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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



10月23日の夜、先週に続いてスポーツマスコミ講座に参加した。今回は、杉山茂さん(スポーツプロデュサー)とサッカージャーナリスト大住良之さんの対談だった。2人とも、これまでにも何度か話を聞く機会があったのだが、実は、大住さんには、なんとしても確認したいことがあった。そして、それは杉山さんとも関係があった。

大住さんのプロフィールを見ると、しばしば、「1966年のW杯のテレビ放送を見て、サッカーにのめりこんだ」とある。それが気になってしょうがなかった。なぜならば、その1966年のW杯のテレビ放送の形跡がなかなかみつからなかったからだ。

昨年の8月、ビバ!サッカー研究会で「ビバ!サッカー探究」という本を出し、その中で、ぼくは、日本にW杯を伝えてきたメディアについて書いた。杉山さんにもテレビのことをうかがった。そのときに、杉山さんは「民放各局も調べたが、1966年のW杯は、スポーツニュースにさえ取り上げられていないようだ」とおっしゃっていた。

ぼくの方はというと、新聞の縮刷版のテレビ欄をひたすらおいかけた。その結果として、その本の中では、1966年W杯は、翌年「ゴール」という映画で見ることができたものの、テレビ放送はなかったと推測ながらも結論づけたのである。

しかし、それが間違いらしいということが確認できた。

大住さんも、たびたび、「1966年のW杯が日本で放送されていたのか」という質問をされていたそうだ。大住さんの記憶では、大会後の8月の中旬に確かに見たそうだ。そして、あるとき、元日本サッカー協会の村田忠男さんから、村田さん本人がその放送権を買ったという話を聞いて、その記憶が正しいことを確信したとのことだった。

そして、その頃の新聞の縮刷版を探したら、果たして、あった。

放送は、1966年8月7日(日)の夕方4時30分から1時間。TBSのサンデースポーツという枠で、「世界サッカー選手権決勝戦『イングランド対西ドイツ』」というタイトルだった。

当日の朝日新聞が、次のように番組を紹介していた。

― サッカーの粋 ―
世界選手権の録画
TBSテレビ 後4・30
 4年ごとに行われる世界サッカー選手権大会の66年度大会が、この7月30日、イギリスで開催された。この大会はプロ、アマを問わず、世界各国の最優秀メンバーが優勝カップを争う、世界サッカー界最大の催しの一つ。
 きょう放送するのは、大会の焦点、イングランド対西ドイツの決勝戦の録画で、BBC放送の制作によるもの。日本ではTBSが独占、フィルムは8月1日日航機で送られてきた。ナレーションは英語の原音を小さくし、その上に日本語をかぶせる。(以上、朝日新聞1966年8月7日テレビ欄より)

大会1週間後に日本で1966年のW杯が放送されていた。あまりにすぐの放送は、調べるにあたって、灯台下暗しだった。延長にもつれた2時間の試合が1時間に縮められているが、確かに放送はされていたようだ。

この場で、「ビバ!サッカー探究」を読んでいただいた方に対して、調査不足のために間違いがあったことを謝罪するとともに、訂正しておきたいと思います。そして、ぼくにとっては、貴重かつ新たなこの事実をさらにつきつめて、次の原稿に反映させ、より充実した日本のW杯メディア史をつくっていきたいと思います。


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iRB RWCフランス2007・決勝
南アフリカ 15対6 イングランド
(2007/10/21 NTV)

ラグビー・ワールドカップ・フランス2007の決勝は、試合を完全にコントロールした南アフリカが、連覇を狙うイングランドを破り、1995年大会以来、2度目の王者についた。

決勝戦は、スピードのあるイングランドのフォワードと重量感のある南アフリカのフォワードの熾烈なせめぎあいが繰り返される中、たがいにペナルティ・ゴールを重ねる展開となった。前半は、南アのFBモンゴメリーが3PGを、イングランドのSOウィルキンソンが1PGを決め9対3と南アがリード。すると、後半の南アはキックとていねいな守備で試合を支配した。

南アは、ボールを奪うと、イングランド陣地深く蹴りこみ、ボールを保持したイングランドの攻めを余裕をもって受け止める。後半20分すぎ、若干20歳のWTBステインが47mのPGを決め、15対6と1トライとコンバージョン(7点)以上の差をつけると、その戦術はいっそう徹底された。

ひとつの大会での最多トライのチャンスがあったWTBハバナもボールを持って疾走するよりも、ひたすらタックラーになることに徹していた。その徹底ぶりこそが、南アが2度目の王者になることができた最大の要因だろう。

一方のイングランドには運がなかった。後半3分にイングランドのWTBクエイトがトライをしたかに見えたが、長い時間をかけたビデオ判定の結果、トライは認められなかった。左サイドぎりぎりを抜けてのトライは、ボールダウンの直前に、クエイトの左足がタッチラインに触れていたと判断されたようだ。

テレビでも四方の角度からの映像が流されたが、トライの前にタッチを割っていたようには見えなかった。前半を3対9とリードされていたイングランドにとって、このトライで8対9、さらにコンバージョンも決まれば10対9と逆転できただけに、なんとも不運な判定だった。

試合前の両国国歌。「神よ、女王を守りたまえ」と歌ったイングランドと「神よ、アフリカに祝福を」と歌った南アフリカ。ラグビーの神様は、アフリカを祝福することを選択した。

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北京オリンピック・アジア最終予選
U-22カタール代表 2対1 U-22日本代表
(2007/10/18 NHK-BS1)

中東ドーハの地で、北京オリンピックをめざすU-22日本代表が、直接のライバルであるカタールに前進を阻まれた。試合終了直前のロスタイムでの失点は、14年前の「ドーハの悲劇」とダブって見えた。

しかし、ダブって見えたのは失点のシーンだけではなかった。その失点にいたるまでの数分間の日本のプレー振りも14年前と重なった。

1対1の引き分けでも、日本にとっては十分な価値のあるアウェーでの試合である。前半から優勢に試合を進め、先制したものの、追加点のチャンスをものにできない日本。後半30分過ぎには、足が止まり、同点にされ、なおも守勢にまわっていた。いよいよ残り時間も数分となり、このまま引き分けてくれればと思っていたが……。

カタールからボールを奪った日本がカウンターをしかけ、そして不正確なクロスを上げる。まさに試合終盤、こんなシーンが2、3度あったのではないか。チームとしては引き分け狙いのような動きのなかで、あるいはスタミナ切れで走れなくなっただけかもしれないが、ボールを運ぶ選手だけが追加点をとろうとしていたように見えた。このちぐはぐさこそが、デジャビュ(既視感)だった。

以前、アナウンサーの金子勝彦さんが、14年前の日本対イラク戦について、「私は『ドーハの悲劇』という言い方は嫌いです。『ドーハの伝説』と呼びたい」とおっしゃっていた。オフト・ジャパンの健闘が「悲劇」という言葉に集約されてしまうのを嫌い、美しく語り継ごうとしたのではなかったか。

「悲劇」には、その要因が伴うが、「伝説」になったときに、すべてが美化されてしまう。

この試合に出場していた若い選手たちにとって、あの「ドーハの悲劇」は、まさに「伝説」だろう。だから、その「悲劇」を招いた要因など知るよしもない。

そして、リアルタイムで体験していたはずの監督らスタッフにとっても、14年間という時間によって、「悲劇」が遠い想い出になっていたのかもしれない。だから、その「悲劇」を招いた要因など忘れ去られてしまったのではないか。

14年後の「ドーハの悲劇」は、起こるべくして、起きたのかもしれない。これが、この試合で得た「ドーハの教訓」である。


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(2007/10/16 第29期スポーツマスコミ講座)

スポーツデザイン研究所が主催する「第29期スポーツマスコミ講座」の第1回に参加した。スポーツプロデュサー・杉山茂さんとスカパー・田中晃放送本部長の対談で、テーマは「スポーツ放送権とスポーツコンテンツの未来」だった。

この手の企画にありがちなとおり、対談の内容はテーマとはちょっとズレてしまったが、それはそれで十分に面白い話が聞け、2時間半があっという間に過ぎた。

元日本テレビで、1991年に東京で開かれた世界陸上の放送プロデュサーだった田中さんによる、1991年の世界陸上・東京大会と今年の大阪大会との比較は、とくに興味深かった。このあたりは、また別の機会に。

その中で、東京大会では2つの世界記録が出たという話になった。男子100m走、カール・ルイスの9秒86と男子走幅跳び、マイク・パウエルの8m95cmである。そのうちパウエルの記録はいまだに破られていない偉大な記録である。

「このときパウエルの跳躍を見た人は、いまだに世界記録の瞬間を見たことになるんです」と、田中さんは言う。その言葉で、ぼくのスポーツ観戦史のなかの苦い思い出がよみがえった。

ぼくは、その日1991年8月30日、国立競技場にいた。しかし、パウエルの大記録を見ていなかった。

その日、この大会の話題の中心だったカール・ルイスが、100m走に続き、走り幅跳びでも、何かやりそうな雰囲気があった。だから、ルイスの何度目かの跳躍を終えたところで、次の跳躍までの間にと、トイレにたったのだ。そして、国立競技場の通路を歩いていたとき、「ウォーッ!」という大歓声を聞いたのである。「もう、ルイスが跳んじゃったのか?」そう思って、近くにいた係員に、何が起きたのか尋ねると、パウエルが世界記録を出したと言うではないか。

なんとも間抜けな話だった。あの日、あの時、もう少しトイレを我慢していれば、大記録達成の瞬間を見ることができたのに……。



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EURO2008予選Fグループ
デンマーク 1対3 スペイン
(2007/10/14 WOWOW)

デンマークのホームゲームで、スペインがアウェイの戦い方、アウェイでの点の取り方を教えてくれたような試合だった。

まずは、前半14分。左サイドからDF2人を引き連れながら内側にドリブルで切り込もうとしたイニエスタが、ゴール前で待つタムードにピンポイントのクロスを入れる。デンマークの長身DF2人の間にいたタムードは、クロスを受ける前に、パスの方向に動き出すフェイントをかけ、後ろに下がりながら、DF2人の間でジャンプし、ヘディングシュートを決めた。デンマークの守備陣は、ペナルティエリアに6、7人はいただろうか。それをイニエスタ、タムードの2人で崩し、先制点をあげた。イニエスタのパスの精度とタムードの筋力のコンビネーションによる見事なゴールだった。

スペインの2点目は前半40分。1対0でリードしたまま前半を終えれば十分なスペインだった。ピッチ全体を使ってのパス回しが始まった。相手のペナルティエリアから味方のゴールキーパーまで、長短のパスを20回はつないだだろうか。そんなパス回しのテンポが急に変わった。ハーフライン右付近のイニエスタから中央のシャビへ。さらにペナルティアーク付近のタムードが受け、右サイドから駆け上がったDFのセルヒオ・ラモスへ。完全にフリーとなったセルヒオ・ラモスは、つめてきたデンマークGKの鼻先でポンとボールを浮かせた。DFの選手とは思えない、まるで点取り屋のような心憎いシュートで追加点を決めた。

3点目はデンマークに2対1と迫られた直後だった。スペインのカウンターからのシュートが、デンマークのDFに跳ね返されたこぼれ球を拾った、代表デビューのリエラが左足一閃、見事なドライブシュートを決めた。

この試合、デンマークは勝ち点3が必要だった。一方のスペインは引き分けでも本戦への可能性は十分に残る。試合開始直後からの、中盤での激しいプレスの掛け合いを、個人技とパスワークでかわしながら、無理をしないで、得点に結びつけたスペイン選手の戦術理解力が光っていた試合だった。


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iRB RWCフランス2007・準決勝
イングランド 14対9 フランス
(2007/10/14 NTV)

ラグビー・ワールドカップ・フランス2007の準決勝第1試合は、前回オーストラリア大会の準決勝の再現となった。母国イングランド対開催国フランス。現地フランス・サンドニの熱狂は想像以上だろうか。やはり、行きたかったという思いが再び湧き上がった。

試合開始早々イングランドが、楕円形のボールの気まぐれをものにしてトライを奪った。たしかにラグビー・ボールのバウンドは予想しづらいが、WTBルーシーが可能性を求めて走ったことが、この試合最初で最後のトライに結びついた。

その後、フランスが2つのPGを決め6対5と逆転して前半終了。実力伯仲の接近した内容になった。しかし、イングランド・ウィルキンソンのキックが思うように決まらない。フランスのチャンスか。

後半4分、フランスがSOボクシスのPGで9対5とイングランドを突き放しにかかる。しかし、準々決勝のオーストラリア戦でもそうだったが、リードされてもあわてないのが、今のイングランドである。安定したフォワード戦でじりじりと陣地を稼ぐ。そして、4分、ウィルキンソンがPGを決めて9対8と追いすがる。この試合はじめてゴールを決めたという安堵の表情が垣間見えた。

後半10分過ぎ、フランスは、ボクシスに代えてミシャラクを投入。準々決勝ニュージーランド戦で成功した交代作戦だ。しかし、この試合では、結果的に、ミシャラク効果はあらわれなかった。

一方、イングランドもPGの成功で調子に乗るかと思われたウィルキンソンのドロップゴールがポストに当たるなど、ツキのなさを感じる場面があった。

しかし、やはり、最後はウィルキンソンが魅せてくれた。後半35分、FBロビンソンの突進に対するハイタックルで得たPGを決めると、続く38分にプラン通りの攻撃でDGを鮮やかに決め、14対9とフランスを突き放した。

試合中の選手交代によって勝利をたぐりよせようとしたフランスに対して、フォワードの突進とウィルキンソンのキックというシンプル・プランを貫徹したイングランド。

何度かあったトライ・チャンスをみずからの反則でつぶしてしまったフランスに対して、わずかなチャンスをものにしたイングランドの信念が勝った試合だった。

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2007 F1日本GP
(2007/9/29-30 富士スピードウェイ)

実に16年ぶり、2回目となるF1観戦に行った。初めて行った前回は、1991年の鈴鹿サーキットで、中島悟の最後の年だった。今回の会場は、新装なった富士スピードウェイ(以下、FISCO)である。9月29日(土)、30日(日)の2日間。年下のサッカー仲間に連れて行ってもらった。

天気の方は、残念ながら、2日間とも雨。晴れていれば、ぼくらD席の正面に見えるはずの富士山は見えずじまい。合羽を重ね着して、雨を耐え忍びながらの観戦は、もちろん初めてである。

9月29日、土曜日の午前中のフリー走行は、雨と霧の影響で15分ほどで終了。このまま午後の予選も中止(=翌日に延期)になるかと思われた。しかし、午後の予選は、ネックとなっていた霧が奇跡的におさまり、どうにか予定通りおこなわれ、注目のルイス・ハミルトンが見事な逆転走行を見せてくれた。

30日、日曜日の本戦は、雨のためペースカーが先導してのローリングスタート。1.5kmのストレートの終わりから1コーナー、2コーナーを間近に見ることができたぼくらの席の前では、ペースカーが先導する周回のなかでの微妙な駆け引きが繰り返された。

その駆け引きも面白かったのだが、やはりレースの迫力にはかなわない。ペースカーがはずれてのスタート直後の1、2コーナーで早くもスピンするクルマあり。ストレートのブレーキのタイミングが遅いなと思ったクルマは、だいたいが1コーナーを曲がりきれず、ランオフエリアに飛び出す。レース途中からは、正規のコースと飛び出したコースの2つのラインが残るほどだった。

雨が降りしきる中の難しいレースを制したのは、ポールポジションから安定した走りをみせたハミルトンだった。初めてのコースで、ほぼ初めての雨中のレース、そして19周ものローリングスタートという初体験をも克服した。また、さまざまなトラブルがありながらも、見せ場をつくり、レースを盛り上げたフェラーリの2台にも感謝。

F1ドライバーたちは、FISCOでの初めての体験をどうにか切り抜けたが、30年ぶりという、事実上初めての開催となった運営サイドは、その重責を果たすことはできなかった。

レースはなんとか終わったが、結局、集まったファンをうまくさばくことができなかった。渋滞を解消するために採用された「チケット&ライド方式」が、雨の影響もあり、思い通りにいかなかった。観客がレースの開始に間に合わなかったり、帰りのバスに乗るまで、雨と泥のなかを4、5時間も待たされたりと散々な状況だった。

ぼくらはというと、車で沼津まで行き、沼津駐車場からシャトルバスを利用した。このコースは2日間とも、とてもスムーズだった。沼津駐車場-FISCO間は所要時間が約70分ともっとも長いバス区間だったが、2日間、2往復とも、かかったのは1時間ほど。帰りのバス待ちも1時間ほどで、状況を考えれば許せる範囲だった。

土、日曜日とも、帰りのシャトルバスに乗り込んで、バス待ちの無限に広がる大群衆を目の当たりにしたとき、自分たちの幸運を喜んだものである。すべての観客を公平に扱おうとした「チケット&ライド方式」が、結局、大きな運・不運の差を生んでしまったようだ。

30年ぶりの初めてを経験をしたFISCOだった。この苦い経験をベースに「世界のトヨタ」の名にかけて(FISCOの親会社はトヨタである)、大会運営にどんな「カイゼン」をみせてくれるのか。来年の話なのでちょっと気が早いが、レースとともに注目したいところだ。


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iRB RWCフランス2007
オーストラリア 10対12 イングランド
(2007/10/7 NTV)

ベスト8によるノックアウト・ステージ(決勝トーナメント)がはじまった。初日は、マルセイユでオーストラリア対イングランドという前回大会の決勝戦の再現とウェールズ・カーディフでのニュージーランド対フランスの2試合があった。

実は、このマルセイユの試合と翌日のサン・ドニの試合(アルゼンチン対スコットランド)は、フランスに行って生で観戦するつもりだったのだが、諸事情により渡仏をキャンセルし、深夜のテレビ観戦となった。

そのオーストラリア対イングランドの試合を見て、日本と次元が違うラグビーのおもしろさを再認識した。

なにしろ、ミスが少ない。アンフォースド・エラー(敵の妨げがないところでのミス)がほとんどない。そして、流れが切れない。互いにパスをつなぎ、クラッシュした後のモール・ラックでのボールの奪い合い。日本なら、すぐにペナルティが発生してしまうようなところでも、両チームの選手たちは我慢をし、プレーを続けようとする。

そんな美しい試合を制したのは、イングランドだった。イングランドを勝利に導いたのは、エースのウィルキンソンの足ではなくて、フォワードの選手たちの素晴らしい出足の早さだった。

今大会途中から先発に復帰した、前回大会MVPのジョニー・ウィルキンソンの左足は、7つのPGの機会で4本を成功させたにとどまった(ただし、これがイングランドの全得点だった)。彼の力からすれば満足できるものではなかったが、かわって活躍したのがフォワード陣だった。

とくにモール・ラックのなかで、ボールがルーズになったときに、そのボールに向かう速さは、つねにオーストラリアを上回っていた。自分たちが前に、前にと進んで陣地をかせげば、さいごはウィルキンソンがゴールを決めてくれるだろうと、そんな思いがあったはずだ。

この試合のようなフォワードの足の勢いに、ウィルキンソンの足の精度が甦ったとき、イングランドの大会2連覇が見えてくるだろう。



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浦和レッズ 2対1 大分トリニータ
(2007/10/7 さいたま市・駒場スタジアム)

JリーグとACLの試合が続く浦和の動きは、蓄積している疲労のためか、鈍かった。しかし、それでもしぶとく勝利するところに、今の浦和の「強さ」を感じる。

前半4分に右サイドを駆け上がった永井のクロスをワシントンが決め、先制した。この日は山田に代わって、永井が中盤右サイドに起用された。その起用が、開始早々に功を奏した。過密日程と選手層の厚さから生まれた先制点だった。

後半、大分に追いつかれるも、ポンテの巧みなパスを受けたワシントンが、2点目を決める。DFを背中にしょいながらボールを受け、反転しながらのシュート。いかにもセンターフォワードらしい、巧みなゴールだった。パサーとゴールゲッターの2つの巧みから生まれた追加点だった。

浦和は、おそらくは今シーズンでもっとも厳しいときを、選手層の厚さと個がもっている巧みさで乗り越えた。

試合後のヒーロー・インタビューで、鈴木啓太が「疲れました」と本当に疲れきったように発していたが、その顔には充実感があふれていた。

過密日程は抜けたが、シーズン終盤という最後の詰めを残す。代表戦のためにできた、ささやかな休息期間をうまく使って、アジアと日本の2冠をめざして、ラストスパートをかけてほしい。その後には世界も待っている。

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ビバ!サッカー講座のメンバー同士の結婚パーティーがありました。ちなみに、メンバー同士のカップル、通称「ビバップル」は2組目。講座とそのフットサル・チームのメンバーばかりのこじんまりとした、でも、それはとてもとても楽しいパーティーとなりました。途中、新郎・新婦の涙があるも、笑顔の絶えないひとときでした。
そして、そのパーティーの会場だったのが、南青山のイタリアン・レストラン「ナプレ」。聞けば、ピザの世界選手権で優勝したそうな。確かに、料理はどれも最高においしく、お酒もすすむ。
なんともハッピーな秋晴れの午後でした。
写真はパーティーが終わった後、夕暮れどきに写した、お店の入り口。外人が出てきたので、まるでヨーロッパの街角のようになりました。



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