つい言ってしまいがちな「普通~」。
気の合う仲間同士で、誰かのことを「普通はそんなことしないよねー」と、言ってしまいがち。価値観が同じ仲間ならいいが、そうではない時落ち込む。
友達に「普通はこのくらい知っているよね」と、言われそれを知らなかったとき落ち込む。
でも、普通ってなんだ?と、思う。
普通の発想では切り抜けられない世の中だというのに、普通を求められる。
誰かの普通は、誰かの基準であって、わたしの普通ではない。普通は幻のようなものだ。
「普通はすれ違ったら挨拶するよね」ではなく、「すれちがったら挨拶をするのは礼儀ですね」である。
普通を口癖にすると耳障りである。気を付けなくては。
「外から帰ったら、普通手を洗うよね」ではなく「外から帰ったら、手を洗いましょう」あるいは、「わたしは洗っています」なのである。「普通って誰よ!!」と、時々反論したくなる時があったりする。
それを言われたとき、必ずテンションが下がる。
レストランで「何にいたしましょう?」と、訊かれて「普通みなさんは何にしますか?」とは言わない。「この店のおすすめは何ですか?」
わたしはわたしで普通ではない。友達もみんな普通ではない。変人というわけではないが個々に良いものを持っている。
そういえば、田中真紀子議員が「凡人、軍人、変人」って、言っていたなあ。
安部首相は何人だろう。鯛人か?
半年ほど前だったかに何かで読んだ非国民についてのコラムです。「非国民」とレッテルを貼り批難することのおかしさを指摘していました。
「非国民」と言うには「国民」とは何かを定められていないといけないが、それが定められないまま批難している。その批難は気に食わないことが理由になっている。
「普通は。。。」も何となくこの非国民に似ているなあと感じましたが、いかがでしょうか。
ほんとほんと、そだねーと言いたい。
対象が曖昧ですよね。
普通も、たいがい言われるときはへこみますし、他人のことを言う時には、ちょいと勝ち誇っている自分が怖い。
そうですね。
普通は普通で、可もなく不可もなく。