まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

方言

2017-01-06 | 暮らし

正月に家族が寄った時、娘婿が知らない方言というのを言っていた。大聖寺弁と、山代、山中、片山津では少し違うところがあるようだ。大聖寺は城下町なのでその影響かもしれない。

加賀弁のなかでも分からないのが多いのは、核家族化していくせいかもしれない。

はんかくさい。けなるい。じらくさい。めとにする。べんこな。あっくり。くっつり。ねまる。いじくらしい。いくつ知っているか、娘たちは婿殿を困らせていた。妻は怖い。

岡崎で暮らす弟も故郷を早くに離れたせいか名古屋弁がよく出る。「~だもんで」「~じゃんねぇ。」とよくいう。移りそうになる。三河弁は「じゃん・だら・りん」とか。やっぱりこちらへくると加賀弁とまざってしゃべっている。

姪は、「はよしねや。(早くしなさい)」が、びっくりだったという。三河弁なら「早く食べりん。」とかになるのだ。りんは可愛いね。しかし、愛知では「一緒にしんで。(しないで)」と、言うのだ。これもびっくり。

名古屋のビールをもらった。「でらうまい」と、書いてあった。こちらでいうと「てんぽにうまい」と、なるのだろう。


息子

2017-01-05 | 暮らし

わたしには息子がいないので、息子に対する気持ちは分からないが、両親を見ていると「へー、そうなんだっ。」と、いうことに出くわす。

いつも父の病院へ行くと、必ず髭を剃り、調子が悪いの、手が震えるのと訴えるのを聞く。先日は、入れ歯を洗った後、「正月には、〇也が来るから。」と、言うと、「病院へ来んでもいい。みっともない姿を見せると可哀そうや。」と、言うのである。自分のことではなく、弟を思う父なのである。いつも、来ている娘には、みっともない姿や、泣き言をいうのは平気なのだ。

弟の到着が遅いと、母は食事も喉を通らないようだったし、帰った後に、野菜や漬物を渡し忘れたことを電話してきた。本人には電話せず、わたしにくどくどと、「あれもこれも忘れて・・。」と、残念なことを述べるのである。わたしに電話してもどうしようもないのだが、「残念やったね。この次持たせてあげたら・・。」と、言うしかない。

息子は特別なものなのだろう。年を取ってからできた息子で、盆と正月にしか会えない息子は格別だ。おまけに、男の子は母から見ると、口うるさい娘より心優しく思えるようだ。

なにはともあれ、無事に帰って、また日常が戻って寂しいような、ほっとしたような両親をみた。


縦横十文字

2017-01-04 | 弓道

パッカーンと割れる感覚で離れたらいいなあと思いながら引いて、身体に割り込んでいくと、いい感じだなあと思うことがある。離れた瞬間に中りが分かる。それを何回も繰り返すことが出来ればいいのに、次に分からなくなる。こうして、こうやって、ここをこうするとこうなる。分かったような気がして初心者に教えながら、自分はどうなっているのかと思うことがある。自分をみつめたくないのに、みつめなくてはならない状況になる。何と非力で、何と軟弱で、優柔不断で、こらえ性がなく・・と。

よく、自分探しの旅に出るという人がいるが、旅にでなくても弓を引くと自分を探せるような気がする。と、いうより、まざまざと見せつけられるというもの。

夕食後、正月用のゴミが大量になったので小屋にまとめた後、思い付いて弓を引きだした。殿と初射会をしたっけ・・と、思いながら黙々と引いていると弓道なんて何も楽しいことないなあと思う。中っても中らなくても淡々と引いていると、ひとりで修行をしているような感じになる。本来弓は立禅というのだから、修行なのだろう。何十年も引いている割には、悟りも中りもいまいちだ。

そんな時思い出すのは、高〇先生だ。95歳で亡くなった先生は、90歳を過ぎても弓を引いていた。そして、大会の優勝をされたこともあった。加賀市で行われたねんりんピックでは矢渡をされた。最年長で90歳を過ぎても体配をこなし、弓を引く姿を見たことだけでも感動だったのに、矢渡を終えた後「お疲れ様でした。」と、声をかけると2本とも外したことに対して「修行が足りませんでした。もっと精進します。」と、おっしゃったことが昨日のことのように思える。90歳を過ぎても、まだまだ修行をしなくてはならないとおっしゃった先生。

まだまだ修行が足らない。まだまだ、若輩者ではある。そっか、先生の年までに、ン十年あるっ!!

早く道場へ行って、みんなとああだこうだと引きたい。道場へ行くと帰りはみんな笑顔になって帰る。修行より笑顔?


お節料理

2017-01-03 | 料理

昨年は喪中で正月をしなかったので、おせち料理を作る要領が悪く、美しく仕上がらないなあと思った。母は、お節は目に楽しくなくてはいけないという。食べれなくても山の魔法が必要なのだ。松、南天、杉、柚子を、実家から持ち帰る。全部洗って腕まくり。

松葉を濡らして小麦粉を振ると雪が降ったような松葉になる。それにしても、雪が降らない正月なので、早く作ると日持ちがしないので困るのだ。

何とか出来たが、綺麗な色に撮れなくて残念。一番人気はごぼうと人参の牛肉巻きで、補充用にたくさん作ったが完食。今年は大根と人参の市松模様の牛肉巻きを加えた。こちらは、少しあっさりめの味で良かったが、均等に切るのが結構難しかった。

冷凍の蟹の解凍が間に合わなくて、娘にストーブで焙ってもらって皿に盛りつける。これが良かった。焼いたら甘くなって、温かくて。

最後はワインで、いつものチーズのフランスパンを出すと「おかあさんの定番やね。」と、言って全員が手を出す。夏も冬も外せない一品で、これは早くに作って冷凍をすればよいので助かるが、以前から使っていた、細いサラミソーセージがなくて、ウインナーを使って無理に詰め込んだので、切るときにパンが割れてしまった。

何はともあれ、88歳の婆さんから、2歳の孫まで老若男女勢ぞろい。10名。ほんの少し前までは、殿の妹家族も来ていたので、15名がピークの時があったが、手間のかかり具合は10名も15名もあまり変わらないのである。

子ども達テーブル。おにいちゃんが、ジュースやお茶を用意してくれるので助かる。

刺身とから揚げも外せないし、結局、また余るのだがついつい作ってしまう。そして、今から残り物で3、4日暮らすのである。

そうそう、お酒を買い忘れて娘に買いに行ってもらった。ビールの心配ばかりしていた。新年のお酒を忘れるなどあり得ない。殿がいたら酒の買い出しは忘れるはずがないのだが。おまけに、暮れに「〆張り鶴」があったのをこっそり飲んでしまっていたのに忘れていた。しかし、一体誰にこっそり?

 

 


きんとん

2017-01-03 | 暮らし

1月2日に家に集まる娘たちのために、いつもの定番のおせち料理ははずせない。

まず、きんとんは裏ごしをするので出来上がりまでに1時間以上かかる。

きれいに裏ごしをしても、写すと美味しくなさそうな色である。ここから砂糖を入れて煮詰めるのだが、裏ごしに精力を使い果たすので、きんとんだけはみんなが来る前日に仕上げなくてはならない。

同時進行で煮物を作るのが、これも全部別々に煮るので鍋はいるし時間がかかる。筑前煮を作ったこともあったが、重箱に詰めるときにきれいではないので、やはり単品で煮ることになる。

この後、実家へ行き帰省した弟たちと正月を迎える。

九州土産の明太子レンコンと、辛子レンコンが美味しかった。明太子の方が辛かった。帰りに半分貰って帰る。酒がすすんで何の話で盛り上がったのかよくわからないまま、ほろ酔い気分で帰るしあわせ。代行は1時間待ちだった。元旦から働く方に感謝。