まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

お盆

2018-08-16 | 暮らし

いつも、盆と正月は座敷で宴会をするが、この暑さでは廊下を通って料理を運んだり、食器を運んだりするのが面倒だ。また、居間にはエアコンがふたつついているので、みんなが寄っても涼しいだろう。

しかし、子ども達が大きくなって、kouに至っては、会うたびに「ばぁば、また小さくなった?」と、いう。すでに、わたしの身長は越えてしまい、日々伸びている。生きるという事は、子ども達の成長を見るという事だ。自分の歳を棚に上げて。

そういう訳で、今まではソファの席で子供席を用意したりしたが、大人より食べるのだから、保育園のnanaと一緒にするわけにはいかない。考えあぐねて、バーベキュー用のテーブルを出した。

我ながら良いアイディアである。大人6人、子ども4人。娘も部屋に入るなり「わー」と、感嘆の声をあげてくれた。

子供たちも大きくなって、大人と一緒のテーブルがいいに決まっている。kenは、目の前にあるおかずを取らずに、やたら大人の方に手を伸ばしている。

「同じのが目の前にあるよ」と、いうと「オレが取ったら、momoちゃん取れんやろ」と、優しいのである。

この夏は暑かったので、冷製スープをよく作った。今回は子供たちに、長い間使わなかったガラスのティカップに入れて、プチトマトの輪切りを浮かべた。子供より母親が「かわいい・・」と、声をあげた。大人は乾杯の後に一口スープ。

我が家は一挙にファミリーレストランになった。

子供は大人の元気の基である。わたしの子供だった娘たちは大人になってしまい、女の子には「ママ」と呼ばれているが、男の子たちは「ママ」から「おかあさん」から「かあさん」になって、今は「かあちゃん」に、なっている。呼ばれる名前にふさわしい風貌になるものだ。

わたしは小百合なので「おかあさま」と、呼ばれたいが。普通に「おかあさん」である。なぜか婆さんもわたしを「おかあさん」と、呼ぶ。婆さんを生んだ覚えはない。

それでも、まずまず幸せな状態ではある。元気だし。でも、このテーブルのしつらえに、もうひとり向こう側に座る場所が空いている。みんなを見渡して、乾杯の音頭を取る白髪のじいじの席だ。3回目のお盆である。