爆破予告は何事もなく終わった。しかし、多くの警察や学校関係者は対応に追われた。わたしたちも、早い時間の受け入れと、学校に隣接しているクラスの学童を全員引き受けて、体育館で宿題をさせた。
子供たちは、すでにデマをとばしていた。「〇〇小学校と〇△小学校が爆破されたんや。」んな訳ないっつーの。とは言えず「何かあったら、連絡が来るから、たぶんデマやと思うよ。」「デマ??」デマという言葉も知らずにデマを飛ばすなとも言えず。厄介である。しかし、犯人は捕まえてほしい。
犯人よ、そのエネルギーを社会のためになるように使えないか。
この頃の子供たちは、親から「世のため人のために尽くすように」と、いう育て方をされていない。我も、我もと損得を考える。みんながそうとは言わないが、災害の義援金を払うときに「こっちが寄付してもらいたいわ。お金ないし・・」と、言い切る人がいる。明日の米があればいいではないか。何十万も払えとは言っていないではないか。でも、幸いなことにわたしに周りの人たちは、できる範囲で人の役に立ちたいと思う人が多いのだ。K先輩などは「尽くして求めず」を、そのまま生活の基本にしている。
電話がかかった。娘からだ。「おかあさん今うちにおる?米買うの忘れとった。少しあるけ・・」「米はあるよ。ところでビールある?」「ビールはあるよーー。」明日のビールはあるのだ。感謝しよう。