まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

蕎麦打ち会

2014-12-12 | 料理

九谷焼の先生の工房で仲間が集まり「新そば」を打って食べた。日頃、絵筆をふるうテーブルに、蕎麦打ちの台がぴったり納まり、うってつけとはこのこと。

武生のHさんが、本格的な蕎麦打ち名人。毎年恒例とのこと。わたしは、昨年初めて仲間入り。旦那も一緒にお邪魔して、もっぱら食べる方の専門だった。

なかなか均等に広げるのは難しそうだが、慣れてきたKさん。切った時に少し短冊そばが出来たらしいが、二度目はなかなか良い出来だった。

蕎麦を切る包丁は、工夫がされていて、良い具合に切れそうな気がして切らせてもらったが、細くなったり、びびったり不器用さが証明された。

しかし、打ちたての蕎麦は生きている。歯ごたえと言い、香りといい最高。「まいう~」こういうのを食すと、そこらの蕎麦は食べられなくなるかも。旦那もいつもより食欲があった。総勢8名で、ざるを囲むと、あっという間になくなっていく。何回も茹で、20食分を8人で、あっという間のスピードだ。この後も、ぼつぼつ話しながら、鮒のあらいも出たし、贅沢な時を過ごした。

みんなで食べると、パワーがあふれる気がする。

 


文通25周年

2014-12-10 | 暮らし

今年もインドのバルウさんから誕生カードが届いた。

ひらがなで「こちらはいまあさあついとよるさむいです。あなたは わたしに にじゅうごねんおてがみかきます・・」と、昨年までは漢字もまじっていたが、今年はひらがなオンリーになっていた。25年の歳月は、彼を日本語から遠ざけていくかも。もちろん、わたしも幼稚な英語しか使えない。それも自信がなく翻訳ソフトでやっと書いている始末だ。なので、ふたりの間には、政治的な話も情緒のある話も、文学を語るでもない。それで25年とは、一体。。。。

しかし、今年は例年のクリスマスカードよりずっと高価なものにした。そしてひらがなで付け加えた「25しゅうねん、おめでとう・・」って、分かるかなあ?

音楽が鳴り、光も順番について超豪華版だが、折れ曲がったりしたらダメになるらしい。

インドまで無事でありますように。

 


爺さん93歳

2014-12-09 | 暮らし

12月9日、我が家の爺さんの誕生日だ。我が家は、7日がわたしで、婆さんが10日。娘の婿殿が12月6日と、この辺がラッシュである。6,7,9,10で8日に誰かを誕生させたくなる。

当然のことながら爺さんが年長で、ついに93歳となった。自分では「91才・・」と、言ったが昨年より良い。昨年は誕生日に尋ねると「89才や」と、言っていたので、誤差はひとつ縮まったではないか。

食欲はあるし、ディサービスにもきちんと通っているし、たいしたものである。

ケーキをおおいに喜んだ。


ホワイト コンサート

2014-12-07 | 暮らし

12月7日は、わたしの誕生日だ。雅子妃殿下と二日違いというところに高貴さがあふれる。

その佳き日に、明峰高校の吹奏楽部の生徒たちが、わたしの為に誕生コンサートを開いてくれたような気になった。

本来2月に行われる「ホワイトコンサート」が、諸処の事情で12月7日に行われ、弓道協会の〇さんよりチケットをいただき、車椅子専用の場所があるということで、旦那と根上総合文化会館へ出かけた。雪が積もったので、まさしくホワイトコンサートになったが、道中暗くなると運転が怖かった。

今までは、旦那の横で大口を開けて寝ていても目的地に着いたのに、最近は運転手だ。何十年も楽をさせてもらっていたのだ。今から何十年でも頑張りますよ。

さて、素晴らしいコンサート。音楽はエネルギーを与えられる。

コミカルな場面もあり、最後は60名全員の圧巻の演奏で、拍手は鳴りやまなかった。


八甲田山

2014-12-03 | 暮らし

故高倉健さんの数ある映画の中で、名作と思えるものも数々あるが、私の中では「八甲田山」は、強烈な作品と思う。

我が家で追悼映画鑑賞をした。と、言ってもふたりで観たというだけの話だが。

旦那の得意な「アーカイブス」の中に健さん映画は何枚かあり、「八甲田山」をもう一度観たが、前に観たはずなのに、三国廉太郎演じる大隊本部の大尉の勝手な思い付きの命令にいちいち腹が立ってくる。210名中199名の死亡者を出たのには、天候の急変、準備段階での情報不足、冬の八甲田山に対する認識の甘さ、大隊本部の随行による意思決定の不統一。

極限状態で、雪の中で泳ぐ者や、崖での滑落。いつの間にか手を握っていた。

戦争の訓練と言うには余りにも悲惨。

その中で、健さんの役柄は健さんらしい実直さが出ていていいなあと、ほれぼれした。ついでに、秋吉久美子も可愛かった。

さて、観終わった後、菅原文太さんの訃報を聞き、「戦争は絶対しないこと」と、言っていたことが、八甲田山を観終わった後だけに、身に染みた。昭和は遠くなっていく。