まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

書くということ

2016-07-31 | 暮らし

正岡子規が病床で俳句や、新聞の記事を書いていた。入院した時に、正岡子規の本を求めて読んだ。その気持ちが分かる気がしたのは、日ごろ俳句など無縁であるのに、じわじわと言葉が浮かび、毎日同じ景色の窓の外を眺めて、小さな変化を見つけることが病室で生きることだと思った。

からだが不自由な状態になると、気持ちが鋭くなってくるような気がする。また、書くことは、心の救いであったりする。幸いにも、正岡子規の頃と違うのは、メールがあって友達とやりとりできる幸せがあった。(正岡子規には見舞い客が大勢きていた)

書くことでエネルギーがわいてくる気がする。また、考えを整理することでもあったりする。自身を俯瞰する意味もある。大げさかもしれないけれど書くことは生きることでもある。

ブログをだらだらやっている人は、何の目的でやっているのかとかいうことを言う人がいた。ゴールが見えないブログって何?というような。また、一人ぽっちなんじゃないのとかも言われた。けれど、余計なお世話なのである。書きたい人は書けばいいし、訪問してくださる数少ないわたしの友人への近況報告でもあるし、このブログを通じて同じ意見の方がいればすごくうれしい。

ぼやいたり、泣いたり、つまづいたりしてだらだら続いて何がいけないのか。

ちなみに、アクセス解析をみると、わたしのブログの訪問数は家族が見に来る程度の少なさなので、炎上の心配もなかろうと思うし、のんびり呑気にやっているのっていいんじゃないのと思う。

今日も読んでくれてありがとう。


恐怖の夏休み

2016-07-31 | 小さきもの

やっと7月が終わった。ストレス満載の学童たちは、けんかをしたり、些細なことで切れる子がいる。週一回は休みたいが、それでも人手不足なので、なかなか休めない状況だ。

腰痛の後、膝も痛くなってきて、先週は弓道を休んだ。県体が目前だが、この状態をこじらせ、疲れも溜まる方が良くないと思った。お陰で、腰痛も少し和らいできた。

日曜は山中の道場で合同練習。山中はやはり少し涼しい気がする。

山中の道場では、安土に地蜂がいるそうで、蜂退治のスプレー缶が何本も用意されていた。昼の稽古は危ないらしい。

腰痛が治ったのに、今度は左手のしびれが気になる。次々に襲ってくる小動物と、体調不良。単に年のせいと片付けるにはまだ早い気がする。びくがまたくる。それでも、みんなと弓を引いているのは楽しい。

8月はまだ始まったばかり。読みたい本も、日々の疲れで読めず。

サウナのような体育館で大声を出すのが嫌で、笛を吹いて終了を知らせたりするが、自分が一番耳にきて笛を鳴らし続けると難聴になりそうだ。いい知恵もなく、子どもの顔色を窺い、叱ったりという熱い毎日だ。わたしたちが溜まるストレス以上に、毎日預けられる子供たちも相当なストレスがあるに違いない。

わたしの小さい頃の夏休みは、ぼおーーとしていたし、ラジオ体操へ行って遊ぶ約束をして、宿題も中途半端で、ゴロゴロしていたように思う。規律正しく、時間に合わせて50人がひしめき合っているのは辛いだろう。


猪被害

2016-07-31 | 暮らし

実家の母より電話があった。「かぼちゃが、全部いのししにやられた・・」と。

美味しいかぼちゃということで、うちの婆さんが実家の母にあげた苗だった。実の数は少ないが美味しいということで、もう収穫できそうだったのにと残念がっていた。家は畑のそばなので怖い。夜は出歩かないようにしているが、被害は他の作物にも及ぶであろうことが心配だ。

わたしの住んでいる町は、農家が多く生産組合があって、猪の対策に水田の周りは柵を巡らせてある。しかし、実家の場合は趣味で畑をしているのと、周りは自分の土地だけが山に面しているので、個人的に柵などを作らなくてはならないのだろうか。そうなると、買った方が安くつく。しかし、野菜は趣味と健康のために作っているので、止めると気力がなくなるだろう。

我が家のもぐらにしろ、動物たちも生きるために必死なのである。