まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ポケモンGO

2016-07-26 | 暮らし

大騒ぎのポケモンGOの話題を取り上げるまでもないが、ゲームの新時代がやってきた。というか、孫たちはすでにその中で暮らしている。10人ほど家に集まって、TVの前でコントローラーを動かしているチームと、DSを持ち寄って互いに肩を寄せ合って没頭している。モンハンという、いわゆるモンスターハンター。彼らにとってコミュニケーションのツールでもある。バージョンアップする達成感もある。ゲームはファミコンから、DSになり、スマホで実写の中で遊ぶので危険な場面にも遭う。車の中でもしているとは、子どもより心配ではないか。

子どもからゲームをとると「ひまーー」と、言う。しかし、彼らは、日がな一日ゲームをしているわけではない。全否定できない。ゲームをしている間、他のことをすればいいのにという大人がいるが、彼らにとってはそこが楽しいし、日常の一部だと思う。

ゲームとは違うが、弓ばっかり引いていないで、その時間を何かに使えば・・と、言った人がいた。的に中てて、抜いてしまったら何も残らない。もしかしたら時間の無駄だと。これとて、非現実かもしれない。しかし、ここから真善美の追求、礼に関わる体配、禅であり深いものがあるのだと言っても、やっていない人には分からない。弓とゲームは違うが、没頭する対象は、没頭しない人にとっては、不可解なものだろうと思う。

バーチャルリアリティーのゲームも出てくる。どのように付き合うかということなんだろう。心配も多いが、それより心配なのはその親である。「うちの父ちゃん、ずっとゲームしとるし・・」と、子どもが言った。親が迎えに来たのに、子どもが遊びを止めないので促すと「どうせお父さん車の中でケータイしとるし。」と、子どもが言う。小学生を見ると、その親の姿が見える。

わたしも、子どもが小学生の時、忙しくしていて、子どもに十分寄り添っていなかったようにも思える。働きたくないと言った娘が心配だったし、結婚しないと宣言した娘が心配だったが、それでも、それぞれまっとうに育って、子供が出来て、まあ無駄に悩むこともないのかもしれない。子供だって考えているのだ。

この頃は、腰痛でおかしな歩き方をしていて「大丈夫?無理せんといてや。」と、子供に心配されている。