をいろいろと入れ替えたり、もちろん推敲もしっかりしているつもりだ。しかし、いくら一生懸命に取り組んでいるといっても、字幕屋の苦闘からすると、しょせんマチュアのブログという無制限・無条件の場は、なんと気安いことか。そう思っていたら、あとがきで、(字幕と違って)書きたいだけ書ける本を書くことの難しさについても書かれていた。やはり、世の中、そう簡単ではないらしい。
字幕翻訳者の苦労はよくわかったが、最近のぼくは、レンタルDVDを借りてきては、日本語吹き替え&字幕なしバージョンばかりを見ている。この本を読んで、字幕版を見てみようかとも思ったのだが、そういうときに限って、見たい作品がない。でも、もうじき「24・シーズン6」のレンタルが始まるか。
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