題名「樹木たちの知られざる生活」
副題「森林管理官が聴いた森の声」
ペーター・ヴォールレーベン
長谷川圭 訳
早川書房
2019年8月15日 5刷
森のことが書いてある。
森は人が手を着けてはいけない場所なのだということ。
林業で人工的に伐採、植林をしているが、果たして森の立場ではどうだろう。
街路樹の木の気持ちはどうなんだろう。
コンクリートで固められた足回り。水と太陽だけでは木は育たない。
木と木が根の部分で助け合って生きているのが森だ。
街路樹は、根っこが空気を吸いたいために、水道管を破ってしまったという事例がある。水は十分与えられていて、水道管の継ぎ目から漏れる空気を吸いたかったということが、後で分かったらしい。
木の周りは、アスファルトの歩道と車道しかなく、どこまで行っても土はない。息苦しい~~と、木が言ったかどうかは本には書いてないが、そう思えた。
街路樹にとっては、牢屋に入れられたも同然だ。というくだりを読んでから、街路樹を美しいと思うより、哀れに見えるようになった。
人間が誇らしげにすることは、地球を壊すことばかりだとこの本を読んでいるとだんだん人間が怖くなる。
だからと言って、今更わたしたちは人類がホモサピエンスと呼ばれ始めた頃には戻れない。
悪いことばかりではない。木は「フィトンチッド」という抗生作用を持っているので、松林の中の空気は針葉が発するフィトンチッドの働きで無菌なのだという。
また、クルミの木の下にベンチを置くとよい。蚊に刺されないのだという。
しかし、人工林ではダメなのだそうだ。
適応できない場所に植えられた木の叫び。
もしかして、田舎の方がコロナのウィルスが広がりにくいのではないかと、ふと思った。
山登りをすると爽快な気持ちになるのは、森の木のシャワーを浴びているからだろう。
土や草を触っている年寄りが長生きするのは、そのせいかも。
気のせいではなく、木のせい。
この本を読み終わると、人間が無力なのだと思えてくる。
銀座で接待を受けて喜んでいる場合ではないのである。
ひげもじゃの男たちが小銃を持って集まっている場合ではないのである。
わたしも中たらない弓を引いている場合ではないのである。
しかし、何もしないと腑抜けになってしまうので、人に迷惑をかけない範囲でスポーツに親しむのは良いかなとも思う。
勝手なものではある。