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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



ガンバ大阪対浦和レッズ(国立競技場)


天皇杯を制して王者になった浦和がさらに強くなっていた。
2006ゼロックス・スーパーカップは、3対1で浦和がガンバ大阪に完勝した。
浦和は、昨季のJリーグで2位となり、天皇杯で優勝したメンバーに、東京ヴェルディ1969からのワシントンとフェイエノールトから戻ってきた小野が先発メンバーに入っていた。ワントップ気味のワシントンに、1.5列目の小野とポンテがからむ。そして、その背後から活きのいい長谷部がゴールに迫る。両サイドの山田とアレックスの影が薄かった。ただし、アレックスの場合は、ミスが目立つので存在感があるのだが。
この試合、余裕と意欲にあふれる小野の存在感が際立っていた。さすがに、UEFAカップを制し、ヨーロッパのチャンピオンを経験しただけのことはある。日本代表の試合もあり、コンディションは万全ではないだろうが、五分程度の力でも十分通用しそうだ。小野が加わったことで、コンビを組むポンテも一層輝きそうだし、長谷部も昨季以上に暴れそうな気配を感じた。
この試合では、どちらかというと、パスゲームを指向していたが、永井、田中(達)、岡野といったドリブル、スピードが持ち味の選手も控えにいる。さらには、黒部(FW)、相馬(左サイド)なども魅力的な新戦力だ。
はじまってみなければわからないとはいうものの、今季の浦和は目標に向かってまい進しそうだ。
浦和レッズのマネージメントをする犬飼社長は4年目、ブッフバルト監督は3年目。フロント、スタッフとしても、さらに上の結果を出し、次につなぐことを考えるシーズンでもある。
期が熟した今シーズンの浦和が本当に楽しみだ。12月のトヨタカップに出場して、世界一、いや、地球一を目指してもらいたいほどだ。



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スピードスケート男子5000メートル(オーバル・リンゴット)


収容観客数8800人のオーバル・リンゴットは、まるでオランダ国内の会場のようだった。およそ7割方はオレンジ色に染まっていたのではないか。その合間に、ノルウェーの赤がいくらか目立つ程度だった。地元イタリアの人たちは見に来ていないのだろうか。

全部で14組28人が滑走する男子スピードスケート5000mは、2人づつ、5組、5組、4組と3回に分けて行われるタイムレースだ。間に2回製氷タイムがある。15時30分から競技が始まり、19時30分終了予定の長丁場。はじめて観るので、途中で飽きてしまうかと思ったが、意外とそうでもなかった。

最初の組は、ベルギーとルーマニアの選手が滑った。そして、いきなり驚かされたのは、観客席を埋めたオランダ人たちの態度だった。選手が自分たちの前を通過するたびに、大きな声援と拍手を送るのだ。自国の選手に限らず、全ての選手たちに。もちろんオランダの選手への声援はひときわ大きくなるが。そして、レースを終えた選手が、クールダウンしながらトラックをまわってくると、そこでも大きな拍手で称えるのである。本当にスケートが好きで、そのうえ、その過酷さがわかっているのだろう。彼らをみならって、すべての選手に対して、敬意をもって、声援を送りながらみることにした。3時間を越える競技時間がとても楽しいものとなった。

日本人選手は、4組に牛山、6組に宮崎が出場したが、残念ながら上位に食い込むことはならなかった。

2回目のインターバルを終えた11組目から、会場が一段と盛り上がった。11組に、オランダ選手2人が一緒に滑り、その時点での1位、2位でフィニッシュしたのだ。会場を埋めたオランダ人が歓喜に浸った。

次に喜んだのは、ぼくのすぐ後ろで仕事をしていた米国NBCテレビのカメラマンだった。スピードスケートは、NBCが制作し、世界中に中継している。12組に米国の選手が登場。その選手が、途中で、1位のオランダ選手の記録を上回りだす。すると、バックストレートを自分に向かって加速してくる自国の選手に向かって「カモン!カモン!」と声をかけだしたのだ。世界に流す映像を撮りながら。そして、1位でゴール。どうにもカメラマンが気になりだしたぼくは、彼が小さくガッツポーズしたのを見逃さなかった。

最後の14組には地元イタリア選手が登場した。序盤は、静かだった会場が、後半になってざわざわしだした。ぼくの前に座っていたイタリア人の子どもが、一生懸命大きな声でイタリア選手の名前を呼び出した。会場のあちこちから沸きあがる声にこたえるかのように、イタリア選手の通過順位が上がり出す。最後の3周を残したところで5位に上がり、ラスト1周で4位に。そして、最後の1周を滑り終えゴールした時には3位になった。前の子どもは飛び上がって喜び、取り囲んでいたオランダ人たちもそれを祝福していた。

ハッピーエンドなスピードスケート男子5000mだった。

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トリノオリンピックの開幕の翌日。2006年2月11日、オーバル・リンゴットという競技場で、スピードスケート男子5000mを見た。リンゴットという駅が近くにあり、アクセスはいい会場だ。

15時30分からの競技開始に備えて、1時間前に到着。当日券売り場に向かうぼくに、ダフ屋が大勢声をかけてくる。チケット売り場や案内所のすぐ目の前でダフ屋が商売をしている。まるで大会公認だ。彼らは、ロンドンをベースに世界中で活動している。オリンピックや、サッカー・ワールドカップなどでは必ず出くわす。最近は、携帯電話の番号を書いた名刺を渡してくる。IOCは、自分たち大会関係者や選手、スポンサーを「オリンピック・ファミリー」と呼ぶが、彼らダフ屋は、いわば「裏オリンピック・ファミリー」と言ったところだろう。

そのダフ屋から定価でチケットを買い、入り口に向かう。まずはセキュリティチェックだ。空港にあるような金属探知機を一人一人通すので、当然時間がかかる。長蛇の列に並ぶこと30分。そろそろ競技の開始時間が気になりだした頃、突然、列がスムーズに進み出した。あちこちで金属探知機が、ピーピーと鳴り続けている。間に合わないと判断した係員が、観客を素通し始めたのだ。日本では考えられないが、海外だったらよくある光景だ。

会場のオーバル・リンゴットは、大会後、展示場として使われるらしい。なるほど、そのつくりは、まるで大きな倉庫だ。長野のエムウェーブと比べようものなら、なんとも簡素な建物である。観客席は鉄パイプを組んだ仮設であり、プラスチック製のシートはガタガタで、大会が終わるまで無事にもつのだろうかと不安になってしまうほどだ。

ちなみに、ぼくがダフ屋から買ったチケットのシートの番号は会場に存在しなかった。137ブロック9列32番。137ブロックと書かれた通路からスタンドに入り、9列目に上がり、32番を目指して移動していくと、なんと20番ほどで、プレス席とのしきりに行き着いてしまった。周辺は空席だらけだったので、結局そこに陣取ることにした。

トリノオリンピックの競技初日。これまでのビッグイベントの会場で経験したことが繰り返されていた。いよいよオリンピックのはじまりである。


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友人のSさんが編集を担当した「Jリーグ・パーフェクトガイド2006」が発売されました。表紙はちょっとインパクトに欠けますが、中身は充実。J1、J2に加えLリーグの選手やなにかと話題の審判も紹介しています。データがきちんと整っているところもグッド!
これで680円はまさにお買い得です。J開幕前の予習にどうぞ!

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ミラノからトリノ行きの列車に乗ってちょうど1時間たった頃、NOVARA(ノバラ)という駅に着いた。ミラノとトリノの真ん中あたりに位置する北イタリアの町である。

このノバラという町のことは、よほどのイタリア通でない限りあまり知らないのではないか。しかし、イタリアに詳しくなくても、よほどのサッカー通なら知っているかもしれない。フランス・サッカーの英雄ミッシェル・プラティニの2人の祖父が生れた町だということを。

1992年頃だっただろうか、フジテレビの深夜に「カルトQ」というクイズ番組があった。後にゴールデンタイムに進出したが、当然のごとく、深夜に放送していた時のほうが、圧倒的にマニアックで、これぞカルトといえる面白さがあった。

そのカルトQのテーマ「サッカー」のときの、予選問題のひとつに「プラティニの2人の祖父が生れた北イタリアの町の名前は?」というのがあった。その問題を見たとき、こんなこと誰が知っているのだろうか、と思ったものだ。そして、予選終了後に配られた正解で、その町の名前が「ノバラ」だと知った。

ミラノからトリノに向かう途中で、「NOVARA(ノバラ)」に出会い、そんなことを思い出したわけである。


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