毎日新聞 4/5(水) 20:31配信
化学兵器攻撃で負傷したとみられる男性を治療する仮設病院の医師=シリア北部イドリブ県ハンシャイフンで2017年4月4日、AP
【カイロ篠田航一】「目の前で次々に人々が死んでいった。言葉にできない惨状だった」--。シリア北部イドリブ県ハンシャイフンで化学兵器によると見られる空爆があった4日、現場にいたという救急隊員の一人が毎日新聞の取材に当時の様子を証言した。
「早朝にものすごい音がして外に出た。道ばたで多くの人が倒れており、中には子供もいた。まだ息をしている人も呼吸の様子が変だった。せき込んだ後、のどの辺りを触って、そして次々に倒れていった」
空爆現場に急行したという20代の男性救急隊員がそう話す。「におい」などは感じなかったという。最初の爆撃は午前6時半ごろ。その後4回大きな爆発音が聞こえた。負傷者の搬送は無我夢中だったが、搬送中に息を引き取る人もいた。死の直前、多くは目を大きく見開き、よだれが出ていたという。
医師からは「とにかく負傷者に水をかけて」と指示され、必死に放水。その後は自分たちもマスクを着用するよう言われた。救急処置にあたった隊員の中にも体調を崩す人間が続出したという。「アサド政権による攻撃かどうかは分からない。ただ、化学兵器なのは絶対に確かだ」。男性はそう話した。 現地報道などを総合すると、100人を超す人々が病院に搬送されてきたのは4日の午前7時半ごろ。地元医師は米CNNにこのうち25人は既に死亡していたと述べ、「7~8割は女性や子供だった」と振り返った。患者の顔は青ざめ、汗をかき、多くは呼吸困難に陥っていた。化学兵器に特有の症状とみられ、使用された物質の詳細は不明だが、猛毒の神経ガス・サリンだとの指摘は米当局者などから出ている。 多くの子供が命を失う姿は、ツイッターなどのソーシャルメディアにも流れ、内戦の残虐さを改めて世界中に印象づけた。現地から送られたとみられる映像には、青白い顔で口を開けたまま、まぶたさえ動かさず、既に死亡した状態なのが分かる子供のショッキングなものもあった。生き延びた子供は酸素マスクを付け、必死に呼吸をしていた。「残りの人生、この光景を忘れることはできない」。医師の一人はそう話した。 反体制派組織シリア人権ネットワークによると、2016年にシリア国内で死亡した民間人のうち、犠牲者が最も多かったのは北部アレッポの約6000人。これに次ぐのが今回の空爆の舞台となったハンシャイフンのあるイドリブ県の中心都市イドリブで、約2000人が命を落としている。この一帯は反体制派が支配する地域で、アサド政権軍やロシア軍の標的になる一方、国際テロ組織アルカイダ系団体も活動。米軍主導の有志国連合も空爆をするなど攻防が激しいエリアとなっている。
◇サリン 「青酸カリの500倍」の毒性を持つとされる神経ガスで、1938年にドイツで開発された。化学兵器禁止条約(CWC)で開発や生産、取得、保有などが禁止されている。CWCにはエジプト、イスラエル、北朝鮮、南スーダンを除く192カ国が加盟。シリアも2013年に加盟した。CWCの実施機関として化学兵器禁止機関(OPCW)がある。最終更新:4/6(木) 13:48 毎日新聞』
化学兵器禁止条約で、禁止されている神経ガスサリンを使い、非戦闘員の間人、特に子ども達に犠牲者が、多数出たのは人道上のゆ許されません。内戦に勝つために手段を選ばないシリア政府もこ国際的信用を失いました。
世界中の化学兵器を廃絶することを定めた条約。
正式名称は「化学兵器の開発,生産,貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」Convention on the Prohibition of the Development, Production, Stockpiling and Use of Chemical Weapons and on Their Destruction。1992年9月3日のジュネーブ軍縮会議(→軍縮会議)で採択,1993年1月13日調印,1997年4月29日発効。
化学兵器は,1925年のジュネーブ・ガス議定書で戦時の使用が禁止されたが,生産・保有までは禁止されず,その後の化学兵器拡散に歯止めがかからなかった。化学兵器保有を公式に認めているアメリカ合衆国,ロシア以外に,中東諸国などが潜在的保有国とみられる。化学兵器廃絶のための交渉は,1960年代末のアメリカの化学兵器生産停止,先制不使用宣言を皮切りにジュネーブで始まり,1969年の国連事務総長ウ・タントによる報告書(→生物・化学兵器の禁止)を契機として,1980年にジュネーブ軍縮会議に化学兵器特別委員会を設置,1984年にはアメリカのジョージ・H.W.ブッシュ副大統領が化学兵器包括禁止条約草案を提出して本格的な条約審議が開始された。一方,アメリカとソビエト連邦は 1990年6月,化学兵器の生産停止と廃棄に関する二国間協定を締結,これが全世界的な廃絶への先鞭となった。
化学兵器禁止条約は前文と本文 26ヵ条,三つの付属書からなり,(1) 化学兵器の開発・製造・貯蔵・使用の禁止,(2) 現存する化学兵器および製造施設の条約発効後 10年以内の廃棄,(3) 条約違反防止のための抜き打ち査察などの検証制度,などを定めている。特に,違反の疑いのある施設・工場に対する抜き打ち査察(チャレンジ査察)を可能にしていることが大きな特徴となっている。条約の実施にあたる国際機関として,1997年オランダのハーグに化学兵器禁止機関が設置された。日本は 1995年批准。2013年現在の締約国数は 190で,未署名国はアンゴラ,エジプト,朝鮮民主主義人民共和国,南スーダンのみ。(→生物兵器禁止条約,大量破壊兵器)
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知恵蔵の解説
化学兵器禁止条約
化学兵器の開発、製造、貯蔵、使用を禁止する条約。現有の化学兵器と製造施設の10〜15年以内の廃棄、原材料物質の軍事転用の監視、化学施設への抜き打ち査察も規定。1993年調印、97年発効。米ソが協調して90年6月、化学兵器破棄協定を締結。さらに湾岸戦争後の91年、イラクによる大量の化学兵器製造が判明、化学兵器の拡散への懸念から、ブッシュ米大統領(当時)が化学兵器全廃を表明。80年以来、難航していたジュネーブ軍縮会議の交渉が急進展した。ハーグに化学兵器禁止機関(OPCW)を置く。
(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説
化学兵器禁止条約
世界的な化学兵器の全面禁止と不拡散をうたい97年4月に発効し、今年5月29日現在で184カ国が締約。日本は発効前の95年に批准している。締約国には米英仏ロ中の国連安保理常任理事国のほか、インド、パキスタン、イランなどの主要国も含まれるが、北朝鮮やミャンマー(ビルマ)、イスラエル、イラクなどは未締約国。
(2008-06-07 朝日新聞 朝刊 1社会)
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デジタル大辞泉の解説
かがくへいき‐きんしじょうやく〔クワガクヘイキキンシデウヤク〕【化学兵器禁止条約】
《「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」の通称》サリンなどの毒ガスや枯れ葉剤など、化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を禁止し、保有する化学兵器の廃棄を定めた条約。廃棄は原則として発効後10年以内。1992年国連総会で採択、1993年1月130か国により調印、1997年発効。締約国は192か国(2016年7月現在)。査察を担当するOPCW(化学兵器禁止機関)がハーグに設立されている。CWC(Chemical Weapons Convention)。
[補説]未批准国のうちイスラエルは1993年に署名済み、エジプト・北朝鮮・南スーダンは署名していない。
出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説
化学兵器禁止条約【かがくへいききんしじょうやく】
〈化学兵器の開発,生産,貯蔵および使用の禁止ならびに廃棄に関する条約〉の通称。英語の略称はCWC(Chemical Weapons Convention)。1992年3月に国連軍縮会議において採択された。
→関連項目OPCW|国際連合|バイナリー兵器
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説
かがくへいききんしじょうやく【化学兵器禁止条約】
正称、化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約。化学兵器の根絶をめざすもので、広範で厳密な検証制度、遺棄化学兵器の撤去なども定めている。 1992年採択。97年発効。 CWC 。 → 化学兵器 ・ 遺棄化学兵器
出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
化学兵器禁止条約
かがくへいききんしじょうやく
Chemical Weapons Convention
化学兵器の開発、生産、貯蔵、使用などを禁止し、兵器および生産設備の廃棄を規定する、特定カテゴリーの兵器に限った包括的な軍縮条約である。第一次世界大戦で化学兵器(毒ガス)が大量使用され、その残虐性が認識されたことから、1925年に戦場での使用を禁止する議定書(化学兵器使用禁止議定書)が成立した。第二次世界大戦後、使用だけでなく生産も含む全面的な禁止条約に向けた交渉が続いた。しかし使用経験があり兵器としての有用性の認識があったことや冷戦下での疑心暗鬼から、アメリカとソ連が一方的な放棄を嫌ったこと、および除草剤や暴動鎮圧剤などとの区別、工業、農業、食品、製薬など化学剤の民生利用への支障の回避などが、障害になり難航した。しかしイラン・イラク戦争でのマスタードガス(イペリット)の使用に加えて、冷戦後に化学兵器など大量破壊兵器の拡散が懸念されるようになったことから条約実現への機運が高まり、1993年1月に化学兵器禁止条約が調印された。発効は、1997年4月29日で、同年5月に条約の実施・検証機関として化学兵器禁止機関(OPCW)がハーグに設立された。禁止対象は毒性化学物質とその前駆物質で、大まかにはマスタードガスなどのびらん剤、ホスゲンなどの窒息剤、青酸などの血液剤、サリンなどの神経剤等である。これらの化学兵器について加盟国は申告を行い、それに基づく冒頭査察による確認後、10年以内にその廃棄を完了しなければならない(4条、5条)。また締約国は、老朽化した化学兵器や1925年以降に締約国の領域に同意なく遺棄した化学兵器も廃棄しなければならない。日本は中国におよそ70万発の遺棄兵器があることを申告しており、1999年(平成11)に中国と覚書を交わし兵器の回収・廃棄を継続している(2009年までに4万7000発回収)。
産業活動の面では、締約国は兵器の原料となりうる化学物質を民生用に扱う事業者の活動について申告し、物質および関連施設に検証措置を受け入れなければならない。対象化学物質は、兵器への転用リスクに応じて生産、移転(貿易)に異なる検証、規制が実施される。
2009年5月時点で、188か国が加盟し、イスラエルとミャンマーが署名のみで未批准、アンゴラ、エジプト、ソマリア、北朝鮮、シリアの5か国が未署名である。これまでに化学兵器生産施設を申告したのは11か国、兵器の保有を申告したのはアメリカ、ロシアのほか、インド、韓国、アルバニアの5か国であった。兵器の廃棄は遅れており、とりわけアメリカとロシアの大量の残存兵器の廃棄が大きな課題となっている。[納家政嗣]