まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

化粧品

2018-08-21 | 暮らし

美白、しわやシミがなくなるという類の高価な化粧品を信じていない。たぶん、邪魔くさがりなので丁寧なケアができないから逃げているのかもしれない。本当は化粧もしたくないくらいなのだが、世間の人に失礼かと身だしなみという観点でする。

唯一信じるのは、日焼け止めクリームだ。山へ行く時塗りたくった効果はあった気がする。

いろいろなサプリの半分は信じていない。物忘れしなくなるDHAとか、まぐろのなんとかとか。膝が痛くならないコラーゲンとか、そう簡単に解決したら医者はいらなくなるだろうと思う。しかし、ビタミンCや、コラーゲンを飲んでみる。飲まないより飲んだ方がいいだろうと半分信じている。アミノバイタルもしかりである。

飲まなかった場合と、飲んだ場合、あるいは、塗った場合と、塗らなかった場合が自分自身では比較できないから困る。他人と比較できないのである。きれいな人は、何も塗らなくてもきれいで、その人が高級な化粧品を使ったからきれいなのではないと思ってしまうからだ。どうしたって、年を取るとそれなりになり、異性を越えて人間として付き合う事となる。

年を取って昔の面影が少しあると「あらあ、変わらんね。昔のまんまや。」と、「んなわけない」と、思いつつ社交辞令で挨拶をする。怖い。傍から見たらもっと怖いだろう。昔のままという事は、昔からふけていたのか。そんなことを考えていたらあほらしくなって、早く化粧を落として風呂へ入って寝ようと思う。幸か不幸か化粧を落としても同じ顔である。

 


ヨーコさんの言葉

2018-08-21 | 暮らし

ヨーコさんの”言葉”という5分の番組を観た。「100万回生きたねこ」の絵本を書いた佐野洋子さんだ。

この本を借りてきて孫と読んだら泣けてきた。昔、何故この本が絶賛されるのか分からなかった。何度も生き返る猫が初めて好きになった猫と一緒になり、死んでしまう。ただそれだけのことという作者の言葉に惹かれる。ただそれだけのことが人間の望みなのかもしれない。猫がメス猫を見送ったあと「ねこは はじめてなきました・・・」そして、最後に死んでしまうというところでほっとするのは何故だろう。

もしかして、わたしもそれを望んでいるのかもしれない。会社も辞めてパートで月の半分だけ仕事をしているが、本当はもうどこへも行かず、のほほんと暮らしていたいのだ。

ヨーコさんの言葉に「あらゆる宗教は やがて失われていく愛をおそれた人間の知恵が 創ったのかもしれない。」と、いうくだりがある。

セカオワの「MAGIC」の歌詞の中に「いずれは全て失うのに どうして大切なものが増えていくの?」というのがあった。

どちらも同じことを言っている気がする。大切な人を失うのはもう嫌だ。友達や知り合いが亡くなるのは困る。朝も昼も泣く日が来るのはもうごめんだ。人はそんなに簡単に強くなったりしない。辛さを忘れる時間を作るのが上手か下手かというだけなような気がする。ヨーコさんもわたしのこの考えを分かってくれるだろうか。

2010年に佐野洋子さんは亡くなった。ちなみに、「100万回生きたねこ」は、1977年10月20日第1刷発行、借りて来たものは2016年12月2日 第112刷発行。たいしたものである。

追伸 後日、本屋で見たら「2018年4月23日 第114刷」と、記録更新していた。