下村文科大臣が東京オリンピックに向けて、
選手強化費を実質国が全額負担する方針を
明らかにしました。
日本オリンピック委員会を通じた選手強化費は、
競技団体が3分の1を企業の寄付金など自前で
用意しないと、残り3分の2の国の補助金を
受けられない仕組みになっています。
それを時限的に国が全額負担する方針だそうです。
こういうところに政治哲学が見え隠れします。
大きな政府、国家関与が望ましい、という姿勢です。
現行では選手強化費は、国が26億円負担して、
競技団体が13億円負担する形になっています。
こういう制度はよい制度設計だと私は思います。
私のような自由主義者・穏健な保守主義者は、
できれば国の関与が無いに越したことはない、
と考えます。市民や社会の役割を重視します。
スポーツのような私的領域のことに関しては、
国家(行政)の関与は少ない方がベターだと、
私のような考え方の人間は思います。
企業や団体の協賛や個人の寄付、場合によっては、
地方自治体の支援等でスポーツ振興がなされ、
それで選手が強化されるのがベストと考えます。
しかし、寄付税制なども発達していない中では、
個人の寄付や企業の協賛だけでは資金が足りず、
やむを得ないので、国が助成する、というのが、
基本的な形であるべきだと考えます。
そういった意味では、国が3分の2を負担して、
残りの3分の1を競技団体が負担する形式は、
かなり優れた制度設計と言えると思います。
もちろん3分の1にあたる資金を集めるのは、
競技団体にとってはたいへんな仕事です。
私もNGOで寄付金を募る仕事をしていたので、
その苦労というのは容易に想像できます。
しかし、個人の寄付や企業の協賛を得るためには、
まず理解してもらうことが第一になります。
そのために一生懸命に広報活動に励むだろうし、
競技人口やファンを増やすことに力を入れます。
結果的に多くの善意の寄付や企業協賛に支えられ、
その人たちの心のこもった応援を得られます。
また競技人口が増えれば、すそ野が広がるので、
優秀な人材が集まるようになることでしょう。
従って、自由主義者、小さな政府論者というのは、
オリンピックの選手強化では個人の善意の寄付や、
企業の協賛を尊び、国の関与を減らそうとします。
国家が一定の強制性をもって徴収する税金よりも、
個人や企業の自発的な寄付や協賛の方が、よほど
心がこもっていて尊いものだと私は思います。
他方、大きな政府論者、あるいは、国家主義者は、
国の関与を望ましいものと考える傾向があります。
典型的なのは旧社会主義国(いまの中国も)です。
国を挙げて優秀なエリート選手の強化にあたり、
スポーツを国威発揚の道具のように見なして、
必死になって国費で選手を強化します。
そこにはスポーツを楽しむといった要素は少なく、
ドーピングしてでも勝つことが重要になります。
ファン層を広げる必要もまったくありません。
ただ強い選手を育て、メダルと獲得することが、
国家としての至上命題になってしまいます。
楽しく誰でもスポーツができることは重要でなく、
ひたすら強い選手を育てることが目的になります。
国が全額負担する選手強化策をとるくらいなら、
現行の3分の2を国が負担する制度を維持して、
その上で寄付金税制を拡充すべきだと思います。
個人や企業・団体が寄付しやすい税制になれば、
オリンピックやパラリンピックの選手強化にも、
民間のお金が集まりやすくなると思います。
補助金を増やすという、大きな政府的手法より、
寄付金減税という、小さな政府的な手法の方が、
スポーツのすそ野を広げるのに効果的です。
何でも国に頼る態度や心情が積み重なった結果、
国の借金がこんなに積み重なってしまいました。
スポーツの世界こそ自助努力を大切にすべきです。