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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



2010年南アW杯 アジア最終予選
日本 1対1 ウズベキスタン
2008/10/15 埼玉スタジアム2002

ウズベキスタンの先発に、シャツキフの名前を見たとき、心のなかで「ラッキー!」と叫んでしまった。

ウズベキスタンが、カタールとオーストラリアに連敗した要因のひとつにシャツキフの衰えがあると考えていたからだ。その2試合で、シャツキフは、ゴール前でチャンスをつくるも、体の切れが悪くシュートまでに時間がかかったり、シュート自体が弱かったりと、かつての鋭さはなりを潜めていた。

背水のウズベキスタンが、シャツキフに代わって活きのいいフォワードを起用してきたら面倒なことになると思っていた。しかし、その予想ははずれ、シャツキフは、主将として先発メンバーに名を連ねていた。

しかし、日本は、そのシャツキフに先制点を奪われ、大切なホームゲームを引き分けとし、勝ち点1をとるにとどまった。

この試合でも、シャツキフはパッとしなかったが、得点シーンでは、ベテランらしいタイミングの読みと動きで、鋭いクロスに軽く足をあわせてゴールを奪った。

ただし、あっけないウズベキスタンの先制点は、シャツキフの功績というよりも、「日本の守備のもろさ」と見るべきだろう。

闘莉王のクリアミスのボールを拾われ、右サイドから低いクロスを最終ラインとGKの間に通された。右サイドの阿部も、ミスした闘莉王もクロスを防ぐには間に合わず、中央にいた中澤と内田は、GKとお見合い状態のように見えた。

日本の最終ラインは、右から、阿部、闘莉王、中澤、内田の4人。阿部、闘莉王、中澤の3人は、精神的にも、肉体的にも、海外の選手にひけをとらない「強い」ディフェンダーだと思う。攻撃力を買われている若い内田の守備力はあまり期待できない。それでも、アジアでは、トップレベルの最終ラインと思えるのだが、それが、この2試合で、意外なもろさを露呈した。

決定力不足ばかりが叫ばれる日本代表だが、最終予選で着実に勝ち点を重ねていくためには、むしろ守備の整備のほうが急務ではないか。



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2008オリンピック・フェスティバル
2008/10/13 駒沢オリンピック公園総合運動場

体育の日、東京・駒沢オリンピック公園総合運動場に、約40人のオリンピアン(オリンピック出場経験者)とのべ3万人近くの一般参加者が集まって、2008オリンピック・フェスティバルが開かれた。朝方の曇天から昼には快晴に変わり、多くのスポーツファンが、オリンピアンと一緒に走り、いろんな競技に挑戦し、いい汗を流していた。

さまざまなプログラムのなかに、北京オリンピックのメダリスト、入賞者によるトーク・ステージがあった。

フェンシング(個人・フルーレ)で7位に入賞した菅原智恵子さんは、このときとばかりにフェンシングをアピール。「(フェンシングを)やってみたい人は、ステージが終わった後、私のところまで来てください」とまで。マイナーなスポーツにとって、オリンピックが大きなアピールの場であることは言うまでもない。男子の太田雄貴(個人・フルーレ)の銀メダル効果と合わせて、チャンスは今しかない。

しかし、オリンピックでの活躍が、そのままそのスポーツの繁栄につながるとは限らない。

同じステージに、女子サッカー、なでしこジャパンの安藤、矢野、柳田(すべて浦和レッズ)も出演していた。女子サッカーとしては、メダルには届かなかったものの、過去最高のベスト4に進出した。「女子サッカーの歴史を変えることができたことを誇りに思う」と発言していた。ぼくも、北京の好成績を機に、ますます女子サッカーにも注目が集まり、人気が高まるかと思っていたのだが。

フェスティバルの前々日(10月10日)、なでしこリーグに所属する「TASAKI ペルーレFC」の休部が発表された。北京五輪代表の主将・池田浩美も所属する、強豪チームだった。しかし、会社の業績不振は、チームの存続を許さなかった。

オリンピックの活躍によって、目を向けてくれたファンを、いかに引き止めるか。選手、チーム、リーグ、スポーツ界全体が、一体となって知恵を出し合わなければならない。




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クラマーさんを訪ねる旅(24)

バイエルン・ミュンヘンのクラブハウス(練習場)の見学の後に残った、今回の旅の最後の企画は、ベッケンバウアーが生まれ育った家を訪ねることだった。

その家は、バイエルンのクラブハウス近くから、市電で3、4駅先で降りたところにあった。今回の旅のプランを練って、いろいろ手配をしてくれた駿河台大学のドイツ語の先生、明石さんが、近所の人に聞いて探し当ててくれた。

そこは、何の変哲もない4階建のアパートだった。そのアパートのなかのひとつがベッケンバウアーが生まれた家のはずだった。

ぼくらが、そのアパートの入口で写真を撮っていると、通りかかったおばさんが、怪訝な顔でたずねてく。「何をやっているの?」

見慣れない東洋人が、それもいい歳をしたおじさんばかりが、一生懸命、アパートの写真を撮っているのだから無理もない。

「ここは、サッカー選手の、ベッケンバウアーが生まれた家なんですよ」

そう答えると、よけいに不思議そうな顔になる。ベッケンバウアーを知らないのだろうか。

アパートから赤ちゃんを抱えて出てきたご婦人も、なんのことやらと驚いた様子を隠そうともしなかった。

そこに住んでいる人たちを驚かせてしまったことを気にかけながらも、ぼくらは十分に満足して、その場所を後にした。



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少し前のことになるが、9月27日(土)、28(日)に北海道の士別市というところに初めて行った。旭川空港から車で約1時間半。日本オリンピック委員会が主催する「オリンピック・デーラン」というイベントのためだった。

イベント会場は、士別市陸上競技場。陸上の合宿地としては有名らしい。周りには、サッカー場(もちろん天然芝)が4面、野球場、サブトラック、テニスコートもあり、「合宿の里づくり」を推進する市にふさわしいスポーツ環境である。ちなみに、施設は予約をすれば無料で使えるとのことだった。

8月の末にドイツで、デュイスブルクとミュンヘンのスポーツ・シューレを見学し、その規模や施設の素晴らしさに感激したが、ここ士別の施設もそん色ないかもしれない。事実、北京オリンピックのときには、ドイツ代表の陸上チームの直前合宿地だったそうだ。

しかし、圧倒的に違うのは立地である。士別は人口約2万人の市であり、広大な北海道の自然がベースにある。残念ながら、都会から、簡単に行ける場所ではない。また、豪雪のため、1年のうち、使えるのは4月から10月までと短い。

一方、デュイスブルクやミュンヘンは、それぞれ人口約50万人、約135万人という大都市の中心から約2、30分のところに、日本ならリゾート地にしかできないような大規模な施設があるのだ。宿泊施設も充実しており、自然と稼働率も高くなる。

日本とドイツの違いは仕方がないとしても、士別のような素晴らしい競技場がもっと有効に使えるようにならないものか、ドイツを思い出し、北海道の大きな空を眺めながら、考えをめぐらせたのだった。



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クラマーさんを訪ねる旅(23)


ミュンヘン1860の練習場から15分ほど歩いたところに、豪華なバイエルン・ミュンヘンのクラブハウスと練習場があった。

サッカーのグラウンドが5面(内1面は人工芝)があり、クラブハウスは、サッカー場を縦に2つ並べたタッチラインに沿った、長さ120mもあろうかと思う立派な建物がだった。

前々日、バイエルン・ミュンヘンの2軍の試合を見る前に寄ったときには、練習場には入れなかったが、この日は、大勢のファンがゴールキーパーの練習を見守っていた。

なんと、翌日の9月2日に予定されていたオリバー・カーンの引退試合(バイエルン・ミュンヘン対ドイツ代表)の主役であるカーンが練習をしていたのだ。その相手は、約30年前のバイエルンの栄光のメンバー、ゼップ・マイヤー。偶然目撃することになった豪華な組み合わせだった。

そして、しばらくその様子を見ていると、別のグランドで練習をする若い選手たちがクラブハウスから出てきた。もしやと思っていると、案の定、彼も出てきた。2軍のコーチである、ゲルト・ミュラーである。初対面の感動から2日後、再び会えるとは思ってもみなかった。

ゲルト・ミュラーとしっかりと握手をし、このドイツ旅行に参加した喜びを再びかみしめたのだった。



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