「誰でもいい仕事」でなく「自分だけの仕事」を。ふんどし社長が鬱病になって気づいたこと
12月21日 12:11リクナビNEXTジャーナル
「SHAREFUN®(しゃれふん)」をご存知だろうか。数々のメディアに取り上げられ、今話題のこのSHAREFUN®は、その名の通り“おしゃれなふんどし”という、ユニークな商品だ。
SHAREFUN®の仕掛人は、中川ケイジさん。いまでは「世界一のふんどし社長」と呼ばれる中川さんだが、会社員時代に鬱病を発症し、一念発起して起業したという経緯がある。
窮地に追い込まれた中川さんは、どのようにして“ふんどしをおしゃれにしてみよう”という思いに至ったのだろうか? 人生の苦しい時期の乗り越え方について、話を聞いた。
穿いてます。ふんどし。
―ズバリ、ふんどしの魅力は何ですか?
一番の魅力は、パンツと違って“ゴムで締め付けられない”こと。自分の身体のサイズに合わせて紐で調節できるので、とにかく快適なんです。ゴムで遮られていた血管の血流が良くなることで、女性なら冷え症が改善されたり、男性なら朝起きたときの下半身が元気になったり。一度ふんどしで寝てしまうと、パンツに戻りたくなくなると思います。
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―中川さんは普段もふんどしで生活されているのですか?
はい。もうパンツは一枚も持っていないので。パンツは全部捨ててしまいましたけど、何の問題もないですよ。ジムで年配の人によく「なんでふんどし穿いてるの?」って突っ込まれて、そこで話が盛り上がったりして(笑)
ふんどしは下着としても良いところがいっぱいあるのですが、僕は“コミュニケーションツール”だと思っています。友達にプレゼントすると話題になるし、試して良かったら人に話したくなる。だから今、じわじわと広がってきているんだと思いますね。
企業勤めで鬱病に
―SHAREFUN®を始める前は、どんなお仕事をされていたのですか?
30歳までは美容師をしていて、その後、親族が立ち上げた営業会社に転職しました。コネ入社なので、入っていきなり部下がいる状態だったんですけど、営業として全く成果を出すことができなくて。
さらに、部下の方が圧倒的に優秀なのに、僕がマネジメントしないといけませんでした。 身内の下で働きたいという思いだけで入ったので、苦労しましたね。営業もマネジメントも、そもそも向いていなかったんでしょうね。能力がないのに、自分を大きく見せようとがんばりすぎたせいで、鬱病になってしまったんです。
―鬱病と診断されたのは、いつのことですか?
ちょうど東日本大震災の直後くらいですね。震災が起きた日に、渋谷から巣鴨の自宅まで5時間ほど歩いて帰ったんです。その途中で、「多くの方が亡くなっているのに、会社で何の役にも立てない僕が、なんで生かされたんだろう」と考え始めてしまって。 それまでも電車に乗れなくなったり、朝になると頭痛がしたりしていたので、自分でもなんとなく「鬱かもしれない」とは気がついていました。
けれども自分のなかで「鬱で会社に行けない人なんて、本当に弱い人だ」という思いがあったので、認めたくなかったんです。でも奥さんに「病院へ行ったほうがいいんじゃない?」と言われて……重い腰をあげることにしました。
―そこまで追い込まれる前に、会社を辞めようとは思わなかったのですか?
ある意味、会社に依存していたんだと思います。「こんな僕なんて、どこの会社に行ってもダメだし、こんな仕事のできない僕を雇ってくれるところなんて、どこにもないだろう」という思いがあったので。周りから冷たい視線を向けられながらも、会社にぶら下がっているしかなかったんですよね。
―病院で診断されてからは、どうしたのですか?
医師から「半年間は休まないとまずい」と言われたので、診断書を書いてもらって、会社を辞めました。今から思えば、心のどこかでずっと“休むきっかけ”が欲しかったんですよね。辞めた後は、意外とスッキリしていました。
会社さえ離れれば、これ以上しんどいことはないとわかっていたので、気持ちはすごく楽になった。そのときに、それまでもらった名刺も全部、捨てました。
初体験したふんどしに魅せられた
―ふんどしと出会ったのは、いつのことですか?
病院で鬱病と診断されたのと同じ時期です。会社を辞める前に、お世話になった方々へ挨拶回りをしていたのですが、とある企業の社長さんが雑談の中で「実は、ふんどし穿いてるんだよね」と話してくれて。
見せてもらったら、イメージしていたふんどしとは全然違っていたんです。 お祭りのときに穿く、ネジネジに巻いたタイプのふんどしがあるじゃないですか。あれを想像していたら、前垂れもあって、お尻も隠れている“越中ふんどし”のタイプだった。
そこからふんどしの良さについて、いろいろ話を聞いているうちに、「どうせこれから休みに入るんだし、話のネタに、自分も1枚買ってみようかな」と思ったんですよね。話してくれた社長さんが、あまりにも楽しそうに話してくれたので(笑)
―なるほど。初めてふんどしを穿いてみて、どうでしたか?
最初はもちろん、その快適さに衝撃は受けたんですけど、何よりも久しぶりの“初めての体験”が楽しかったんです。
34年間も生きていると、日常の中で初めての体験って、そうそうないじゃないですか。お風呂上がりに説明書を読みながら穿いたんですけど、「ふんどしを締める」という行為そのものが、とても楽しくて新鮮でした。それから寝るときだけじゃなく、普段も穿きたいと思うようになったんです。
それなのに、当時はふんどしを探そうとしても、全然見つからなかったんですよ。百貨店やセレクトショップにも置いてないし、ネットで探しても、お祭り用のふんどししか見つからなくて。でも、「よく考えてみたら、ふんどしって“紐”と“布”さえあればできるな」、と気がついた。アパレルの知識も経験もない僕でも、生地の組み合わせで、ビジネスにできるんじゃないかと思ったんです。
辛いときは“できること”より“好き嫌い”で道を選ぶ
―会社を辞めてから起業するまでは、どれくらいかかりましたか?
その年の6月から休みに入って、6月と7月の2ヶ月間はゆっくり休みましたが、7月の終わりくらいにSHAREFUN®を販売しようと決めて、8月に入ってから販売に向けて動き出しました。そして12月1日には、SHAREFUN®の販売を始めましたね。
―SHAREFUN®をやろうと決断した決め手は?
ずっと自分の中に「マイナーな業界でもいいから、一番になりたい」という思いがどこかにあったんですよね。阪神大震災で被災した経験があるので、東日本大震災の前から“自分が生かされた意味”を考えていたことも、少なからず影響があると思います。
会社に勤めた経験から、組織の中でがんばって一番になるのは向いていないし、できないということがわかったので、だとしたら“誰も戦わない場所で一番になることを目指すしかない”と。さらに「ふんどしのポジションなら空いている」と、自分なりに分析したんです。
―療養中なのに、すごく前向きだったんですね。
変な話、“会社を辞められた”ということが、自分にとってプチ成功感だったんです。「俺は勇気を持って、会社を辞められたぞ!」というのが、ちょっと嬉しかったというか。
休みが終わって、次はどんな働き方ならできるだろうかと考えたときに、思いつく限りの“イヤなこと”を書き出していきました。「電車には乗りたくない」「マネジメントはしたくない」「先輩・後輩の付き合いはイヤ」……とかね。
そうすると、これから自分がやることがどんどん狭まっていった。マネジメントも付き合いも嫌となれば、会社員にはなれないので、逆に「もう自分でやるしかないやん!」となって、ふんどしへの思いが固まっていったんですよ。「家族が食べられるだけの月30万円くらいなら、なんとかいけるんちゃうか!」って思って。
―イヤなことを書き出すと、ネガティブな思考に陥りそうですが。
逆に“できること”を書き出そうとして、筆が止まることだけは避けたかったんですよ。当時は休みを取って、奥さんに働きに出てもらっていたので、自分も少しでも何か前向きに動いていたいという思いもあって。
当時の僕には、美容師と売れない営業の経験しかないんですから、“できること”なんて限られているでしょう。もしそのときに“できること”を書き出していたら、筆が止まってしまって、ふんどしには絶対に辿り着いてなかったでしょうね。
実は僕も、ふんどしをプロデュースするのではなく、「美容師の経験と営業の経験を生かして、美容院のコンサルをやろうか」と考えたこともありましたよ。でも、先にイヤなことを書き出していたので、「美容院のコンサルがやる仕事って、ほんまにイヤなことの中に入ってない?」と見直してみたら、「めっちゃいっぱい入ってるやん!」って気がつけたんです。
心がしんどい人は、次になにをやるのかを決めるときに、“できること”よりも“好き嫌い”を優先しないといけないんです。“好き嫌い”ではなく、そのときの自分が持っている“できること”のカードの中から選択したら、次やることでもまたどんどんしんどくなってしまうので。
“自分だけの仕事”は、目の前の仕事のなかにある
―ふんどしをやると決めたときの、奥様の反応はどうでしたか?
普通、鬱で仕事を辞めるなんて言ったら、「これから先どうすんの?」と言うのが当たり前だと思うし、「ふんどしなんて、誰が買うの!?」って反対すると思うんです。
けど、奥さんは「やりたいようにやったら?」と自由にやらせてくれたのが、僕にとっては本当にありがたいことでした。
―最初に伝えたときは、反対されると覚悟していましたか?
そりゃ普通に考えたら、会社を辞めて良いわけないですよね。しかも単に会社を辞めるだけじゃなく、身内の会社を辞めるっていうのは、その後の身内との関係も考えると、なかなかのことですからね。
でも後から奥さんに聞いたら、「あなたが会社で苦しんでいるのも知っていたし、いつ辞めると言うのかと思ってた」とあっさり言われて。「あなたはもっと自分の個性を出したほうが良いんじゃないの」と言ってくれたので、「ふんどしをやろうと思ってる」と話したら、「まさかふんどしとは」って大笑いしていましたね(笑)
―素敵な奥様ですね。中川さんはもし、ふんどしと出会っていなかったら、どうなっていたと思いますか?
うーん……ちょっと想像できないですが、何か他のものが見つかっていた気はしますね、今となっては。というのも、会社を辞めざるを得ないという、究極に追い込まれた状況になっていたので、「何かできることはないかな」と、アンテナはめちゃくちゃ張っていたと思うんです。
ふんどしだって、普通に会社員生活が順風満帆だったら、勧められても試していなかったでしょうし。藁をもつかむ思いで、「新しい何かを見つけたい」とアンテナを張っていたからこそ、ふんどしを見つけられたと思うんですよね。
だから、たまたま勧められたことでふんどしと出会えて、すごくラッキーだったと思う反面、それを試すという行動に移した自分を褒めてあげたいです。ふんどしとの出会いを引き寄せたのは自分のその行動だと思うので。ふんどしを勧めてくれた社長さんも言っていましたから。「今まで何十人にもふんどしを勧めてきたけど、実際に買って試したのは中川くんだけだった」と。
―中川さんにとってのふんどしにあたるような、自分が一番になれることを誰もが探していると思うのですが、どうすれば見つけられますか?
ふんどしはインパクトが強いので、「自分も何か特殊なものを見つけないといけない」と思われがちなのですが、そんなことはないんですよ。 僕の場合、自分の得意なことや楽しんでやれることは、“既存のイメージをくつがえして、モノの価値を高めること”だったのだと、ふんどしを通して気がつきました。
でも、こうした “自分じゃないとダメな仕事”っていうのは、組織の中にいても、探して突き詰めていけば、きっと見つかるはずなんです。 目の前の仕事を「誰でもいい仕事」から「自分しかできない仕事」へと昇華させるにはどうすればいいのかと考えて、その仕事に付加価値をつけていけばいい。
たとえば上司に頼まれてコピーを取るにしても、なぜ上司がそのコピーが必要なのかを考え、上司がなにかの情報を集めているのであれば、それに関する資料を添えてコピーした資料を渡すとか。そんなふうに、一つひとつの仕事を通して“誰かにとって必要不可欠な存在”を狙いに行けばいいんじゃないでしょうか。
履歴書の空白も、人生の選択をするためのカードになる
―ちなみに、中川さんがいつも取材時に同じ服装をされているのは、何か理由があるのですか?
メディアに出るときは必ず“蝶ネクタイに紺のジャケット、丸メガネで横分け”の中川ケイジのスタイルを固定することで、「また、あいつか!」って思ってもらいたいんです。僕のことを覚えてもらえたら、ふんどしの広報にも役立つし、これからふんどし以外の何かを発信したくなったときにも、役立ってくると思っているので。
下の名前をカタカナにしているのも、そのためです。少しでも印象に残りやすくすることをいつも意識しています。
―自分のブランディングという意味では、メディアに出るときに鬱の過去を隠すという選択肢もあったと思うのですが、そうしなかったのは、なぜですか?
だって、本当のことだし。僕の場合は、能力がないと自分でわかっているので、周りの人に「あいつ助けてやらないと、ヤバイんちゃうか」って、応援してもらいたいなと思ったんです。過去の失敗や、しんどかった話って、応援してあげたくなるじゃないですか。
あとは、鬱で苦しんでいる人や、何度も転職している人たちのロールモデルになれたらいいなと思いながら活動しているので、隠す必要はないんですよ。
それにね、自分では過去の失敗だと思っていることも、他人から見たら、すごくおもろい経験だったりするんです。マイナスな部分にこそ、価値がある。
―鬱になった経験があったから、今があると。
もちろんです。程度の差はあれ、誰にでもしんどい時期ってあると思う。そんなときは割り切って、「いつか、こんなにしんどいのも良い人生経験だったなと思えるようになる」と信じて、なるべくそのときの時間を楽しんでほしい。
しんどい時期は、後で履歴書に「空白」って堂々と書けるくらい、ゆっくりと休めばいいんですよ。そんなに心配しなくても大丈夫。自分だけが弱い人間だと決めつけずに、いったん自分の目標を見つめ直す良いきっかけだと開き直っていいんです。「空白」も人生の選択をするときのヒントになる、1枚のカードなんだから。
中川ケイジ
一般社団法人日本ふんどし協会会長。有限会社プラスチャーミング代表取締役。1976年兵庫県生まれ。大学卒業後、美容師に。その後コンサル会社に転職するも営業成績が悪く思い悩み鬱病に。その時たまたま出会った「ふんどし」の快適さに感動。ふんどしで日本を元気にしたい!と強い使命感が芽生え独立。おしゃれなふんどしブランド『SHAREFUN®(しゃれふん)』をスタート。同時に『日本ふんどし協会』設立。著書に『人生はふんどし1枚で変えられる』『夜だけふんどし温活法』がある。
WRITING:野本 纏花 PHOTO:河合信幸
鬱病で闘病中の方々は、中川ケイジ氏の体験談が、克服の糸口と鍵になると思います。