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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



クラマーさんを訪ねる旅(22)


ミュンヘン1860の練習を見た後は、練習場の入口付近にある小さなレストランで昼食をとる。3、40人が入れるほどのこじんまりした部屋の壁には、このクラブの数少ない過去の栄光の証が飾られていた。

注文したソーセージがゆで上がるのを待つ間、クラブの歴史を物語る写真を眺めながら、とてもしょっぱいプレッツェルというパンにありつく。ビールはすすむのだが、あまりの塩辛さに、まわりにこびりついている塩の固まりをこすり落としながら食べる。

そのうちに、鍋に入った白ソーセージが運ばれてくる。それぞれの皿に一本づつとりわけた、大きな白ソーセージは、このツアーのガイド役の明石さんに教わりながら、まわりの皮をむいて、マスタードをつけて食べる。ブンデスリーガ2部のチームのクラブハウスで味わう、これがドイツの庶民の味かもしれない。

10人ほどの東洋人がわいわいとソーセージをほおばるのを見て、他のテーブルの客が「あなたたちは、何者だ?」と聞いてくる。たしかに20歳そこそこの女性から、旅の疲れがたまってきている爺さんまでの怪しげなグループなど、街中ならともかく、サッカー場の名もないレストランで見かけることはないだろう。

地元のファンをちょっと驚かしてしまったおわびに、ぼくらは、隣接するファンショップで、ミュンヘン1860のグッズをたっぷりと買って、次のクラブに向かった。



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2008/9/24 グランドプリンスホテル新高輪・飛天

北京オリンピックで悲願の優勝を果たしたソフトボール日本代表の優勝祝賀会に参加してきた。立食形式で2000人以上を収容できるグランドプリンスホテル新高輪の「飛天」に、おそらく1000人近くの来賓、関係者が集まっての盛大なパーティとなった。まさにオリンピックの金メダルの力。ただし、ソフトボールに限って言えば、過去3回のオリンピックで、4位、2位、3位と手が届きそうで届かなかった金メダルだけに、喜びもひとしおであり、それゆえの盛会である。ちなみに、団体競技の金メダルは1976年モントリオール大会の女子バレーボール以来である。

何人かの来賓挨拶のなかで、IOC委員の岡野俊一郎さんが、元監督であり、今大会はテレビの解説をしていた、宇津木妙子前監督の功績を褒め称えた。これまでの積み重ねの結果の金メダルと考えれば、当然のことである。

オリンピックの前の壮行会で、今回金メダルを獲った選手たちが、宇津木さんの周りに集まり、訓示を受けていた光景を思い出した。現ヘッドコーチ(監督)は斉藤春香さんだが、彼女を含む日本代表には宇津木イズムが浸透し、ゆるぎない1本の幹になっている。1996年アトランタで芽を出し、12年後に大輪の花を咲かせた。

その宇津木妙子さんにサインをもらいながら、「(来春の)WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表の監督をやってもらえませんか?」とたずねてみた。「まだ、ミズノからは、ユニフォームの話がこないわねぇ」と、冗談ながら、まんざらでもない様子だった。

ソフトボール日本代表のパフォーマンスからにじみ出ていた、宇津木さんが植え付けた厳しさ、執念、チームの一体感といったものが、北京での星野ジャパンから感じることはなかった。北京オリンピックの野球日本代表に足りなかったものは、まさに宇津木イズムだった。

ならば、宇津木さんを野球日本代表の監督にという考えがあってもいいと思うのだが。



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クラマーさんを訪ねる旅(21)


バイエルン・ミュンヘンの勝利を見た翌日、ミュンヘンの2つのクラブハウス(練習場)を訪ねた。

まずは、ミュンヘン1860。ブンデスリーガ2部で戦う1860年に創られた伝統あるクラブである。ちなみに、バイエルン・ミュンヘンの創設は、その40年後の1900年。1860が、水色と白のバイエルン州の色をチームカラーとしているのは、そのためだろう。

5面(内1面は人工芝)のサッカー場で、トップチームからユースまでが練習していた。人工芝は厳重に柵に囲われているが、他の練習中のフィールドには、手すり程度の柵があるだけ。かたわらには、レストランがあり、その前にテーブルとパラソルが並べられていた。

子どもたちは練習場の近くで、手すりに上って腰かけたり、思い思いの格好で、大人たちはパラソルの下でビールを飲みながら、自分が応援するチームの練習風景を見ている。大人から子どもまで、のんびりと練習場にいることを楽しんでいる。

前日に見たアリアンツ・アリーナでも感じたことだが、選手とサポーターの距離が近い。と同時に、選手とサポーターがお互いの接し方をきちんと(と言うと堅苦しくなるが)わきまえている。要はサッカーというスポーツが、試合でも、練習でも、選手でも、すべてがドイツ人の生活に溶け込んでいるということなのだと思った。

肩肘はらずに、自然体でサッカーを楽しめることが、いかに貴重なことなのか。

Jリーグの柏対鹿島の試合で、鹿島のサポーターが柏の選手を大型フラッグで叩くという暴挙の報道を見て、あらためてドイツと日本の間の大きな違いを感じた。



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クラマーさんを訪ねる旅(20)
バイエルン・ミュンヘン 4対1 ヘルタ・ベルリン
2008/8/31 ミュンヘン・アリアンツアリーナ


初めてのブンデスリーガの生観戦。最前列で見るブンデスリーガの迫力は、やはり格別だった。

すぐ目の前を、バイエルン・ミュンヘンの左サイドのラームが何度も駆け上がり、チャンスメイクに絡む。その運動量は半端でない。トップのトニの体の大きさもテレビで見る以上だ。

今季、クリンスマン監督のもとで、まだ勝ち星がないバイエルンだったが、この日はホーム6万9000人の声援に後押しされ、序盤から優勢。そして、前半12分、トニがパスを受けながらディフェンダーをかわし、丁寧にゴール右隅に決めた。クリンスマンが小躍りして喜び、アシスタントコーチと抱き合う。

押しながらも前半を1対0で終えたバイエルンの追加点は後半の早い時間に生まれた。左サイドから中に切り込んだラームが、ゴール右隅に追加点を決める。2006年のドイツW杯の開幕戦の先制ゴールを思い出させるようなゴールだった。

2点をリードされた、ヘルタは、10番のブラジル人ラファエルのドリブルで果敢に攻め込むが、ルシオ(186cm)、デミケリス(184cm)、ファン・ヴァイテン(196cm)の超大型最終ラインを突破することはできない。バイエルンがPKで2点を追加し、4対0となった後、カウンターからオフサイド気味に抜け出して、1点を返しただけだった。

後半途中からは、ラームが前線に攻め上がることもなくなり、中盤のゼ・ロベルトを中心としたボールキープ的な展開になる。その中で、交代出場した選手が、自らをアピールするような攻撃姿勢を見せていたのが印象的だった。

期待にたがわず、スピード、激しいコンタクトが印象に残った。そして、後半、バイエルンが2点リードした後のこと。クローゼがポストに当たる惜しいシュートを放ったまま、その場で悔しがっていたら、クリンスマンがベンチから飛び出して、早く戻れと大きなアクションで必死に指示をしていた。このあたりの厳しさがドイツサッカーの源流なのかとも思った。

試合は、4対1でバイエルンの完勝。残り10分ごろには、ウェーブも始まり、今季初勝利を祝うお祭り状態となった。




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チャンピオンズ オン アイス2008
2008/9/14 新横浜スケートセンター

「チャンピオンズ オン アイス」は、もともとフィギュアスケート世界選手権のメダリストたちが中心になって始めたアイスショーである。主に北米を回る、このツアーに呼ばれることは、スケーターにとって大きな名誉だ。日本での公演は3年目となり、初めて首都圏で開催された新横浜公演を見に行った。

主な出演者は、日本人では、荒川静香、村主章枝、安藤美姫、本田武史、織田信成ら。海外からは、ベテランのスルヤ・ボナリー(フランス、2005年世界選手権2位)、ジョニー・ウィア(米国、2008年世界選手権3位)、井上玲奈&ジョン・ボルドウィン(米国、2006年全米選手権優勝)、マリナ・アニシナ&グウェンダル・ペーゼラ(フランス、2002年ソルトレイク五輪優勝)、そして、ステファン・ランビエル(スイス、2007グランプリファイナル優勝)。さらに、ヴァイオリニスト川井郁子の生演奏を加えて、今年のテーマ「カルメン」を描いていく。

観客2000人ほどの小さな、冷んやりとしたスケートリンクが、ショウの始まりから華やかな雰囲気に包まれた。競技よりも、演技の時間は短めで(ショートプログラム程度か)、ジャンプの回数も少ない分、細かな演技や演出に力が入る。

第2部の後半、安藤美姫、ウィア、ランビエルらの演技を見ていて不思議な思いをした。演技をしているスケーターたちが、時間がたつにつれて大きく見えてくるのである。演技に見とれているうちに、スケーターたちが、見ている者の心のなかに大きく入り込んでくるかのように。これがチャンピオンたるゆえんなのか。

関係者の話では、スルヤ・ボナリーは6週間前に膝の手術をしたばかり。また、アイスダンスを踊ったマリナ・アニシナは妊娠4か月だそうだ。当然かもしれないが、観客のために、チャンピオンたちが真剣に取り組んでいる。観客の一番のお目当てのランビエルも十二分に期待にこたえるパフォーマンスを見せ、観客を総立ちにさせた。

チャンピオンたちは、競技会とは違った、ショウならではの、観客との真剣勝負に挑んでいるのかもしれない。



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J1 浦和 0対0 大分
2008/9/13 埼玉スタジアム2002

Jリーグ上位同士の対戦に、好ゲームを期待したが、それはかなわなかった。蒸し暑さのなか、スピード感がなく、間延びした、退屈な引き分け試合だった。

ナビスコカップで初の決勝進出を果たしている大分にとっては、とくに残念な引き分けだった。ホベルトとエジミウソンが中盤の底を支配し、攻守に安定感をもたせる。がっちりとした体格で、強さがあるウェズレイと森島の2トップは、しっかりとくさびの役目を果たしながら、自らもゴールへ向かう。これに、強烈な左足を持つ鈴木(慎)や売り出し中の金崎がからみ、とくに後半は優勢に試合を進めた。終盤、シュートをポストに当てるシーンもあり、アウェーとはいえ、悔やまれる引き分けだった。

浦和は、代表戦で活躍した田中(達)がケガのためか、出場せず。永井、高原、ポンテの前線のトライアングルは最後までかみ合わなかった。浦和の攻撃のなかで、唯一大分を脅かしたのは、左サイドから攻め上がってはシュートを放っていた相馬だけ。浦和にとっては、勝ち点1をとれただけでも、ありがたいと思える試合だった。

その浦和にとっては、連覇のかかるACLチャンピオンズリーグが始まる。早速、水曜日にはクウェートでの試合が待っている。この日の大分戦のような内容では、相当苦戦することはまちがいない。

また、この日の観客数は、3連休の初日の上位を狙う対戦にもかかわらず、浦和としては少しさびしい約4万5000人だった。

王者、浦和のふんばりどころがきている。



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クラマーさんを訪ねる旅(19)
バイエルン・ミュンヘン 4対1 ヘルタ・ベルリン
2008/8/31 ミュンヘン・アリアンツアリーナ


さて、腹ごしらえをして、最前列の席に戻る。途中、ぼくらの席があるブロックの最上段の記者席で、両チームのメンバー表を配っていたので、しっかりといただく。

日本では、というか多くのスタジアムでは、一般席と記者席はきちんと区切られているが、ここアリアンツ・アリーナでは、セキュリティのスタッフが立っているものの、厳重に区切られているわけではない。このブロックは、一般に売っていない、招待席だということもあり、観客の良識にまかせているようだ。

ベンチの上にたむろしてサインをねだる子どもたちへの対応もそうだが、セキュリテイのスタッフや案内スタッフが、観客に対して、あれこれ口をだすことはない。観戦マナー、観戦ルールがしっかりと身についているということなのだろうと思う。

メンバー表を手に、席について、いよいよ試合開始を待っていると、何やら、ぼくの視界が芝生の壁でさえぎられた。目の前を選手たちが入場してくるはずなのだが、これでは選手が見えないではないか。

横から見てみると、選手たちは、ちょうどぼくらの席の下を通って、ピッチに出てくるのだが、その通路の口をふさいでいるフタになっている部分が、入退場のときにせりあがるようになっているのだ。

そのフタの部分が、ぼくの目の前に現れたのである。

スタジアムが沸いたので、選手が入ってきたのだろうなと想像するしかなかった。両チームが並んでも、選手と審判の頭のてっぺんしか見ることができなかった。せっかく、かっこいい写真を撮ろうと思っていたのに、台無しである。

特等席には、特等席ならではの欠点があった。

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クラマーさんを訪ねる旅(18)
バイエルン・ミュンヘン 4対1 ヘルタ・ベルリン
2008/8/31 ミュンヘン・アリアンツアリーナ


アリアンツアリーナの自分の席を確認してから、スタンドの裏にある売店をのぞいてみた。ライト・イム・ウィンクルからミュンヘンのホテルまで思いのほか時間がかかってしまい、昼食をとっていなかったので、試合前の腹ごしらえをしたかったこともある。

ここの売店では現金は通用しない。売店とは別のところで「アリーナ・カード」を買って、売店では、そのカードで決済する。近代的なスタジアムではよくあるやり方である。

とりあえず10ユーロのカードを買って売店の列に並ぶ。周りを見ると、ぼくのカードと違うデザインのもののほうが多い。赤い色からして、どうもバイエルン・ミュンヘンのファンクラブのカードのようだった。おそらくクレジット機能を持っていて、いちいちアリーナ・カードを買わなくても済むようになっているのだろう。

ぼくの番になったので、カードを読み取り機にかざして、ウインナーソーセージとホットドッグを買う。ついでにビールを買おうとしたら、カードの残金が足りなくなった。また、アリーナ・カードを買いに行くのもめんどうなので、ビールはあきらめる。

売店でホットドッグを買って、どこで食べようかと、うろついていて気がついた。誰もがみんな、柱や壁の脇で、ビールを飲み、ソーセージやパンをかじっている。よく見ると、柱や壁のちょうどいい高さのところに幅15cmほどのテーブルが、ひさしのように突き出ているのだ。日本のスタジアムでは見たことない。細かいことだが、とっても便利。

いつでも、どんなときでも、語らいながら、ビールを楽しく飲みたいという気持ちが、こういう工夫を生むのだろうなと思った。



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クラマーさんを訪ねる旅(17)
バイエルン・ミュンヘン 4対1 ヘルタ・ベルリン
2008/8/31 ミュンヘン・アリアンツアリーナ


クラマーさんと別れ、珍しく渋滞のアウトバーンを走り、ミュンヘン市の南西部に位置するガウティングという町のガウティング・ホテルに移動した。思ったより時間がかかったため、荷物を置いて、一服してすぐに、アリアンツアリーナに向かった。

夕方の5時から、バイエルン・ミュンヘン対ヘルタ・ベルリンの試合観戦である。この試合のチケットも、バスの駐車証と一緒に、クラマーさんが用意してくれた。

チケットに値段が書いていないので、きっと招待席なんだろうと推測する。今シーズンのブンデスリーガのチーム・選手名鑑となっているキッカー誌で調べてみると、メインスタンドの真ん中あたりのようだった。おまけに、2列目と表示されている。

そして、いざスタジアムへ。試合開始1時間半ほど前に到着し、VIP入口からスタンドに向かう。案の定、スタジアムの真ん中あたりの階段からピッチに近い席へと下っていき、2列目にたどり着いたら、そこはなんと両チームのベンチのすぐ上の最前列だった。センター付近にはベンチがあるため、1列目がないのである。

「近すぎて見にくいなぁ」と贅沢を言う者あれば、国立競技場の聖火台の下を定位置とするベテランサポーターのTさんは「落ち着かないなぁ」とこぼしながら、みな、クラマーさんの完璧な準備に感謝した。

試合前、ぼくらの前には、つまり両チームのベンチの上には、選手のサインをもらおうとする子どもたちが群がっていた。なかには、自前の派手なプラカードで、「あなたのユニフォームをちょうだい!」とおねだりする少女もいた(写真)。

「試合前の選手が、こんなところで、サインをしてくれるのだろうか?」と思って見ていると、ウォーミングアップを終えた選手が、ロッカーに戻るときにサラサラッと、試合直前には、先にベンチに入る控えの選手や、なんとクリンスマン監督までもが、ベンチの屋根の上で、サインをするではないか。全員にサインできるわけでもないので、ファンサービスのデモンストレーションと見えなくもないが、ここまでするかと驚く。

控えの選手やクリンスマン監督が、何人かにサインをしてベンチに座ってしまうと、サインをもらえた子どもはもちろん、もらえなかった子どもたちもあきらめよく、スーッと自分の席に戻っていく。このあたりの、あ・うんの呼吸は、なんとも見事だった。

クラマーさんが用意してくれた特等席でなければ気がつかないドイツのサッカー・シーンがあった。



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クラマーさんを訪ねる旅(16)


8月31日、3日間滞在した、ライト・イム・ウィンクルを出発する日だ。

ミュンヘン市内を観光するために、朝早くホテルを出発した仲間を見送った後、散歩に出ると、小学生くらいの女の子と先生が乗った馬の隊列にでくわした。パッカ、パッカと小気味よいひづめの音が静かな町に響き渡る。

朝、比較的余裕のあるこの旅行では、ぼくは朝食の前に必ず散歩するようにした。

デュイスブルクでは、ピシッ!ピシッ!という、ドングリが爆ぜる音や近くの湖にいる鴨(?)の鳴き声を聞きながらスポーツシューレの森の中を歩いた。ここライト・イム・ウィンクルでは、昨日までは、壮大なチロルの山々を見ながら、静かな澄んだ空気を満喫し、最後の朝は、ひづめの音と少女の「グーテン・モルゲン!」という声で心と体が目覚めることとなった。

出発の11時少し前に、クラマーさんがクルマでやってきた。残っていた者と一緒に、ホテルをバックに記念撮影をする。そして、昨晩のパーティの場で、渡し損ねた中条さんの著書を贈呈する。一人一人としっかり握手をしながら、「さよなら」と日本語で言ってくれるクラマーさんに対して、ぼくらは、心からの「ダンケ・シェン!」でお返しをした。

バスが走りだした後も、クラマーさんはずっと見送ってくれていた。これで、クラマーさんとは、しばしのお別れである。なぜ、しばしの別れなのか?

実は、クラマーさんは、来月10月の中旬に、埼玉サッカー100周年のイベントで、来日する予定なのである。


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クラマーさんを訪ねる旅(15)


クラマーさんへの感謝のパーティを終え、ホテルに戻った後、ちょっと飲み足りない仲間で街中に出かけた。

夕方、サッカーの試合を見たサッカー場の近くに、町の集会場のような建物があったので、ちょっとのぞいて見る。すると、中はビヤホールのようになっていて、民族衣装を着飾った老若男女が生演奏をBGMに踊っている。この日は、町のお祭りのようだった。

そのホールは地元の人たちでいっぱいだったため、隣部屋のレストランで飲むことにしたのだが、そこで、FCライト・イム・ウィンクルの監督(写真)に出くわした。当然、ビールに誘う。

聞けば、今、ちょうど60歳で、年金生活をしながらボランティアで監督をしているとのこと。この日の試合は、0対1で負けてしまったが、昨シーズン、9部だったチームを8部に昇格させた優秀な監督だと言っていた。

また、クラマーさんと同じように、「おれたちのサッカー場はドイツで一番素晴らしい。もちろん、サッカー場から見える風景のことだが」とも。

そして、最後にこんなことも言っていた。「人生は楽しむことが大事なんだ。おれにとっての楽しみは、うまいものを飲み食べること、女、そしてサッカーだ」



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クラマーさんを訪ねる旅(14)


今回の旅の目的である「クラマーさんへの感謝のパーティ」は、クラマーさんの友人が経営する“BERGGASTHOF JEDERER REIT IM WINKLE”という、近くの山の中腹にあるホテル兼レストランでおこなわれた。

まだ、明るいうちに、チロルの山々を望みながら、おいしいラム肉のステーキとビールでおなかを満たす。その後、テラスから室内に場を移して、ドイツのシャンパンを飲みながら、中条さん、クラマーさんの思い出話を聞いた。

クラマーさんの話す内容は、中条さんが書かれた「デットマール・クラマー 日本サッカー改革論」(ベースボール・マガジン社)に盛り込まれていることが多かったが、改めてご本人から聞くことで、ずしりと心に響くものがあった。途中、中条さん、クラマーさんの目には涙が浮かんでいた。そこには、半世紀におよぶ長い時間をかけて培われた重さがあった。

クラマーさんと奥様への、そして中条さんへのプレゼントをお贈りして、静かなパーティは終わりとなった。最後に、まだクラマーさんのことを書き足りていない中条さんは、来年もまた取材に来ることを約束していた。



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クラマーさんを訪ねる旅(13)

FCライト・イム・ウィンクル対SVエリスタット
2008/8/30 町のサッカー場


クラマーさんのサイン会のあと、地元のFCライト・イム・ウィンクルの試合観戦に行く。

場所は、ホテルから歩いて5分ほどのサッカー場である。サッカー場といっても、特にスタンドがあるわけではなく、野原にゴールが置いてあり、片側のタッチライン沿いに広告看板が立っているだけである。しかし、ピッチの芝生は素晴らしかった。デュイスブルクやミュンヘンのスポルト・シューレのサッカー場にもひけをとらない見事な芝生だった。さらに、クラマーさんが言う。「ここは、ドイツで一番美しいスタジアムだ。背景のチロルの山々は、どこのスタジアムにもないものだ」

試合は、地元のFCライト・イム・ウィンクルとSVエリスタットの対戦だった。ブンデスリーガの1部から数えて、8部に相当する正式なリーグ戦である。地域リーグの形をとっていて、近郊の14チームがホーム&アウエーの総当たり戦を行って成績を決める。選手はみなアマチュアで、ライト・イム・ウィンクルの場合は、週に3度、仕事を終えた後、みっちり練習をするということだった。

のんびりと町の人々が観戦するなか、8部とはいえ、ドイツ・サッカーの片鱗を感じさせる試合が始まった。スピードにのった突破を、体をはってくいとめる。ただし、前半の途中で、かなり足は止まってしまったが……。

この試合、ラインズマンは、双方のチームから出すことになっているようだった。しかし、フラッグを渡された控えの選手は、自軍のベンチの脇に立ったままの位置で試合を見て、ときどきオフサイドを示すフラッグをあげるいい加減さだった。しかし、誰も文句は言わず、若い主審は広い範囲を動きまわり、試合をコントロールしている。日本なら考えられない光景だろう。

また、試合が始まると、若者2人組が観戦料として募金を集めに回って来た。ぼくたち、日本人に対しては要求はしてこなかったが、仲間が数ユーロ寄付しておいた。こんなクラブ運営もあるわけだ。

クラブのメインスポンサーは地元のスポーツ店。看板には19社の広告があった。ビールのレーベンブロイといった大企業から、おそらくは地元の商店などまで。ちなみに、珍しいので、地元チームのユニフォームを買いたいと言ったら、「そんなものは、ない」ということだった。

前半が0対0で終わったところで、ぼくらはクラマーさんとの夕食の会のために、ドイツで一番美しいサッカー場を後にした。



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2010年W杯アジア最終予選
日本 3対2 バーレーン
2008/9/7 NHK-BS1

得点こそなかったもののフォワードの田中(達)、玉田が攻守に光っていた。前線からしつこく守備をし、ボールをもったときには果敢に突破を試みる。その結果、俊輔の先制点を生んだフリーキックを得た。

高さがないことが弱点かもしれないが、平面的な速さを駆使して、反則を奪い、フリーキック(セットプレー)から得点を狙う。今後の日本の攻撃の有効なパターンになるだろう。

しかし、田中(達)や玉田のチェイシングに破綻が生じると、とたんにピンチの連続になることもわかった。

後半、日本が選手交代した後のこと。前線でボールを追いかけていた田中(達)が、自分の動きに、中盤が連動していないことに、「えっ!?」という顔を見せたシーンがあった。自分が追い込んだ次を、中盤の(日本)選手が狙っているだろうと思っていたに違いない。しかし、そこには誰も詰めていなかった。

そんなシーンの後に、いとも簡単に、日本は2点を奪われた(1点はオウンゴールだが)。

今の日本の力をもってすれば、アジアで勝ち抜くことは難しいことではない。しかし、それには、ピッチに出ている11人がさぼらずに、ひとつにまとまっていることが最低条件になる。



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クラマーさんを訪ねる旅(12)

ツアー4日目となる8月30日は、夕方から、地元のサッカーの試合を見て、その後、クラマーさんと夕食をとる予定だったが、急きょ、その前に、クラマーさんのサイン会をすることになった。

中条さんが書かれた「デットマール・クラマー 日本サッカー改革論」(ベースボール・マガジン社)を、20冊ほど持ってきたので、それにクラマーさんと中条さんのサインをいただく。そのほかにも、みんながユニフォームや色紙にサインやメッセージをもらった。

約1時間ほど、いやな顔も見せずに(ときどきあきれ顔にはなったが)、丁寧にサインを書き続けてくれたクラマーさんに感謝。

熱心にサインをしてくれるクラマーさんの勢いにつられてか、クラマーさんにプレゼントするはずの本にまで、サインをもらってしまったほどだった。



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