まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ないがまま

2015-07-05 | 暮らし

あるがままを感謝しようというのはよくいわれることだ。しかし、ここへ来て「荘子」の、「ないがまま」ということを知って、「があーん。」ときた。

自分というものはないのだということ。自分が感じたものは、自分というものに染まっているのだという。自然に人為を加えることで、自然は生命を失うのだという。

すべては天命で、やむを得ずの思想であるということ。要するに、受け身の人生なのだ。

ついでに、しあわせとは、本来、為合と書いて「しあわせ」と言い、「天がそのように為(な)さるので、そうするしかない。」とのことだ。

仕合わせとも書き、仕は人をあらわすらしく、相手に合わせることをしあわせという。

さて、計画とか目標とかで、仕事をしているが、人は予想外の事で生きて行かなくてはならないとのこと。では、その時どうするかといえば、「遊びなさい」と。

未来を憂えないで、今を遊ぶ。心の病は、未来を憂うところから始まるらしい。とはいえ、どうやって遊ぶのだ。遊んでいたら、生きていけないではないか。そのことが、また未来を憂う訳だ。

かいつまんで書いていたら、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。

荘子の考えは、心が癒されるのだが、生きにくい世の中で、そのことをうまく伝えたり、理解するには、まだまだ時間がかかる気がする。