簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

支払の意思

2022-12-30 | Weblog
 流通経済大学・環境学の板谷和也博士が「受益と負担の関係から考
える鉄道存廃の判断基準」の講演の中で、「JR北海道の赤字は、道民
一人当りで人口割りすると年に2749円、月に229円(2016年度連結決算、
2015年国勢調査人口)」と話されたことを、たまたま知った。



 更に「乗らなくても、JRを支援することは可能、乗らなくてもよい
から駅に行ってきっぷを買う」「支払意思がゼロで、(鉄道の)維持を
求めるのは…子どもの論理」とまでも言われている。

 この北海道の例では、個人なら月に一度、四人家族なら年に3回ほど
こうした「支払意思」を持てば、これだけでも赤字の部分は可成りの解
消が期待できる、と言う話しである。



 世の中に鉄道やバス、路面電車などの廃線ニュースが伝わると、人々
は慌ててその路線に群がり乗り納めをする。
 「思い出があるから」「心に留めておきたいから」等と、様々な思い
を込めて最期の別れを惜しむ。このニュースを目にする度に何時も思う。
「今じゃないだろ。そんな大切なものなら、なぜこれまでに・・」と。



 鉄道の存続議論に於いては、国や自治体が赤字の負担を等との議論も
有るようだ。しかし住民も、我が町の鉄道の存続を求めるのであれば、
先ずは率先して地元の公共交通にそれ相応の「支払意志」を待たなけれ
ばこの話は成り立たない。



 廃線が決まれば、幾ら惜しんでも懐かしんでももう取り返しはつかない。
復活した可部線等は例外中の例外である。
鉄道が廃線になりバスに転換されても、車ばかりでバスを使わなければそ
れすら廃止の憂き目を見る。そういった事例は既に起きている。



 存廃の協議は行政に任せるとしても、住民もただ傍観するのではなく
年に何度か車を置いて、意識的に公共交通機関を使いたいものだ。
 運行されている今だからこそ出来ることで、個々人が身銭を切れば、
これだけでも随分な助けになるはずだ。
鉄道が我が町の発展に必要、などと考えるのであれば、尚更だ。(完)


(写真:JR木次線 本文とは無関係)

 次回から、「東海道歩き旅・伊勢の国編」の連載開始です。 



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