まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

縦横十文字

2017-01-04 | 弓道

パッカーンと割れる感覚で離れたらいいなあと思いながら引いて、身体に割り込んでいくと、いい感じだなあと思うことがある。離れた瞬間に中りが分かる。それを何回も繰り返すことが出来ればいいのに、次に分からなくなる。こうして、こうやって、ここをこうするとこうなる。分かったような気がして初心者に教えながら、自分はどうなっているのかと思うことがある。自分をみつめたくないのに、みつめなくてはならない状況になる。何と非力で、何と軟弱で、優柔不断で、こらえ性がなく・・と。

よく、自分探しの旅に出るという人がいるが、旅にでなくても弓を引くと自分を探せるような気がする。と、いうより、まざまざと見せつけられるというもの。

夕食後、正月用のゴミが大量になったので小屋にまとめた後、思い付いて弓を引きだした。殿と初射会をしたっけ・・と、思いながら黙々と引いていると弓道なんて何も楽しいことないなあと思う。中っても中らなくても淡々と引いていると、ひとりで修行をしているような感じになる。本来弓は立禅というのだから、修行なのだろう。何十年も引いている割には、悟りも中りもいまいちだ。

そんな時思い出すのは、高〇先生だ。95歳で亡くなった先生は、90歳を過ぎても弓を引いていた。そして、大会の優勝をされたこともあった。加賀市で行われたねんりんピックでは矢渡をされた。最年長で90歳を過ぎても体配をこなし、弓を引く姿を見たことだけでも感動だったのに、矢渡を終えた後「お疲れ様でした。」と、声をかけると2本とも外したことに対して「修行が足りませんでした。もっと精進します。」と、おっしゃったことが昨日のことのように思える。90歳を過ぎても、まだまだ修行をしなくてはならないとおっしゃった先生。

まだまだ修行が足らない。まだまだ、若輩者ではある。そっか、先生の年までに、ン十年あるっ!!

早く道場へ行って、みんなとああだこうだと引きたい。道場へ行くと帰りはみんな笑顔になって帰る。修行より笑顔?