米津玄師の「Lemon」と、フジファブリックの「若者のすべて」が、令和4年度の高等学校用の音楽の教科書に掲載されることを知った。
Lemonが主題歌だったドラマ「アンナチュラル」を、欠かさず観ていた。
今迄聴いたことのない旋律の、優しく悲しい曲だと思った。
教科書!!
わたしたちの音楽の教科書には紙風船(赤い鳥)の「翼をください」と、マイク真木の「バラが咲いた」だった。
オリンピックの開会式で「イマジン」が流れた時、娘たちに「高校の体育祭で流した曲やわ」と、いうと「いいぜー」であった。
娘達は「昴」だったか?と、言うと「違う気がする、加山雄三も歌っていた」
「あ~サライね」そうそう・・なぜか歌の話しになるとみんな盛り上がる。
そういえば、体育祭の時イマジンの他に、PYGの「花・太陽・雨」も流れていた。ショーケンとジュリーだ。まさしく私たちの青春だった。
ショーケンは亡くなり、ジュリーはひげもじゃのじいちゃんになった。
「若者のすべて」を、しみじみ聴いた。驚くほどしみじみする。
セカオワやYOASOBIや、ゆずも好ましいが、誰も私の意見を聞いてはいない。
どれも、孫や娘が口ずさんでいて知ることとなった歌だ。
職場のmさんは、嵐と言えば「嵐勘十郎」と、言う年代だ。
親子で共通の曲をいいねーと言える間はいい。
しかし、最近の歌はやたら歌詞が長い気がする。
それって、ついていけなくなってきたのだろうか。
昔は、ラップやダンスは日本人には似合わないと思っていたが、今や若者はみんなリズム感があって凄く似合うし上手だと思うようになってきた。
歌には力がある。心に寄り添ってくるものもある。
その歌を歌うと、あの頃のことが思い浮かぶというもの。
ゆずの「雨のち晴レルヤ」は、朝ドラの「ごちそうさん」の主題歌だ。
雨のち晴れるや~という希望に向かう気力が出る歌だ。
おまけに、間奏にドボルザークの「新世界より」が挿入される壮大さだ。
その頃、わたしは癌治療のため仕事を辞めた。
それで、kenを保育園へ送迎するのが唯一の楽しみだった。
ちょうど娘達が家を建てるために8人で一緒に暮らしていた楽しい時期だった。わたしの髪が少し伸びてウイッグをかぶらずに送っていくと、保育園の先生が玄関で「あら~、ken君のおばあちゃん、思い切ったぜ~」と、ベリーショートにしたのだと思って声をかけた時、kenはわたしの太ももにしがみついた。たぶん、普通ではないことを知っていて、わたしをかばったのだと思うのだ。
毛が生えていない時に、風呂から上がると「ばぁば~、早く毛のある帽子をかぶりなさい」と、言っていたし。
保育園へ行く途中「♪突然、偶然、それとも必然、♪~~あめのち はれるや」
私と一緒に、回らない口で歌いながら、手をつないで行った彼も今日で13歳になった。身長もはるかに高くなって、わたしを見下ろすようになった。
余談
今日は奮発して芝楽の寿司をプレゼント。
「とーちゃん、〇〇やら〇〇より豪勢や!!」と、回転ずしの名前をあげていた。「あたりまえやろ。格が違うやろ」と、親子の会話が微笑ましい。
