まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

またまた雪

2016-02-16 | 暮らし

また雪が降ってきた。

武道館の玄関にわたしより大きい雪だるまを撮ってあったのを思い出した。雪が降ったと言っては休む。寒いと言っては休むようでは上達は望めない。雪だるまに笑われそうだ。いつも出てばかりだと、たまに出かけないことはよいことだ。じっくりとパソコンに向かおう・・と、途中で画面にjjjj・・と、今は「びっくりぽん」だが、「じぇじぇじぇ・・」という朝ドラあったなあ。いかん・・睡魔が。

今度の日曜にある総会の資料を作りながら、またまた目白押しの行事を改めて認識する。仕事の方もあてにされるようになると日曜も出なくてはならなくなる。なるべくあてにされないように息をひそめて、日々の安全に務めている。何といっても、今からシャカリキに働く年ではない。しかし、保育に関わる人は少ないので、私たちのようにほんの数時間、最低賃金で働く人をあてにしている。人物をあてにしているのではない。労働力をあてにしているのだ。なり手がないからだ。募集しても若い人は来ない。人を育てられない。わたしはもう育たない。これは個人的な話ではなく、日本の問題かもしれない。子供たちを社会が育てているのだ。やる気のない保育士や、支援員でも来てほしいのだ。そうすると、保育の質が落ちる。しかし、質を上げる程の給料はもらえない。半分ボランティアかと思うようなかんじ。

好きなことをして楽しみたいのだが。貧乏症なので働かずに遊んでいると気持ちが悪いのである。そうかといって、あれこれ引き受けると抜けが出てくる。若い時のようなスピードでものをこなせないのに抱え込む。しかし、どうも若い時からいい加減ではあったのだ。

 


電話の故障

2016-02-16 | 暮らし

実家の電話が変な音がしてつながらないと、母が携帯電話で言ってきた。

母のかわりに故障の電話をすることにした。「113 電話の故障」にかけるとなかなかつながらない。3分待たされた頃からいらいらしてきた。結局7分待たされて、やっとでたら「KDDIです。」という。そうだった。いつのまにかNTTから光になり、パソコンの関係で訳が分からなくなっていた。実家の電話を言って、つながらないというと「NTTだから調べられない。」という。それでNTTの故障案内の電話番号を聞いて電話すると、録音音声で要件を話せという。邪魔臭くなってきた。電気屋さんに言った方がいいのかなと思ったりした。これでは高齢者は対応しにくいと思う。

しかし、待たされずに電話をかけてきてくれたNTTの対応が良かったので満足。結局、実家の電話線がどうかなっているらしい。母に携帯を持たせてよかった。固定電話だけでは、つながらないときに心配だ。

それにしても、昔と違って電話の会社が増えたことといい、これから電気会社も増えることとなると厄介なことも出てくるのだろうなあと思う。