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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



全日本柔道選手権大会
(2007/4/29 日本武道館)

井上康生が戻ってきたこともあり、例年以上に注目が集まった大会となった。

九段下の駅から日本武道館に向かう途中、田安門のあたりでは、大勢のダフ屋が余ってるチケットを求めていた。午前11時30分に会場に着いたときには、8割がたの席は埋まっていたのではないか。夕方の5時過ぎまでの長い戦い。これまでだったら、ベスト8が出揃う午後3時ぐらいになって満員状態になるところだ。観客の出足も早い。

ケガから復帰の井上康生、昨年の王者、石井慧はまだ学生。雪辱を狙う鈴木桂治。全日本選抜体重別で100kg超級を制した高井洋平。昨年のアジア大会で100kg超級の金メダリスト棟田康幸。昨年のこの大会で3位となった生田秀和、泉浩。他にも虎視眈々と優勝を狙う実力者が揃った。

そして、ベスト8には、棟田、高井、鈴木、石井、泉水、井上が順当に残り、片渕慎弥と庄司武男が加わった。いよいよ、そこからが見どころと思っていたが……。

今年の大会は、膠着状態が続く試合ばかりで、はっきり言って面白くなかった。柔道の醍醐味である一本勝ちが少なかった。ベスト8が出揃ってからの7試合のうちで、一本勝ちは、井上康生が泉浩を押さえ込んだのと、鈴木桂治が片渕慎弥を小内刈りに沈めた2度だけ。

もともと無差別級=最重量級同士の力が接近している対戦なので、そう簡単に一本はとれないと思って見ているが、それにしても寂しい内容だった。

大観衆が判定の結果にどよめくことはあったが、豪快な一本勝ちに歓声をあげることはほとんどなかった大会だった。若手の新たなスターの登場を願う声もあるようだが、井上(28歳)、鈴木(26歳)だって、まだまだ若い。彼らを筆頭に、柔道界全体の精進が必要なのではないか。

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全日本柔道選手権大会
(2007/4/29 日本武道館)

昨年と同じ対戦となった決勝戦を制した鈴木桂治(平成管財)が2年ぶりの優勝を飾った。優勝インタビューで、本人が言っていたように、優勝の要因は、穴井戦で勝ちを拾ったことと、その後の開き直りだった。

鈴木は、2回戦(鈴木にとってこの日の緒戦)で、大藤尚哉(総合警備保障)を小外刈り一本で退け、3回戦で100kg級で台頭しつつある穴井隆将と対戦した。穴井は天理大学を卒業したばかり。傍で、天理大の大先輩、篠原信一が指示と声援を送る。

無差別級の大会にあっては、スピードあふれる試合展開となった。しかし、攻めながらも互いに決め手を欠くなかで、終盤、穴井が積極的に仕掛けて、時間切れとなり、判定に持ち込まれた。

6分間の試合時間の終わりを告げるブザーが鳴ったとき、穴井は、通路で声援を送っていた篠原に向かって、「やった!これでいいですね!」というような自信の表情を見せた。篠原も小さくガッツポーズをしていた。一方の鈴木は小首をかしげ、負けを覚悟したような表情だった。

しかし、判定は2対1で鈴木の勝ち。武道館を埋めた観客からも「エーッ!」というどよめきがあがり、篠原もがっかりした表情で、控え室に戻っていった。

その後の2試合(準々決勝、準決勝)の鈴木には、本来の切れ味が戻っていた。とくに準決勝では、片渕慎弥(JRA)を相手に、開始28秒、小内刈りで鮮やかな一本勝ちをおさめた。そして、決勝戦。旗判定になったが、3対0と石井慧(国士舘大学学生)を見事にくだした。

日本柔道界の精鋭が集結するこの大会で優勝するためには、5試合(または6試合)勝ち続けなければならない。そして、そのためには、実力とともに運が味方してくれることも、時に必要である。

鈴木にとって穴井戦の勝利は、実力よりも運がよかったといえるものだった。ただ、それを無駄にしなかったのは、やはり鈴木の実力があってこそのものだった。

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今から半世紀ほど前、1960年代に日本代表を指導し、日本サッカー界の改革に尽力し、「日本サッカーの父」と呼ばれるデットマール・クラマーさんが、アビスパ福岡や福岡県サッカー協会の招きで5月中旬に来日するらしい。

アビスパ福岡のリトバルスキー監督との「ドイツつながり」でのキャスティングのようで、アビスパ福岡対サガン鳥栖戦での式典や福岡市内での講演会が予定されている。東京地区での講演会等の予定についてはわからないので、福岡のサッカーファンがうらやましい限りである。

ここでは、クラマーさんに会えることを楽しみにしている方々に、予習として「クラマー取材ノートから」という連載記事を読んでおくことをおすすめしたい。元朝日新聞記者の中条一雄さんが当時の記憶と最近のインタビューから、クラマーさんのサッカー哲学、クラマーさんが日本で指導をすることになった背景、そして日本でどんな活動をしていたか、をまとめたものだ。当時の日本のサッカー事情もよくわかる。

聞くところによると、当時クラマーさんの通訳をしていた岡野俊一郎さんも読んでいるらしく、「あのときは、そうだったけなぁ……」などと、当時を振り返っているそうである。

クラマーさんに関するまとまった情報としては、2005年の暮れに来日したときのインタビューが、何本かネットに掲載されているぐらいで、そう多くはない。クラマーさんの初来日は、まだサッカーマガジンも創刊されていないころの話だ。そういう点でも、中条さんの連載は貴重なものと言える。

福岡のサッカーファンには、クラマーさんとの出会いをより有意義なものにするためにも、「クラマー取材ノートから」をご一読されることをあらためておすすめします。

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今日4月24日の早朝に、EURO2008のチケットの抽選結果を知らせるメールが届いた。グループリーグを5試合分申し込んだのだが、残念ながら、すべてはずれてしまったようだ。チーム追っかけチケットを申し込んだ友人からも「はずれました」とのメールがあった。1、2試合分は当たるだろうと思っていたのだが、さてどうしたものか。

といっても、今の段階ではどうにもならないし、あわててもしょうがないので、当分の間は、適当に公式サイトをのぞいて、チケット情報に注意を払っておくぐらいだろうか。

それにしても、EUROの決勝大会のチケット申し込みで全部はずれたのは、1996年のイングランド大会から4大会目にして、はじめてのことである。

1996年イングランド大会は、今と購入方法(条件)が違っていたけれども、問題なく希望通りに買うことができた。2000年のベルギー・オランダ大会は、ロッテルダムでのオランダの試合は、現地でダフ屋からだったが、他は事前に購入できた。2004年ポルトガル大会も、準々決勝4試合のうち3試合を申し込み、無事、入手できた。しかし、今回は……。

EUROの決勝大会も、回を重ねるごとにビッグイベント化し、インターネットによって世界中からチケットの申し込みが殺到するようになったのだから、仕方がないことだろう。たしか、ポルトガル大会では、一般向けのチケットに対する申し込みで、「部外者」といえる日本のサッカーファンからのものが、国別で5番目に多かったという。

いずれにしても、まだ、あと1年後のことなので、あわてず、さわがず、アンテナだけははりめぐらしておくとしよう。おっと、でもホテルだけは押さえておこうか。

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日曜日の夜の「やべっちFC」で、中村俊輔の優勝決定FK弾を偶然見ることができた。思わず鳥肌がたっていたのを確認していたら、TVのなかでも「さぶいぼが……」と言っていた。それほどの意外性(ゴールが決まったという意外性ではなく、まさかこの場面でという意外性だ)と芸術性を兼ね備えたゴールだった。スコットランド・リーグのMVPも受賞したそうで、なんともめでたい、中村俊輔。

その夜が明けて、月曜日の朝。今度は、松坂大輔の登場だ。松井のいないヤンキース相手に、かなり苦しい投球だったようだ。「ようだ」というのは、テレビで見ていたのではなく、インターネットで途中経過を読んで、想像していたからだ。しかし、味方打線の活躍で今シーズン2勝目。なんともラッキーな松坂大輔。

ところで、日曜の夜と月曜の朝のスポーツ中継を見ていて、ふと考えた。日本の週休2日制度の休日を、土、日曜日ではなく、日、月曜日にしてもらえないだろうかと。そうなっていたら、月曜日の松坂の投球をゆっくりと楽しめたはずだ。まぁ、MLBはほぼ毎日やっているから、あまり影響ないかもしれないけれど……。

ヨーロッパのサッカーは、原則として週末の土、日曜日の午後か夜におこなわれる。そして、メインゲームは夜が多い。日本時間では、日、月曜日の早朝だ。

一方、米国のプロスポーツのビッグイベントも当然日曜日にある。NBAのオールスターやNFLのスーパーボウルなどだ。ゴルフの最終日も、もちろん日曜日。米国の日曜日の午後は、日本時間では月曜日の午前中。

要は、ヨーロッパのサッカーと米国のメジャースポーツをリアルタイムで楽しむためには、日本時間の日曜日と月曜日をフリーにしておく必要がある。

スポーツフリークのささやかな願いをかなえるために、週休2日制度の見直しを。

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浦和レッズ 1対2 川崎フロンターレ
(2007/4/21 NHK総合)

前節で首位になった浦和レッズとそれを追う川崎フロンターレの対戦。2週間前に、ソウルで、FCソウル対水原の激しく荒っぽい戦いを見てきたせいか、やけにおしとやかなサッカーに見えた。

韓国・Kリーグの基準との違いが大きいことは理解できる。それにしても、中盤でちょっと接触があっただけで、簡単に選手は倒れてしまうし、当然のようにホイッスルも鳴る。そして、倒れた選手は、何かを訴えるようにレフェリーのほうを見る。

3度の得点シーンも、アシストとなったパスの出どころへのプレッシャーは甘かった。かわす方が巧いのか、かわされる方が拙いのか。あまりにあっさりしていた。

激しいぶつかりあいを期待しているわけではない。もちろん汚い、危険なプレーはいわずもがなだ。しかし、やはりひとつひとつのプレーが軽く感じてならなかった。プロらしい、もっと強くたくましい面も見てみたいと思った試合だった。

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FCソウル 0対1 水原
(2007/4/8 ソウルW杯スタジアム)

試合はキックオフ直後から、激しい、荒々しいものになった。

3月21日のカップ戦の雪辱を狙う水原と返り討ちにしたいFCソウル。しかし、ウォーミングアップの間に放映されたカップ戦のダイジェスト映像が、水原の選手たちの闘志に火をつけてしまったようだ。

互いに中盤で激しいチェイシングでボールを奪うと、すかさず前線にボールを運び、積極的にゴールに迫る。序盤の主導権争いでは、やや水原が優勢。しかし、互いに最終ラインまでを崩すことはできない。ただ、そのめまぐるしい攻防は、観客の目をピッチに釘付けにし、心を奪う。

Jリーグと比較すると、プレーのスピード感はあまり変わらないが、ボールを持っている選手が果敢に1対1を仕掛けていくこと、そしてそれを止める守備の激しさが格段に違った。試合全体のスピーディで激しい流れのなかに、1対1の局地戦が随所に見られる。

代表チームのプレーにもあわられているが、日本(Jリーグ)の場合、パスワークで相手を崩し、チャンスをつくろうとする傾向が強い。しかし、韓国(Kリーグ)では、まずドリブルで1対1の局面を崩すことで、突破口を開こうとする。

そして、それに対する守備は激しい。かなり汚いやりかたで止めようとするシーンも多い。「いまのはイエローカードだな」と思っていても、笛がならないことさえある。ファウルの基準に、それほどの違いがあった。Jリーグなら、前半で、2、3人退場になっていたかもしれない。それに、はっきり言って、レフェリーの判定もかなり怪しかった。

しかし、その汚さやあいまいさを、両チームの選手たちは、一応受け入れていて、ことさらレフェリーにクレームをつけるわけでもない。さすがに、終盤になって、FCソウルのキャプテン、イ・ウルヨン(元韓国代表)がレフェリーに文句を言って、イエローカードをもらっていたが。

良くも悪くも、この激しさとあいまいさが、Kリーグのスタンダードなのではないか。選手もそのスタンダードを基準にしてサッカーをし、それを見ている観客も、むしろ魅力的なものとして受け入れている。

その証に、この試合の観客数は、55,397人と、韓国国内のスポーツの公式戦としては過去最高だった。(2002年W杯や2006年のFCソウル対FC東京の親善試合はそれ以上だったが対象外とのこと。)

1点をリードしていた水原は、後半5分間のロスタイムの間も、ボール・キープによる時間稼ぎをすることもなく、果敢に攻め続けていた。勝利とともに、最後まで攻めるサッカーをして、満員の観客の期待にこたえる。これも、Kリーグ標準と言えるだろう。

2002年のワールドカップ共催を機に、「近くて近い国」になった韓国に、Kリーグという、Jリーグとは違う魅力をもつサッカーがあることを再認識した。

試合は、前半に1点を奪った水原がそのまま逃げ切り、カップ戦の雪辱を果たした。試合が終わってすぐに、両チームの激突を再び見たいと思った。

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FCソウル 0対1 水原
(2007/4/8 ソウルW杯スタジアム)

試合開始1時間前、FCソウルの友人が用意してくれたシーズンチケット(全試合用ではなく、1シーズン10試合観戦できるカード型のもの)をもって、スタンドに向かう。観客席はブロック指定であるが、実際にはほとんど自由席に近い。だから、ぼくらが使った、シーズン中に好きな試合を10試合みれるチケットの発行が可能なのだろう。チケットは非接触型ICカードで、ゲートの機械にかざして入場する。このあたりは、日本のスタジアムよりも進んでいるのではないか。

ぼくらの席は(スタンドへの入り口は)バックスタンドのややホーム寄りだったが、すでに1階席は満員状態だったため、2階席のアウェー側に近いところで見ることにした。2階席といっても、アジアで最大かつ最高級のサッカー専用スタジアムである。ピッチは近く、試合を見ることになんの不便もない。友人は「どの席からも死角がないのが自慢」と言っていた。

席に着くと、ちょうど大型スクリーンで、FCソウルの全選手の紹介ビデオが流れ始めた。映像のつくりもずいぶんとこなれてきていた。もっとも人気があったのは、一番最後に紹介された若きエース、パク・チュヨンだった。

ピッチでは両チームのウォーミングアップが始まっている。

続いて流されたのは、3週間前、3月21日におこなわれたカップ戦のダイジェスト。対戦相手は、この日と同じ水原だ。平日の夜に3万人以上を集めての試合は、水原が先制したものの、FCソウルが、パク・チュヨンのハットトリックなどで、4対1と逆転勝ちした。FCソウルにとって歴史に残る試合だった。

この映像のなかで、FCソウルのゴールが決まるたびに、場内がだんだんと騒がしくなる。FCソウルにとっては、歴史的なベストゲームだったが、一方の水原にとっては、屈辱的な敗戦である。水原の選手たちの闘志に火をつけてしまわないだろうか。

試合開始10分前。ウォーミングアップが終わり、スタメンの発表。水原はアウェーらしくさらりと終わる。FCソウルは、MC(司会者)がセンターサークルに立ち、スタメンの名前を叫び、サポーターをあおる。もともとスタジアムの放送の音量はかなり大きめだ。それに、韓国語の勢いある口調である。ぼくら日本人にとっては、ふだんJリーグのスタジアムと比べると、かなり騒がしく、盛り上がっているように感じる。

いつのまにか、スタンドが観客で一杯になっている。アジアで最大のサッカー専用スタジアム。大観衆の声と大音量の放送の音が、スタンドをぐるりと覆う屋根に反響し、増幅する。

エキサイティング・レベルが、一段と高くなって、いよいよ試合開始である。

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FCソウル 0対1 水原
(2007/4/8 ソウルW杯スタジアム)

2007年4月8日(日)の午後、快晴のソウル・ワールドカップスタジアムで、韓国プロサッカーリーグ(Kリーグ)第5節、FCソウル対水原の対戦を見た。2004年11月のKリーグ・ホーム最終戦以来、2年半ぶりに見たFCソウルの試合は、本当にエキサイティングだった。

試合開始2時間前に、スタジアムに併設されているショッピングセンターにあるスターバックスで友人たちと待ち合わせ。スタジアムへは地下鉄で向かったのだが、早くもFCソウルのレプリカを着た親子連れや対戦相手の水原のブルーを身に着けた若者たちと乗り合わせた。前回地下鉄で見たKリーグに関するものといえば、FCソウルの広告ステッカーぐらいだっのに。FCソウルがソウル市民に浸透してきていることがうかがえた。

その背景には、ドイツW杯代表であり、現在はU-22代表のエース・ストライカー、パク・チュヨンというスター選手を抱えていること。今シーズンからは、2002年W杯の3位決定戦で韓国を破ったトルコの監督だったギュネスを招聘し、ここまで3勝1引き分けと好調であること。もちろん、ぼくの友人たち、FCソウルのスタッフの営業努力も大きいに違いない。彼らはJリーグの浦和レッズやFC東京などの活動を非常に熱心に研究している。

また、ソウル・ワールドカップスタジアムが、ソウル市民の生活の一部として定着していることもあるだろう。2年前にもすでにあったのだが、大型ショッピングモール「カルフール」や複合型映画館が、スタジアムのバックスタンドの裏側にある。日曜日の午後、サッカー観戦とは関係なく大賑わいである。スタジアムの周辺を眺めると、マンションの数もずいぶん増えている。市の中心部まで、地下鉄や自動車で30分ぐらい。スタジアムを中心とした都市開発の成功が、FCソウルの観客増につながっているのは間違いないだろう。

試合開始時間が近づくにつれて、地下鉄の駅から続々と観客が湧き出てくる。スタジアムの回りでは、ファンクラブの申し込みや、その場で名前入りのレプリカを作ってもらえる売店に長蛇の列ができていた。

FCソウル対水原は、スタジアムに入る前からエキサイティングだった。

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サムソン財閥が、自宅の隣につくった美術館“Leeum SAMSUNG MUSEUM OF ART”をたずねた。実は、2004年11月にも訪れたのだが、当時は予約が必要で、入ることができなかった。日本からわざわざ来たといえば、一人ぐらいなら入れてくれるだろうと思ったのだが、特別な催し物があるということで、断られてしまったのだ。

今は、20人以上の団体でなければ予約は不要。というわけで、4月8日、日曜日の午前中に再び行ってみた。

地下鉄6号線・漢江鎮(ハンガンジン)駅から歩いて10分ほど。小高い丘の途中にある高級住宅街のなかの美術館。日曜日の午前中だけあって、静かな坂道を、ポツポツとカップルが歩いていく。その先に“Leeum”がある。

3つの個性的な建物が積み重なったような外観は、できれば上空から見てみたい。入場料は、常設コーナー(“Museum1”と“Museum2”)が10000ウォン、特別展の会場となる“Child Education & Culture Center”が7000ウォンである。今は、“Andy Wohool Factory”をやっている。

“Museum1”は、古い時代の青磁器など韓国の歴史的な美術品が展示されている。“Museum2”は、現代アートである。韓国国内だけでなく、広く海外から集めていた。残念ながら、美術を見る力に乏しいので、その価値を理解するにはいたらなかった。ただ、アンディ・ウォーホールのコーナーは、やはりなじみもあり、どこか惹かれるものがあった。

今回は、午後からサッカーの試合を見に行かなければならなかったので、どんなものが並んでいるのかぐらいしか見ることができなかった。解説用のデジタル機器のレンタルもあるので、次回は、もっとのんびりと時間をかけて観覧したいと思う。

2度、3度と訪れてみたい場所であることは、間違いない。

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昨年2006年秋に誌面・内容が大きく変わるまでは、通勤電車に乗る前にKIOSKで「週刊サッカーマガジン」を買って、電車のなかで読むのが、火曜日の朝の「習慣」だった。しかし、今や、その「習慣」はなくなり、コンビニエンスストアで特集や記事の中身をパラパラッと見てから、面白そうなときにだけ買うようになった。

ぼくが勤務する会社のビルの1階には “ampm” がある。最近は、昼休みなどに、そこで立ち読みをしてから、「サッカーマガジン」を買うことが多かったのだが…。この4月に入ってから(もしかしたら、もう少し前からかもしれない)、「サッカーマガジン」が、“ampm” の本棚から消えてしまった。発売日である火曜日の朝、ライバル誌の「サッカーダイジェスト」は何冊も置いてあるのに、「サッカーマガジン」はない。入荷が遅れているのかと、昼や夕方に行ってみても、やはりない。まさか、早々に売り切れてしまっているとも思えない。近所の別のコンビニを見ても、“ampm” にだけないようだ。

コンビニでの棚の獲得競争は熾烈である。POSシステムで売上状況を厳しく管理し、売り上げの少ない商品は、たちまち棚から消えることになる。雑誌も同じことなのだろうと思う。「サッカーマガジン」が消えるという現象が、ぼくの周辺の “ampm” だけのことなのか、それとも…。

たまにしか買わなくなったとはいえ、老舗の「サッカーマガジン」が不振にあえいでいるようで、なんともさびしい。


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韓国初日のプロ野球観戦では、調べていた時間よりも、試合開始時間が早まっていた。それでもかろうじて見ることができた。こんなことは、海外ならば当然だ。まぁ、よしとしよう。日にちがずれることだってよくあることだ。

韓国2日目は、日曜日。ここ数ヶ月、日曜日に必ずやっていることがある。「ビバ!サッカー研究会」というサイトのなかで、元朝日新聞記者の中条一雄さんが書いている「クラマー取材ノートから」という原稿をアップロードすることだ。縁あって、ぼくがやらせてもらっている。たいへん貴重な、そしておもしろい内容なので、ぜひご覧いただきたい。

出かける前に、ホテルのビジネスセンターで、自分のPCをインターネットにつなごうとしたのだが、どうもうまくいかない。フロントに聞けば「無理です」という冷たい答え。ネットにつなぐことができるから、このホテルにしたのに…。結局、夜、友人が泊まっていた別のホテルにPCを持ち込んで、ようやく作業終了。とりあえず無事にサイトにアップできたのでよしとしようか。

そして、3日目、最終日。飛行機の出発は夕方。特にすることもないので、2002年日韓W杯のときのように、明洞・ロイヤルホテルの上にあるサウナにはいって、マッサージをしてもらって、のんびりしようと思ったら、なんとサウナがなくなっていた。考えてみれば、あれからもう5年。韓国もずいぶん変わっているし、しょうがないか。

というわけで、早めに仁川空港に着くと、今度は、なんと飛行機の出発が1時間遅れになっているではないか。野球の開始時間が早まったかと思えば、飛行機の時間は遅くなる。最初から最後まで、なんともドタバタな韓国旅行になった。

しかたなく、仁川空港の4階レストラン街の通路の隅(写真)でブログの下書きをすることにした。この場所にしたのは、壁にコンセントを見つけたのと、人通りがとても少なかったため。ここで打ち込んだFCソウルの試合の感想は近日公開予定。

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FCソウル 0対1 水原
(2007/4/8 ソウルW杯スタジアム)


試合終了の笛が鳴ると、ピッチのほとんどの選手が、その場にへたり込んでしまった。まるで、優勝決定戦かと思うような壮絶な試合だった。特に、今季初の敗戦を喫したFCソウルの選手たちのダメージが大きかった。

Kリーグ(韓国プロサッカーリーグ)では、選手たちは、試合終了後に相手のサポーターに対しても挨拶するように指導されている(強制ではない)。勝利した水原の選手たちは、いち早く立ち上がり、センターラインからややホーム側に入ったところで、整列し、FCソウルのサポーターに向かって手をあげ、礼をしていた。しかし、FCソウルの選手たちは、敗戦のショックで、なかなか立ち上がれなかった。

また、試合後にFCソウルの関係者から聞いた話では、3月21日のカップ戦(4対1でFCソウルが逆転勝ち)の試合後の挨拶の際に、水原のサポーターから激しいブーイングをされていたことで、何人かの選手が挨拶することを拒んでいたという。

すると、ピッチの中に歩み進んだギュネス監督が、センターサークル付近に選手を集め円陣を組んで、こう言った。

「まだ試合は終わっていない。このスタジアムに来てくれた大観衆にきちんとあいさつをしないうちは、試合は終わったことにはならない」

「今日は負けてしまったが、君たちはまだ敗者になったわけではない。堂々とファンに感謝の気持ちを表せるのなら、この熱心な大勢のファンも君たちのプレーを認めてくれるはずだ。そうすることで、君たちは勝者になる資格を得られるのだ」

このことを聞いて、この日の敗戦と「ギュネスの言葉」は、FCソウルの将来にとって、勝つこと以上に価値があったかもしれないと思った。


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LGツインズ 2対9 KIAタイガース
(2007/4/7 蚕室スタジアム)

2年半ぶりの韓国・ソウル。まずは、蚕室スタジアムでおこなわれる韓国プロ野球を見に行った。試合開始は17時のはずだった。

仁川空港からホテルに直行し、チェックインを終え、すぐさまスタジアムに向かって、最寄り駅の総合運動場駅についたのは16時半だった。ホームに降りて、嫌な予感がした。駅に人が少ないのだ。そういえば、ホテルの部屋でテレビのチャンネルをひととおり見たときに、プロ野球の中継をやっていたなぁ。勝手に他の試合だと思っていたが…。

総合運動場駅の5番出口をあがると、そこが野球場である。その奥に蚕室オリンピックスタジアムや蚕室体育館がある。ちなみに、今は、野球場の隣の駐車場をつかって「シルク・ド・ソレイユ」をやっている。

野球場の周辺には屋台がずらりと並んで、野球観戦を終えて出てくる人を待っている。早くも、一杯やっている連中もいる。もはや試合は終了間近なのか。

チケット売り場は閉まっていて、入り口に人が立ってチケットを売っている。1人2000ウォン(日本円で約230円)。内野か外野かなんて気にせずに、急いでお金を渡してスタンドヘ駆け込むと、そこはレフト外野席だった。

MLBのスタジアムを思わせる、内野フィールドまで天然芝が広がるボールパークがそこにあった。スコアボードを見ると、8回の表、9点リードしているKIAタイガースの攻撃中だった。

ネットで調べていた試合開始時間は17時だったが、見事に変わっていたのだ。確かに、試合開始時間は変わるとのことわりもあったし、こんなことは韓国だけでなく、海外ならばしょっちゅうあることだ。あらためて、チケットをよく見ると試合開始は14時になっていた。ならば、むしろ、3時間たっても試合が終わっていなかったことに感謝すべきと気持ちを切り替えた。

久々に自分が日本標準にひたりきっていることを思い知らされた韓国の初日だった。


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MLB ロイヤルズ対レッドソックス
(2007/4/6 NHK-BS1)

早朝3時に起きて、松坂大輔のMLBデビュー登板の様子を見た。

画面に映るロイヤルズの本拠地は、観客席もスカスカで、どこか盛り上がりに欠けていた。スタンドの観客はフードをすっぽりとかぶって、まるで冬のNFLを観戦しているかのような格好だった。実際に、気温は0度近かったようだ。

松坂が投げるときのホームベース後方の看板は、1回裏が「男のエステ ダンディハウス」、2回裏が「CASIO」、3回裏が「PENTAX」と日本企業が並ぶ。特に、デビュー回の「ダンディハウス」は、スポンサー様には失礼だが、「なんだかなぁ」という感じだった。松坂の目にはどう映っていたのだろうか。

こんなことだったこともあり、松坂がMLBのマウンドに立った姿を見ても、かつて野茂がデビューしたときのような高揚感はまったくなかった。本人の表情からも、特別な感情は感じられなかった。ただし、執拗に追い続ける松坂カメラが、松坂のほんの些細な変化も見逃さなかったせいかもしれないが、ベンチでの振る舞いにやや落ち着きがなかったように見えた。

時折見せる笑顔とは裏腹に、ピッチング自体はあまり調子がよさそうには見えなかった松坂だが、7回を1失点で終え、見事に初勝利を飾った。松坂の「投球術」がMLBの打者を抑え、打線を断ち切った結果だった。すでに証明されていることではあるが、日本人ピッチャーの繊細なコントロールがあれば、MLB相手といえども、恐れるに足らずである。そのことは、ロイヤルズの先発グレインキが、やはり低めにコントロールして、レッドソックスの強打者から三振を奪っていたことでもわかった。ただし、やはり次回は、松坂が「ボールの力」でMLBの打者を沈黙させるのを見てみたい。

この試合で、もっとも印象的だったのは、松坂がベンチからマウンドに向かうとき、本塁と三塁をむすぶベースラインとアンツーカーの幅約1メートルのところを、ピョンと飛び越える姿だった。日本では、白線を踏まないようにまたぐだけだったと記憶する。松坂の活躍とともに流行るのではないか。


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