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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



巨人対広島(東京ドーム)

2006年7月25日、巨人対広島戦。2003年4月11日の巨人対阪神戦以来、3年ぶりに東京ドームで巨人戦を見た。

まずは、想像以上の空席の多さに唖然とした。そして、前回の東京ドームでは、阪神の中軸だったジョージ・アリアスが、巨人のクリーンアップにいたのにも、びっくり。イ・スンヨブは知っていたけれど。それほど、ここのところ野球情報に疎かったというわけだ。

スタンドの雰囲気もなんとなく変わっていた。夏休みのせいもあるだろうが、子どもが多く(これは喜ばしいことだが)、人の動きがあわただしいことこのうえない。以前は、3アウトになってから攻守交替のタイミングでトイレにいったり、食べ物を買いにいったりしていたように思う。それが、プレーとは関係なしに、観客が通路を行き来する。

それに輪をかけているのが、ビール売りのおねえさんたちだ。これも夏休みでアルバイトが増えているのかもしれないが(これは実に喜ばしいことなのだが)、客が減っているために、なかなか立ち止まってビールを売ることができない。だから、これも通路や階段を行ったりきたり。

7回、8回になると、1点差、2点差の接戦であるにもかかわらず、試合の途中で帰りだす始末だ。以前だったら、大きく点差がついて、さらに巨人の攻撃が終わったところで帰路についたはずだ。

ぼくの席は、内野の2階席。外野スタンドほどではないが、巨人ファンがいるはずの席である。しかし、実際は、こんな状況だった。

2日前のオールスター戦を楽しく見ていたために、少し期待をしてしまったのがいけなかったのかもしれない。巨人戦の現状を確認できた東京ドームでの野球観戦だった。今日見た光景は、巨人戦に限ったことであり、ほかのスタジアムではちがった光景があると信じたくなった。


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日本対イラン(代々木第2体育館)

8月にFIBAバスケットボール世界選手権を控えてるため、取材陣の数はとても多かったが、観客席は満員とはいかなかった。しかし、試合が進むにつれて、日本を応援する声は大きくなった。そして、スタンドの声援が大きくなるにつれて、日本のリードも広がり、72対62で日本が快勝した。

日本対イランの顔合わせとなったキリンカップバスケットボール2006は、1勝1敗で、2006年7月22日に第3戦がおこなわれた。

第1ピリオド、ファウルを受けた折茂がフリースロー2本を、そして網野が速攻からダンクを決め、出足は日本のペースとなった。一方のイランは上背と幅のあるセンタープレーヤーを中心に、Gのサマン・ベイシ(6番)が果敢にペネトレーションを仕掛け、徐々にペースをつかむ。しかし、第1ピリオドは、網野の活躍で日本が18対13と5点差でリードを奪った。第2ピリオドの日本は、第1ピリオド途中からのイランの2-3ゾーンディフェンスを崩しきれず1点差に詰め寄られた。前半の日本は、パスミス、キャッチミスなどのターンオーバーが多く、もうひとつ並みに乗れなかった。イランもファウルが多く、凡戦の様相を呈してきた。

後半の第3ピリオド、日本のディフェンスがイランを自滅させた。しつこいマンツーマンディフェンスは、イランのチャージングを誘発し、精神的にもイライラを募らせた。イラン選手が審判に何かとクレームをつける姿が目立つようになり、攻守にプレーが荒くなった。イラン6番サマンのプレーだけが日本にとって危険だった。しかし、結局、第3ピリオドで日本が10点差をつけて、勝負ありとなった。

この日の日本は、高い集中力を維持し続けたディフェンスと内外両面での網野の攻撃力が光っていた。また、途中交代出場したC山田、G柏木のがんばりも素晴らしかった。序盤に多かったターンオーバーを減らし、攻撃面でセンター陣が力強いプレーを見せてくれていれば、もっと楽な試合運びができたはずだ。

世界選手権まで約1ヶ月。参加するすべてが日本よりも実力が上となる厳しい大会である。そのなかで、日本がどんな戦いを見せてくれるのか。正直なところ、勝敗よりも、この試合で網野が何度か見せてくれたような、1対1での勝負をどんどん挑んでいくような、チャンレンジする姿勢をひとつでも多く見せて欲しいと思う。

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ベルリンのスタジアムで、“Three Lions”が聞こえてきたことに、ちょっと驚いた。

“It’s coming home, it’s coming home, it’s coming, football’s coming home …” という歌のことだ。

スタジアムで流れていたのは、ほとんど、このサビの部分だけだったが…。確かに、ノリはいいし、詞もシンプルだし、32年前に西ドイツでおこなわれたW杯が、ふたたび自分たちのところに戻ってきたという意味にもとれるので、観客を盛り上げるために選曲されたのだろう。

しかし、「サッカー・イングランド代表の公式ソング」を、ドイツW杯のスタジアムで流すのはいかがなものか。そう、この“Three Lions”は、1996年の欧州選手権イングランド大会のときに、イングランド代表をサポートするためにつくられた歌なのである。CDのジャケットには、“The official song of the England football team”とある。1966年のW杯イングランド大会以来のサッカーのビッグイベント、欧州選手権EURO96とともに、サッカーが母国イングランドに戻ってきたことを喜び、1966年のW杯優勝を思い出し、イングランド代表を勇気づける歌なのだ。

1996年欧州選手権の準々決勝、イングランド対スペイン戦。PK戦でイングランドが勝利した後に、かつてのウェンブリー・スタジアムが“Three Lions”の大合唱となったことを思い出した。そして、まさか、ドイツ対アルゼンチン戦を控えたドイツのスタジアムで、この歌を聞くとは思わなかった。

“Three Lions”は、翌日のイングランド対ポルトガル戦の会場でも流された。今度は、ちょっとイングランドにひいきが過ぎるのではと思った。はたして、当のイングランドサポーターはどんな気分だったのだろうか。イングランド、シェフィールドから来ていた隣の親子に、感想を聞いておけばよかったな、と、今さらながらに、後悔している。


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ドイツW杯で、アジア地区代表のチームはすべてグループリーグで敗退した。なお、オーストラリアは、現在、アジア・サッカー連盟に所属しているが、ドイツ大会にはオセアニア代表として出場した。アジアのサッカー・ファンが心配するのは、次回2010年南アフリカ大会の、オーストラリアを含むアジア枠が、今回の4.5よりも少なくなってしまうのではないかということだ。そして、このアジア枠問題は、FIFAにとっても悩ましいことだろう。ただし、FIFAにとっては、アジア枠が減ることによって、中国や日本といった巨大なサッカー市場をもつ国が、本大会に出場できなくなる可能性が高くなることが問題なのだ。

次回のW杯はアフリカ大陸で開催されるが、アフリカの市場性はまだまだ低い。とりあえずは、アジアの、とりわけ中国、日本、韓国のサッカー・ファンを、ひとりでも多くW杯に囲い込みたいはずだ。ドイツ大会の公式サイトに、中国語、日本語、韓国語版が用意されたのも、その表れだろう。

今大会、グループリーグの日本戦では、公式パートナーの“AVAYA”が、英語表示のロゴと「日本アバイア」という日本語表示が並んだ広告看板をピッチサイドに掲げていた。また、公式アルコールドリンクである「バドワイザー」も、準々決勝から“Bud”と並べて「百威」という中文(中国語)表示の広告看板に変えた(写真)。世界中が注目するW杯のテレビ中継に映る広告看板に、ほとんど日本人や中国人しか理解できない表示を出したのだ。日本人や中国人を対象としたピンポイント作戦である。それだけ、FIFAのスポンサーにとっても、日本や中国が市場として魅力的だということだ。

FIFAやFIFAの公式パートナーにとって、中国や日本のサッカーの実力が、その経済力ほどに強くなってくれないことが、大きな悩みであるにちがいない。

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Jリーグオールスター戦&中田ヒデ引退特番(TV朝日)

Jリーグオールスターサッカーのテレビ中継の冒頭に映った、小野や小笠原の緊張感に欠けた笑顔に違和感をもった。ドイツW杯でふがいない姿をさらした代表選手たちにとって、リスタートの意気込みを示す場だと思っていたからだ。瞬間、これは中田ヒデという存在から解放された笑顔ではないかとも思った。考えすぎだろうか。

7月15日土曜日、午後5時という中途半端な時間にJリーグオールスターサッカーは始まった。この開始時間は、会場となった鹿島へのアクセスも考慮されてはいただろうが、視聴率を期待できないテレビ番組をどこかに収容しなくてはならなかったためと思われる。結果、「急遽」放送が決まったとされる「中田英寿引退特別番組」の前座のようになった。せめて、日本サッカーの明るい未来を暗示させてくれるような試合を期待したが、実際には、試合の中身は、前座にも足らないものになった。日本サッカーには、中田ヒデという緊張感が、まだ必要なのだろうか。次期代表監督とみられるオシムは、この試合をどう見ていたのか。

午後7時の、いわゆるゴールデンタイムに放送された引退特別番組で、まるで評論家のようにドイツ大会の日本代表について語る中田ヒデにも違和感をもった。公式サイトで引退を発表する1週間前に、ひとつのテレビ局を相手に、引退への思いを語り、日本代表を分析し、批評しているのだ。その内容は、オールスターサッカーよりは含蓄に富むものだった。しかし、正直なところ、こういうかたちで語られてしまう他の代表選手はきついだろうな、と思った。そして、これまでの中田ヒデのメディアPR戦略にのっとってはいるものの、あまりに計画的で商業的ではないか。サッカー選手としての実力は認めるが、どこかうさんくささを感じてしまう所以でもある。

中田ヒデは日本時間の7月3日、夜9時、突然、公式サイトで引退を発表した。ドイツでは同日の午後3時。ぼくは、知り合いのカメラマンとデュッセルドルフの街中でビールを飲んでいた。そのカメラマンの携帯電話にメールが入った。しかし、中田ヒデの引退と聞いても、ぼくも、彼も、まったく驚くことはなかった。日本代表では、その存在感は際立っていたが、自らが所属するチームで満足に試合に出られない状態が続いていたわけである。ぼくらは、いい引き際だという印象で一致した。そして、そのカメラマンは、ぽつりと、こう言った。

「取材する記者やカメラマンで、中田ヒデの引退を惜しむやつはいないんじゃないかな。きっと、ほとんどは、ほっとしてますよ」

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ようやく、本が出来上がりました。タイトルは「VIVA!サッカー探求」です。牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会の本、自称「ビバ!本」の4冊目となります。さらに、「VIVA!サッカーライフ」も来月には出版予定です。

ぼくは、「VIVA!サッカー探求」のなかで、日本の新聞やテレビがワールドカップをどのように伝えてきたのか、ということをまとめた「読戦の時代、観戦の時代、参戦の時代」という原稿を書いています。興味のある人には、まぁ、おもしろいものになっていると思うので、ぜひお買い求めください。来週には書店に並ぶはずです。中央公論事業出版から、税別1200円です。よろしく!

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ジダンの暴行退場事件が、W杯が終わったあとも尾を引いている。

ジダン自身が、フランスの有料テレビ、カナル・プリュスの番組の中で、暴行にいたった経緯を簡単に説明した。イタリアのDFマテラツィが家族に対するひどい言葉をはいたことが原因で、暴行したことに対しては後悔していないと言う。そして、ファンへの謝罪も述べた。

FIFAはこの事件に関して詳しい調査をするという。また、ジダンが獲得した大会MVPを剥奪する可能性もあるらしい。

FIFAが怒るのも無理はない。4年に1度の、FIFAの最大のイベントであるW杯の決勝戦が台無しになったのだ。世界中が注目する輝かしい時間が、失望の時間へと転落していったのだから。

しかし、ぼくは、いまさら調査の必要はないと思う。ピッチの中のできごとに対して、主審がレッドカードを掲げ、ジダンも納得の上で、ロッカールームへ去ったのだ。ジダン自身に不服があるのならともかく、判定に意義を唱えるものはいない。サッカーの試合という観点では、この時点でケリがついている。

また、大会のMVPを剥奪するのもおかしな話だと思う。なぜなら、大会のMVPはジダンが退場となった決勝戦の終了後まで投票が行なわれ、その結果、ジダンが選ばれたからだ。MVPの選考には、そのやり方に問題がないわけではないが、これからMVPを取り消すのならば、決勝戦でジダンが退場になった時点で、MVP候補からはずすべきだった。

栄光のW杯の決勝戦での衝撃的なできごとについて、世界中の人々が、思いをめぐらし、語ることは勝手である。しかし、FIFAが「真実」を追究することには、あまり意味がないと思うのは、ぼくだけだろうか。

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決勝戦:イタリア対フランス(NHK-BS)

ドイツW杯決勝戦の延長後半、フランスのジダンにレッドカードが掲げられた。何が起こったのか。いや、起こっていたのか。ジダンへのレッドカードのプロセスを振り返りたい。といってもテレビで見ていたうえでの想像も含まれるが…。

直前のプレーで、イタリアのゴールへ迫ったフランスだったが、結局イタリア側からのリスタート。プレー再開後、イタリアのGKブッフォンは主審に走りより、DFマテラッツィが暴行を受けて倒れていることをアピール。主審は倒れているマテラッツィを確認。このとき、テレビ(と会場の大型映像?)では、ジダンがマテラッツィの胸に強烈な頭突きを見舞っているのを何度か映す。その映像では、マテラッツィがジダンに何か言っている。しかし、その内容は不明だ。そして、その後、ジダンの頭突きとなった。

ブッフォンが主審にアピールするまで、副審もジダンの暴行に気づいたようすはなかった。しかし、主審は副審と相談したうえで、ジダンにレッドカードを掲げた。

この裁定のポイントはビデオにしっかりとその行為が映されていたことにある。この大会から審判団がつけているトランシーバーで、映像を確認した結果を伝えることもできたはずだ。

FIFAはビデオによる裁定を認めてはいないが、ビデオが決め手となったのは間違いないだろう。今後のレフェリングに影響を及ぼすことになるのではないか。


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決勝戦:イタリア対フランス(NHK-BS)

堅守で勝ち上がってきたイタリアとフランスが、互いに攻撃的で魅力的なサッカーを見せてくれた決勝戦の前半だった。

前半7分、ジダンのPKでフランスが先制したことで、守りあいが予想された試合が攻め合いの様相を呈した。そして、前半19分、早くもイタリアがピルロのCKにマテラッティが頭で合わせて同点とした。その後、前半はイタリアが優勢に進めるも、1対1のまま同点で終わった。

後半は、序盤からフランスのペースで進む。前半、攻撃的だったイタリアは、ただ守るだけのチームになっていた。イタリアが引きすぎるため、最終ラインからのボールがことごとくフランスの中盤DFにさらわれてしまう。しかし、そのボールを際どいところまではこぶものの、フランスはゴールを奪うことはできない。

決勝戦は膠着状態に陥る。両チームとも攻撃的な選手を交代出場させるが、得点を奪うことはできなかった。後半途中からは、完全に消耗戦になってしまった。延長、そしてPK戦がみえてきて、結局、そのとおりとなった。

そして、過去3度あったW杯のPK戦で勝てなかったイタリアが、4度目にしてようやくPK戦に勝った。イタリアとしては4度目となるW杯の獲得となった。

名将リッピを監督に迎え、これまでのイタリアのイメージにはない攻撃的なチームとなっていたイタリアだった。しかし、ドイツW杯でのイタリアの勝因が、イタリアらしい鉄壁な守備にあったことは、誰の目にも明らかだった。とくにカンナバーロやガットゥーソらの、どちらかというと小柄な選手の守備での活躍には心うたれるものがあった。

美しく守り勝ったイタリアは、W杯優勝に十分に値する素晴らしいチームだった。

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3位決定戦・ドイツ対ポルトガル(NHK)

3位決定戦で、ドイツの若手、シュバインシュタイガーが爆発した。実質的には、今大会初のハットトリックだった(1点はオウンゴール)。この試合のシュバインシュタイガーのゴールは、3位決定戦ならではのものだった。

今大会で採用されたボールは、非常に変化しやすく、ゴールキーパー泣かせのものとなった。ゴールキーパーの正面に飛んだボールでさえ、思うようにキャッチできない。ときに大きく、ときに微妙に変化するボールだった。

そのせいか、グループリーグでは、いつになくロングシュートによる得点が目立った。まずは、攻撃面で、選手たちがボールの特性に順応した結果だった。意図的にロングあるいはミドルレンジからのシュートを放つチームが多かった。

しかし、一転、決勝トーナメントに入ると、外郭からの得点は少なくなった。今度は、守備側がロングシュートに対してきちんと対応するようになったためである。不用意にコースを空けない。あたりまえのことが徹底された結果だった。

しかし、ドイツ対ポルトガルの3位決定戦では、ドイツのシュバインシュタイガーが久々に、豪快なロングシュートを2発も決めた。彼がボールを保持し、シュートを打つときに、ポルトガルの選手は、だれもコースを消さなかった。優勝への道のりにある試合だったならば、きちんとチェックに行き、体を張って防いでいたことだろう。

表向きには戦っているように見えるが、選手のモチベーションを上げる要素がないのが、W杯の3位決定戦だ。ちなみに、FIFAから各チームに支払われる出場料(賞金とは意味合いがちょっと違うと思われる)をみると、3位決定戦をおこなうにもかかわらず、3位と4位は同じで約19億8000万円(2150万スイスフラン)である。※1スイスフラン=92円として。

ただ、さすがに開催国ドイツには、この日スタジアムを埋めたサポーターや、ここまで応援してくれた国民に、少しでもいい結果を残したいという気持ちはあったはずだ。そんな気持ちが、シュバインシュタイガーの右足にこめられたのだと思う。ポルトガルにはその気持ちを止める気力は感じられなかった。

シュバインシュタイガーのゴールは、3位決定戦らしいものだった。


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日本からドイツW杯に行った人たちは、大きく3つに分類できるだろう。日本代表を応援するサポーター。W杯を取材・報道するなど、仕事で行った人たち。そして、バカンスでW杯を楽しもうとする人たちだ。

日本代表サポーターにとっては、ちょっとつらい大会だったかもしれない。日本の取材・報道陣にも、とくに後半は、カメラマン席、プレス席の割り当てが思うようならず、厳しい大会だったようだ。しかし、ぼくのようなバカンス(と言えるほど優雅ではないが)でW杯観戦にドイツを訪れた者には、とても素晴らしい大会だった。

ぼくは、6月30日から7月6日までドイツに滞在し、準々決勝2試合(ドイツ対アルゼンチン、イングランド対ポルトガル)と準決勝2試合を見た。

なによりすごしやすい気候がありがたかった。7月6日にミュンヘンで激しい夕立があったが、それ以外は天気に恵まれた。32年前の西ドイツ大会は雨が多かった。ドイツの気象も変わっているのだろうか。長い日中の日差しは強かったが、街にあふれている緑の木陰にはいり、風をうけると、そこは楽園になった。聞くところによれば日本戦が行なわれた頃が特別に暑かったそうだ。最初に着いたベルリンは肌寒いほどだった。

スタジアムも、ぼくが訪れた4つは、どこも素晴らしいものだった。

ベルリンは、1936年ベルリン・オリンピックのときのメイン会場を改修したものだ。石で作られている(と思われる)外壁には歴史の重みがしみこんでいるようだった。スタンドから見上げる、新しくつくられた屋根は日差しを和らげるものの、光をさえぎることはない。陸上競技兼用のスタジアムだが視界は良好だった。

ゲルゼンキルヘンは、開閉式の屋根をもつ近代的なスタジアム。センターサークルの真上に大型映像装置が吊るされている。プレー中のボールがあたることはあるだろうが、観客席と映像の距離は近くて、見やすい。

ドルトムントがもっとも雰囲気のあるスタジアムだった(写真)。4方を壁のような急傾斜のスタンドが取り囲む。今回は前から2列目の席での観戦だったが、いつか最上段からも試合を見たい。まったく違う光景を味わえることだろう。

ミュンヘンの新スタジアムのモダンなデザインについては説明は不要だろう。スタンドは3層につくられていて、どの席からも死角はなく、ピッチに集中できる。特徴的な外観は、ホームのバイエルン・ミュンヘンの試合のときには赤くライトアップされるらしい。この日、フランスの勝利を祝って、赤、青、白にライトアップされた、ということは残念ながら、なかった。

ぼくのドイツW杯観戦は、天気やスタジアムに恵まれたものだった。しかし、それ以上に、ドイツ大会を楽しくすごせた要因があった。それについては、次回その2にて。

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日本では、オシムの代表監督招聘や中田ヒデの引退発表やらで、W杯どころではないのではないか。

しかし、ここドイツではW杯4強の激突が始まる。

まず、今夜、ドイツ対イタリア。過去を紐解けば、西ドイツとの対戦ではあるが、イタリアの2勝2引き分けである。今度の対戦では、前の準々決勝で楽をしたイタリアのほうが有利ではないか。1982年スペイン大会もそうだったが、イタリア国内のサッカー界で事件が起きたときのイタリアは強いのかもしれない。

ドイツは怪我の状態が危ぶまれるバラック次第。そして、地元の声援がどれだけ選手を後押しするか。サポーターにとって、ドルトムント・スタジアムはもっとも応援しがいのある場所である。その効果はいかに。

そして、明日の晩は、ポルトガル対フランス。ジダン、マケレレ、チュラムら昔の名前が威光を放っているフランス。2002年W杯、2004年欧州選手権でのくやしさを晴らせるか。最後に一花咲かせて引退できるのか。W杯は申し分のない舞台である。

そのフランスと対戦するのが、もっとも成熟度が高いと思われるポルトガルだ。個々の選手の、個人技はともかく、チーム戦術の理解度がすばらしい。交代して入った選手が、チーム戦術はそのままに個性を発揮する。

そのポルトガルをさらに高いレベルに持ち上げるのがMFデコだ。ボールと時間と空間を確実にコントロールする。出場停止だったイングランド戦の分も活躍することだろう。そして、監督のスコラーリ。2002年大会でブラジルを優勝に導いた彼には、監督としてW杯2連覇がかかる。異なるチームを率いての連覇は奇跡以上のできごとだ。

巷では、選手の疲労などから試合がおもしろくないという声もあるようだ。しかし、おもしろいサッカーを望むなら、別の大会やリーグに期待すべきだと思う。

W杯には、サッカーの試合を超えた魅力があるはずだ。そうでなければ、いくら世界でもっとも普及しているスポーツとはいえ、世界中がこれほどにW杯に熱狂するわけはない。

ドイツ大会の準決勝の2試合は、サッカーだけではない、W杯の魅力が詰まったものになると確信している。


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7月2日と3日は、準々決勝と準決勝の間の休息日だった。

2日は、ビバ!ハウスのあるフランクフルトへ行き、仲間たちと会い、食事をした。ビバ!ハウスとは、牛木素吉郎さんの取材のベースであり、ビバ!サッカー研究会の仲間が入れ替わり宿泊しているペンションである。マイン川のファン・フェスタやおいしいリンゴ酒のお店もほど近く、思った以上にいいところだった。川と緑とお酒で、心が安らぐ。

3日は、ケルンへ行き、世界遺産の大聖堂に上った。ドイツのことを何も調べずに乗り込んでいるので、とりあえず超メジャーな観光名所ということで大聖堂を選んだのだが、螺旋階段を上り始めてめまいを感じ、そして後悔した。最上階に行っても大して見るべきものはない。ケルンへ行ったなら、大聖堂の前のカフェでながめているのが一番いい。マロニエの木の下から、歴史の偉大さに触れれば十分だと思った。

その後デュッセルドルフへ移動し、カメラマンのOさんと会った。Oさんとは2003年にフランスで開催されたコンフェデで知り合い、ユーロ2004のポルトガル、そしてこの日、ドイツでと、海外でしか会わない。日本でゆっくりと話をしたいところだが、なかなか時間があわない。

今大会でのカメラマンの苦労話を聞きながら、日本でもないようなうまいカツ丼を食べた。日本人が多いデュッセルドルフならではの味か。その後、街に出た。

途中、マロニエの木陰にしつらえたビアガーデンに座ると、いきなりビールが2つテーブルにおかれ、コースターに2つ分の印をつけられた。座ることは、ビールを飲むことを意味するようだ。ウェイターは大きなトレイでビールを運びながら、グラスが空いた客に次をすすめる。まるで「わんこそば」だ。

ほど近いライン川のほとりでもカフェが並んでいた。ヨーロッパの人々は、ビールやコーヒー1杯だけで何時間もひとつところにいる。永遠の時間を楽しんでいるのか。時間の存在を忘れているのか。

ケルンの大聖堂に上り、デュッセルドルフの街を歩き続けた1日だった。ちょっと疲れた休息日だったが、ヨーロッパの街の雰囲気に癒された、心の休息日となった。

4日からは、短いW杯の旅の後半が始まる。


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ベルリン・オリンピック・スタジアムの素晴らしさに感動した。

陸上競技場と兼用のためサッカー観戦には不向きな面はあるが、それを差し引いてもあまりある立派で、雰囲気のあるスタジアムだった。

スタジアム自体は、1936年ベルリン・オリンピックのときに建設されたものを、外観はそのままに、内装を改修してきた。そして、今大会のために、ぐるりと観客席を覆う屋根が加えられた。

石でできた重厚な外観には歴史の重みが刻まれているようだった。近代のスタジアムには感じられないオーラが漂っていた。

新たに作られた屋根は未来を象徴するようだった。十分に光を通しながら、観客を雨から守ってくれることだろう。

ゴール裏の席についたときに、8年前のフランス大会で訪れたサン・ドニのスタジアムに雰囲気が似ているなと思った。

兼用スタジアムでありながら、観客席の角度がほどよいためサッカー観戦も苦にならない。そして、屋根がついているにもかかわらず、やわらかい日差しがスタジアム全体に注ぎこむ。視界の快適さを感じることができるスタジアムだ。

サン・ドニは、その外観から未来的なイメージを発している。それは、設計チームのコンセプトとして、すでにパリにあったパルク・デ・プランスというスタジアムの重厚さとの対比があったためだった。

パリのスタジアムは、パルク・デ・プランスとサン・ドニをセットで見ることによって、建築物としての歴史と未来を表現していたのである。

ベルリン・オリンピック・スタジアムは、それひとつで、見事に歴史と未来を表現していた。

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ドイツ対アルゼンチン(6/30 ベルリン)
イングランド対ポルトガル(7/1 ゲルゼンキルヘン)

今大会の現地観戦は、いきなりPK戦の連続で始まった。

ホストが激闘の末のPK戦を制してから始まったパーティは、延々30分は続いただろうか。立錐の余地のないベルリン・オリンピック・スタジアム。ピッチではドイツ選手は躍り上がり、それにあわせてスタジアムも揺れ動く。W杯ホスト国の勝利という幸福の絶頂があった。そして、ドイツの優勝が現実のものとして見えてきた。

イングランドは、まるでホームのようなスタジアムで無念の涙を飲んだ。ポルトガルのC・ロナウドが最後のPKを決め後、センターサークルにイングランドの面々が沈み込んだ。イングランド魂の象徴、ランパード、ジェラードがPKを失敗した。ユーロ2004の雪辱をはらすことはできなかった。

日本でテレビで見ていた大会とは同じものとは思えない。グループリーグというサッカーの見本市から国の威信を賭けた死闘の場と変わっていることを実感した。

W杯が欧州に戻り、ぼくもW杯に戻ってきた。ちょっと偉そうだが、今のぼくの本心だ。


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