話を元に戻すが、『四巻の書』の書は、『弓道教本第四巻』ではない。
初めの「當顔衆生、百八惱煩、無量重罪、則時消滅」
「当に願わくは衆生、百八つの悩み煩い、無量の重罪を、則ちの時に滅せんことを」
分かり易く言うと、「さあ、真面目に修行してこの世のいっさいの迷い事から抜け出そうではないか」ということ。
ところが、真摯に取り組むと、迷いがどんどん深まるのである。
同じところを行ったり来たりしているような気がする。
登山なら、道迷いで遭難である。
それでも、歩みだしたら上を目指さなくてはならない。
そして、師を求めるのは早道かと考える。しかし、そうは問屋が卸さない。
「皮肉骨の事」という口伝がある。
それは何だ?下手な弓を引く自分に対して、皮肉を言うのではない。
正しい解説は「段階をたとえていう仏教用語である皮肉骨髄からきている。
これは皮から髄になるほどに師の考えに近づくことをあらわす。
つまり祖師の骨髄にはなかなかたどり着けない。
思い通りにいかないことや、それによる避難を意味する「皮肉」という言葉はここからとられている。」
何とかして髄とは言わないが、骨までは届きたいものだ。
しかしながら、骨折り損の・・とならないように。
稽古の方向を間違えないようにしなければ。
参考資料
「弓道の原点 四巻の書」武田功太郎
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