また雪が降ってきた。
武道館の玄関にわたしより大きい雪だるまを撮ってあったのを思い出した。雪が降ったと言っては休む。寒いと言っては休むようでは上達は望めない。雪だるまに笑われそうだ。いつも出てばかりだと、たまに出かけないことはよいことだ。じっくりとパソコンに向かおう・・と、途中で画面にjjjj・・と、今は「びっくりぽん」だが、「じぇじぇじぇ・・」という朝ドラあったなあ。いかん・・睡魔が。
今度の日曜にある総会の資料を作りながら、またまた目白押しの行事を改めて認識する。仕事の方もあてにされるようになると日曜も出なくてはならなくなる。なるべくあてにされないように息をひそめて、日々の安全に務めている。何といっても、今からシャカリキに働く年ではない。しかし、保育に関わる人は少ないので、私たちのようにほんの数時間、最低賃金で働く人をあてにしている。人物をあてにしているのではない。労働力をあてにしているのだ。なり手がないからだ。募集しても若い人は来ない。人を育てられない。わたしはもう育たない。これは個人的な話ではなく、日本の問題かもしれない。子供たちを社会が育てているのだ。やる気のない保育士や、支援員でも来てほしいのだ。そうすると、保育の質が落ちる。しかし、質を上げる程の給料はもらえない。半分ボランティアかと思うようなかんじ。
好きなことをして楽しみたいのだが。貧乏症なので働かずに遊んでいると気持ちが悪いのである。そうかといって、あれこれ引き受けると抜けが出てくる。若い時のようなスピードでものをこなせないのに抱え込む。しかし、どうも若い時からいい加減ではあったのだ。