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京都駅の南方にある東寺では、弘法大師の月命日で有る毎月21日に、
境内に弘法市と呼ばれる大規模な市が立つ。
今や観光名所の様相で、大勢の善男善女を集め賑わっている。
骨董、雑貨から、日用品、衣類、食料品、花木植木に至るまで、何でも
揃う市として有名だ。
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今でこそ「何でも市」となっているが、その起こりは、この日に寺に
訪れる大勢の参拝客に「一服一銭」と言われる、安価なお茶を簡単な屋
台で提供したのが始まりだ。これがお茶店の前身とも言われている。
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江戸時代、繁華な町中や、社寺の門前、主要な街道の宿場や立場には、
庶民が休憩する場所として多くの茶店(水茶屋)があった。
広重も「東海道五十三次」の中では、袋井の「出茶屋ノ図」、二川の
「猿ヶ馬場」、石部の「目川ノ里」、草津の「名物立場」、大津の「走
井茶屋」等で茶店を詳細に描いていてその様子を窺い知ることが出来る。
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幕府の規制も有り、茶店は基本的には、人通りのある明け六つ(午前
6時頃)から暮れ六つ(午後6時頃)の間の営業であった。
当初のお茶は、朝一度に大量に煮出し、客には1杯のお椀で提供する
安価な物が主流であった。やがてお客毎に茶葉を取り替え、熱湯をかけ
る漉茶で何杯も提供する、やや高価なお茶まで様々な形態が生まれた。
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中には桜湯、あられ湯、麦湯(今で言う麦茶)や葛湯、甘酒などを提
供する茶店も有ったようだ。その後も茶店は進化を遂げ、只単に湯茶を
飲ませるだけには留まらず、接待する茶汲み女を置いて人気を競った。
やがては、菓子や名物の餅、団子なども合わせて売る「茶屋」として
発展していく事になる。(写真:東寺の弘法市)(続)
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