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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



決勝ゴールは胸だった!

TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
決勝戦 FCバルセロナ 2対1 エステディアンテス
2009/12/19 ザイード・スポーツ・シティ

前の記事で「決勝ゴールはメッシのヘディングだった」と書いたが、帰路の飛行機のなかで新聞を見たらなんと胸に当ててシュートをしていたことがわかった。ここに訂正します。

説明しておくと、3位決定戦と決勝戦のゴールは、すべて、ぼくの席の反対側のゴールで決まっていた。なお。3位決定戦のペナルティ戦は、ぼくの側だった。

大型スクリーンで見ようにも、両ゴール裏のスクリーンはやや小さめ。バックスタンドの正面の、すなわち貴賓席正面のスクリーンは大きいのだが、角度的に見難かった。だから、メッシの決勝ゴールがリプレイされても、小柄なメッシのどこに当たっていたのかはよくわからず、動きから推測してヘディングと思っていたのだ。

スタジアムで見ていたならではの間違いとご容赦ください。


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バルサ、初のクラブ世界一に!

TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
決勝戦 FCバルセロナ 2対1 エステディアンテス
2009/12/19 ザイード・スポーツ・シティ

「ボールは汗をかかない」と言ったのは誰だっただろうか。バルセロナの英雄、ヨハン・クライフだったか。

先制されながらも、じょじょに自分たちのリズムをとりもどし、エステディアンスのエネルギーを奪い去ったのは、バルセロナの持ち味である多彩でリズミカルなパス交換だった。後半15分過ぎからは、ほとんどバルサがボールを保持していた。

ベロンを中心とする南米代表の勝機は、選手が活発に動いて、バルサに自由にボールをまわさせないことだった。前半は、それが成功していた。しかし、人間は汗をかく。

1対1で延長戦にもつれこんだとき、ベロンの動きは止まっていた。それは、エステディアンスの終わりを意味していた。ベロンがこれほどに痛々しい姿をみせたことがあるのだろうか。

試合を決めたのは、長い距離を走って、ゴール前でヘディングを決めたメッシだった。足首は万全ではないはずだが、スタミナは十分に残っていた。

名門バルセロナが、初めてクラブ世界一になった。名門が築き上げた変わらぬスタイルが最大の勝因だった。



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岡山率いる浦項が3位に!

TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
3位決定戦 浦項1-1(PK4対3)アトランテ
2009/12/19 ザイード・スポーツ・シティ

ついに岡山一成が浦項のキャプテンとして、クラブワールドカップを戦うことになった。試合前のセレモニーで、FIFAのブラッター会長にチームメイトを紹介している。準決勝で、本来のキャプテンを含め3人の退場選手を出したためとはいえ、信じられない光景ではないか。

Jリーグをリストラされ、練習生として浦項に入団して、まだ1年もたたないなかでの桧舞台。以前、カズや岩本(輝)がオセアニア代表に臨時で入ってプレーしたことはった。昨年、一昨年は日本のクラブが出場し3位になった。同じ日本人がクラブワールドカップに出たといっても、岡山の場合は、まったく価値が異なる。

試合は、前半に先制した浦項が、後半1分に同点に追いつかれる。アトランテのほうがチャンスは多かったが、浦項はGKを中心にもちこたえ、結局、ペナルティ戦で勝負が着いた。

ペナルティ戦は4対3で決着し、浦項が3位になった。最後の浦項の選手のシュートが決まると、真っ先に岡山がGKに駆け寄り、その後、最後のシュートを決めた選手に抱きついた。世界の舞台で主将の大役を勤めあげた瞬間だった。

世界第3位。ことクラブワールドカップについていえば、この言葉は事実を表してはいないし、それだけの価値はない。だから、あまりおおぴらにいうべきものではないと思っている。しかし、今日の岡山には「俺は世界第3位になったぞ!」と叫ばせてあげたいと思った。

まさかアブダビで、こんな貴重な光景に出会えるとは……。



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ファンゾーンを楽しむ
2009/12/19 ザイード・スポーツ・シティ

3位決定戦と決勝戦の会場は、ザイード・スポーツ・シティの中にあるスタジアムである。ホテルからは空港をはさんで、そのアラビア建築的な屋根が見える。タクシーで10分ほど。

3位決定戦の試合開始は17時。15時過ぎに会場に行って、まずはファンゾーンに入ってみた。スポンサー各社のプロモーションブース、フットサルコートでは子どもたちのサッカー。BGMがガンガンなりひびくき、会場を盛り上げる。フードコートでは、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、中東の5種類のお店が出ていた。

ぼくは、腹ごしらえにヨーロッパコーナーにあったフィッシュ&チップスをいただいた。コカコーラとあわせてAED50。今回の旅行のなかでは、ホテルの朝食の次に高い食事となった。味もボリュームも期待以上。まぁ、ほとんど期待していなかったということもあるけれど。

日本の日産スタジアムでもファンゾーンがあったが、それよりはかなり力が入っているように見えた。裕福な国で開催されている大会であることを実感した。



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居場所がない!
2009/12/18 アブダビ

コンビニがない。マクドナルド、ケンタッキーFC、ピザハット、そしてスターバックスはあっても、コンビニ風の店はない。また、人が多い通りにもレストランらしき店がほとんどない。喫茶店もない。こちらの人々は、街角にたまり、公園の芝生に座って話し込んでいる。異邦人の居場所が限られていると言えるだろう。そういえば、アブダビ・モールやマリーナ・モールといった外国人も多く見かける場所に行っても、ほとんど日本人とは出会わなかった。これほど日本人を見ない街も珍しい。

街は完全なクルマ社会。駐車しているクルマと走っているクルマであふれかえっている。街角はすべて駐車スペースになっている。何重にも重なるなか、一番、内側のクルマはどうやって出て行くのだろうか。

そして人通りを感じる場所はない。人が多く集まっている場所はあっても、大勢が行き来しているメインストリートはどこにあるのだろうか。白い民族服にサンダルが普段の服装である。生活のなかで歩き回ることは、あまり考えられていないのだろう。

日が暮れてから、ある2つの場所に人々がたまっていた。祈りのためにモスクに集まるのはわかる。もうひとつの場所は、銀行やATMである。単に、お金を引き出しているのではなさそうだ。投資のために外貨を買い込んでいるのか。

バスに乗って市内巡りをしながら、そして、その後、一人で街中を歩いていて、日本はもちろんのこと、これまで行った海外の都市との違いをおおいに感じた。これまで訪れた海外の街のなかで、最も日本での自分の生活とかけ離れた街だった。

冒頭にも書いたが、異邦人がこの街に溶け込む余地はなさしうだ。ヨーロッパ人のリゾート地として人気が高いドバイやアブダビを楽しむためには、高い金を払って、高級ホテルに泊まり、そのホテルのサービスを満喫するに限るようだ。



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アブダビ市内巡り
2009/12/18 アブダビ

アブダビという街がどんなところなのかを、とりあえずざっと見て、知るために、2階バスで市内を巡る“THE BIG BUS TOUR”に参加することにした。料金は200AED(ディルハイム)約6000円で、約2時間のコース。アブダビ市というひとつの島をぐるりと回る。

ぼくは、アブダビ・モールというショッピングセンターから出発し、イラン人のカーペット屋街、海沿いの道を走り、昔ながらの家屋を残すヘリテッジセンターを通り、おそらくは市内で一番大きなショッピングセンターのマリーナ・モールへ。

その後、規格外の豪華なエミレーツ・パレス・ホテル、日光浴やビーチバレーを楽しんでいるパブリック・ビーチを見ながら、島の正反対に位置するシェイク・ザイード・モスクに向かった。

モスクは金曜日は拝観できないため、外からゆっくりと見るだけだったが、それでもその大きさ、美しさには十分目を奪われた。そして、出発点に戻る。

観光スポットといえるような名所がほとんどないアブダビは、街全体が今も建設途中にある。個々の建物が建設中であることに加えて、いたるところで大規模な道路工事が行われていることが、それを証明している。海沿いの公園などは、その出来上がった姿を表していた。

アブダビ市内巡りの実情は、建設現場巡りといってもいいぐらいだった。


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チケットをゲット!
2009/12/18 アブダビ

ホテルのコンシェルジュに、クラブワールドカップの最終日のチケットを入手できないかと聞いたら、完売していて無理ということだった。

日本以外で、第3国同士の試合のチケットが5万枚も売れるはずがないと思っていたので、当然のことのように、アブダビに着いてから、前日あるいは当日にチケットボックスで買うつもりでいた。

しかし、バルセロナが登場した準決勝では、空席があったものの、予想以上に観客が入っていた。それに、ベンチスタートだったメッシへの大きなコール。ぼくの予想ははずれ、チケットを前もって入手するのは難しそうだ。ならば、ダフ屋から買うか……。

ダフ屋と交渉するのも面白いのだが、最近は、歳をとったせいか、精神的にも、肉体的にも疲れを感じるようになった。できれば、事前に用意したいのが本音である。

それに、最終日は、決勝戦の前に3位決定戦がある。スタジアムが埋まるのは、決勝戦だけである。ダフ屋が、いよいよ売り切れなくなって値段交渉に応じてくるのは、決勝戦の直前だ。3位決定戦の前に、値段が下がることはない。わざわざアブダビまで来たのだ。3位決定戦から、きっちり観戦したい。

結局、午後、市内観光をしながら、どうにかチケットを入手できた。カテゴリー2で、定価は200デュルハイム(約5-6000円)。どのように、いくらで手に入れたかは、企業秘密ということにしておこう。ただし、十分にリーズナブルな値段だったことだけはお知らせしておく。



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アブダビ到着
2009/12/18

クラブワールドカップを見るために、アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビに来ている。

昨晩(12月17日の夜)、羽田を20時40分に出発し、関西空港からエミレーツ航空でドバイに。ドバイからバスでアブダビに入り、ホテルにチェックインしたのが、翌18日の朝8時30分。全部あわせると、約17時間の長旅だったが、下調べが適当だった割には、乗り継ぎがスムーズに行ったので、ほとんどストレスなく、風邪が治りきっていなかったにもかかわらず、気候のせいか、いたって好調。ホテルで荷物を運んでくれたベルボーイの話では、今が一番快適な気候だそうだ。部屋でひと休みしてから、街に出た。

初めてのアラブ。人どおりはほとんどなく完全にクルマ社会。ぼくは、ぶらぶらと歩き回るのが好きなので、目的を決めてタクシーで行かなければならない、こういう街はあまり好きではない。

写真は、ホテルからも見えるアブダビ最大の「シェイク・ザイード・モスク」である。今日、金曜日は中に入れない日だった。明日、サッカーを見に行く前に、再び寄ってみようと思う。

アブダビの街で感じたことは、追って書くことにする。




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日本サッカー協会顧問の村田忠男さんが亡くなったという記事を今朝の新聞で知った。

村田さんとは面識はなかったが、一度インタビューをしたいと思いながら、2年がたってしまっていた。最近、あるきっかけがあり、インタビューのお願いの手紙を出そうと思っていた矢先だった。残念ながら、もう話を聞くことはできない。

ぼくが聞きたかったこととは……。

ビバ!サッカー研究会の仲間とともに出版した「ビバ!サッカー探求」という本のなかで、ぼくは、ワールドカップが日本でどのように伝えられてきたか、を書きまとめている。

そのなかで、日本でのワールドカップの試合のテレビ中継は、1970年メキシコ大会からと書いたのだが、その後、1966年イングランド大会の決勝戦が放送されていることを、サッカーライターの大住良之さんから聞いた。

調べてみると、確かに、延長120分間の試合が、1時間のダイジェストとして放送されていることがわかった。なんとも恥ずかしい調査不足の極みである。

そして、大住さんによれば、この試合の放送権を買ったのが、当時、三菱商事の英国支店に駐在していたと思われる村田さんだった。1968年に「ダイヤモンドサッカー」が始まる2年前のことだ。

ワールドカップの放送権を購入したのはなぜか。いくらだったのか。どんな苦労があったのか。聞きたいことはたくさんあったが、もう遅い。

村田忠男さんのご冥福をお祈りします。


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TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
浦項 2対1ムゼンベ
2009/12/12 NTV

知性対感性、あるいは戦術対身体能力、あるいは組織対個人。浦項(韓国、アジア代表)とムゼンベ(コンゴ、アフリカ代表)は、それぞれの地域を象徴するような内容だった。

個人能力を十分に発揮できる攻撃面では、ムゼンベは意外性のあるプレーでチャンスをつくるも、いい加減な守備の裏を何度もつかれ、ピンチを招くう。それを、GKキディアバのスーパーセーブでしのぐ。一方、前半28分にロングシュートで失点した浦項は、その後、ムゼンベの守備の裏をつくプレーを執拗に繰り返し、後半に2点を奪い、逆転勝ちした。

先制したムゼンベが、浦項の戦術を理解し、対処していたら、逆転があったかどうか。しかし、何度も裏を狙われているのに、おおらかに自分たちのサッカーを続けていたムゼンベは、ある意味、アフリカ代表らしかった。

この試合、ワールドカップの日本とカメルーンの対戦を重ねて見ていたが、同じアフリカのチームとはいえ、ムゼンベとカメルーンはまったく違っていた。一昔前だったら、おそらくもっと似ていたはずだ。カメルーン代表も、よく言われるアフリカの黒人特有の身体能力を前面に押し出すサッカーをやっていた。しかし、今は違う。カメルーン代表のほとんどはヨーロッパのクラブの中心選手である。戦術や組織力を身につけている。

そう考えると、日本がいるEグループは、日本とヨーロッパの3カ国からなる、まさに「死のグループ」と言える。浦項の快勝を見ながら、南アフリカで、日本代表がグループリーグを突破するのは、やはり難しいだろうなと思った。



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2009/12/9 新国立劇場/小劇場

仕事でお世話になっているバレーボールの大林素子さんが座長をつとめる「MOTHER ~特攻の母 鳥濱トメ物語~」を新宿の新国立劇場(小劇場)で観た。何よりも、大林さんの多才ぶりにあらためて感心した。公演は12月13日(日)まで。ぜひご覧ください。

MOTHERの公式サイトはこちら



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TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
アルアハリ 0対2 オークランドシティ
2009/12/10 NTV

クラブワールドカップ2009が開幕した。

第1戦は、オセアニア代表のオークランドシティと開催地代表のアルアハリ。戦前のぼくの予想では、地元の利もあることから、アルアハリが勝つだろうと思っていた。この予想の裏には、アルアハリが、過去にクラブワールドカップで活躍したエジプト代表のチームと混同していたこともあった。

試合は、前線からバランスよく選手を配置して守り、サイド攻撃からの鋭いクロスで少ないチャンスをものにしようとしたオークランドシティが、その狙いどおりに得点をあげ2対0で勝った。

ともにレベルは高いとは言えない対戦だった。勝負の分かれ目は、勝利へのモチベーションの差だったのではないか。アルアハリの開催地のプライドあるいは責任よりも、28年ぶりにワールドカップ決勝大会出場を決めたばかりのニュージーランドの勢いのほうが上回っていた。

勝ったオークランドシティには厳しい戦いが続くが、その経験は南アフリカでも役に立つはずだ。次の試合でも、勢いをそのままに、持ち味を発揮して、チャレンジしてほしいと思う。

UAEのアブダビで始まった今年のクラブワールドカップ。過去、約30年間、トヨタカップを追い続けてきた者にとって、12月の風物詩だったイベントが海外に行ってしまったことは、なんともさびしい。

というわけで、急遽、アブダビに行くことにした。来週の火曜日の夜に羽田を出発し、関西空港、ドバイを経由する。バルセロナが出場する準決勝と、最終日の3位決定戦と決勝戦を見る予定だ。

初めての中東で、日本のチームが出場しない大会を、楽しんでみたい。



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南アW杯・組み合わせ抽選会
2009/12/5 NHK総合

南アフリカ・ワールドカップのグループリーグの組み分けが決まった。

FIFAランキングが最下位に近いにもかかわらず、開催国ということでシードされた南アフリカのグループに、本来シードされてもいいはずのフランスが入ったことで、全体的にバランスのとれた組み分けとなった。

そのなかで、ヨーロッパ予選を1位抜けした国が2つ入っていて、かつ、4カ国のランキングの合計が2桁におさまった3つのグループは、とくに激戦が予想されると思われ、注目したい。

その筆頭がD組(ランキング計=84)だ。ドイツ、オーストラリア、セルビア、ガーナ。スタイルが異なる4カ国の争いが楽しみだ。

優勝候補のスペインが入ったH組(ランキング計=74)もおもしろい。堅守のスイスに、南米予選2位通過のチリ。欧州選手権で花開いたスペイン・サッカーが、ワールドカップの本番で再び咲き誇るのか。

そして、もうひとつが、日本がいるE組(ランキング計=84)だ。オランダ、デンマークの欧州1位抜けに加えて、カメルーン。名実ともにワールドカップ・クラスが顔をそろえた豪華な、そして厳しい組となった。日本の運命は、6月14日の初戦のカメルーン戦にかかる。

万が一(失礼!)、日本がE組2位で勝ちあがり、さらにベスト8まで進むと、準々決勝はヨハネスブルグ(7月3日)で戦うことになる。日本が進出してくることは想定外だが、その試合のチケットは購入済みである。そうなると、ぼくとしては、W杯の本大会で、初めて日本の勇姿を見ることができるのだが、はたしてどうなるか。

ほかの注目としては、ブラジル、ポルトガル、北朝鮮、コートジボワールのG組。1966年イングランド大会で対戦した北朝鮮とポルトガルの44年ぶりの対戦。また、ブラジルからの帰化選手を多く抱えるポルトガルとブラジルとの戦いはどんな展開になるのか。

アルゼンチン、ナイジェリア、韓国、ギリシャのB組も興味深い。この4カ国のうち、アルゼンチン、ナイジェリア、ギリシャは、1994年米国大会のグループリーグで一緒だった(もう1カ国はブルガリア)。マラドーナが薬物違反で途中から出場停止になり、アルゼンチンがぎりぎりグループリーグを突破した大会である。そのときの二の舞にならなければいいのだが。

半年後に迫ったW杯。組み分けが決まってくると、いよいよという感じである。そろそろ、観戦旅行の準備も本気にならなくては。




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浦和 0対1 鹿島
2009/12/5 NHK総合

鹿島アントラーズが、リーグ史上初のJリーグ3連覇を果たした。3連覇の1年目は、最終戦で浦和が横浜FCに破れたことで、ころがりこんできた優勝だったが、3年目はその浦和を破っての見事な自力優勝だった。

この試合での勢いは浦和が上回っていた。浦和の選手たちにとって、無冠に終わることになったシーズンのホーム最終戦に期すものは大きかったはずだ。しかし、勢いだけでは、ゴールに迫れても、ゴールを奪うことはできなかった。

浦和には勢いがあったが、対する鹿島には、それを正面から受け止める落ち着きと忍耐力があった。ときどきテレビの画面にアップになる鹿島の主将、小笠原の不敵な表情に、それがしっかりと現れていた。そして、後半21分、カウンターから内田のアーリークロスを興梠がヘッドであわせて、見事な決勝点となるゴールを決めた。

シーズンの後半、一時失速し、川崎フロンターレとのきわどい優勝争いとなったが、最後は、ガンバ大阪、浦和というライバルを続けて破り、きっちりと勝ちきった。鹿島と川崎Fの間には、勝ち点差以上の力の開きがあった。



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