京都新聞 4/13(木) 8:39配信
阿闍梨餅、水曜は販売休止に 原料不作「味守る」
「満月」本店の店頭に掲げられた減産を知らせる看板(京都市左京区)
京都みやげの各種人気ランキングで常に上位に入る人気の和菓子「阿闍梨(あじゃり)餅」が、今月半ばから減産されることになった。原材料となる丹波大納言小豆の不作が原因で、製造元の「満月」(京都市左京区)は、小豆の収穫が始まる今年秋まで週1度のペースで製造ラインを休止する。大正時代の販売開始以来初めての減産で、販売量は2割程度少なくなる。 阿闍梨餅は、比叡山で修行する僧侶の網代笠(がさ)をかたどったもので、しっとりした皮と粒あんの組み合わせが人気。1個108円という値頃感もあって、市内に3店舗ある直営店のほか、市内の百貨店や土産物店など18店舗を中心に1日数万個を売り上げている。 しかし、ここ数年は天候不順で、原材料の京都府産や兵庫県産の丹波大納言小豆が不作傾向にあったという。それでも問屋を通じて必要量を確保してきたが、先月半ばに今シーズンの年間使用量の確保が難しいことが判明。社内で検討した結果、4月19日から10月末まで水曜は製造ラインを停止する(繁忙期の4日間を除く)ことに決めた。即日販売のため、水曜は百貨店での販売や地方発送も含めすべて休止する。 同社の中嶋哲夫常務は「コクがあるのが丹波大納言の特徴で、北海道産を使うとあんの味が変わってしまう。他産地のものを使うよりは思いきって休止日を設けることにした」と話す。』
京都の和菓子の老舗らしい判断です。
先ごろ未だに産地を偽ったり、誤魔化す食品業者の多い中、味を守る「阿闍梨」の名前に相応和菓子「阿闍梨餅」と思います。
百味會
少品種で高品質な菓子づくりを貫く
満月 阿闍梨餅 京都伊勢丹「京味」
比叡山で修業する僧にちなんだ「阿闍梨餅(あじゃりもち)」
江戸末期の安政三年(一八五六)の創業。初代当主は滋賀県の出身で、京都に出てきて出町橋近くに店を構えたが、幕末の争乱を避けていったん郷里に引き上げた後、明治初年に再び出町柳で出店した。さらに戦時中の強制疎開で現在地に渡り、今日まで暖簾を守り続けている。
満月の名声を不動のものとしたのは、大正期に二代目当主が開発した「阿闍梨餅」であろう。餅米をベースにして、氷砂糖や卵といったさまざまな素材を練り合わせた生地に、丹波大納言小豆の粒餡を包んで焼いた半生菓子で、しっとりとした皮とあっさり風味の餡が見事に調和した逸品だ。阿闍梨という言葉は、高僧を意味する梵語を語源とし、日本では天台・真言の僧位を表している。中央部が盛り上がった形は、比叡山で千日回峰修業を行なう阿闍梨がかぶる網代笠を象ったもので、厳しい修業中に餅を食べて飢えをしのいだことにちなんで考案されたという。
もう一つの看板菓子となっているのが明治初期に考案された「満月」。明治期には旧九條公爵御用達にもなった銘菓だが、実は戦後三十年近く生産が途絶えていた。これを近年になって若主人が苦心の末復元し、現在は曜日を限定して本店のみで販売されている。
材料を落とさず、値段を上げないよう努力
当店には、「一種類の餡で一種類の菓子しかつくらない」という基本方針があります。一つひとつの菓子は、職人のあらゆるノウハウが注ぎ込まれた作品であり、餡は、ただ一種類の菓子のために素材を選択し、味付けや加工法まで考え抜いて開発されるものだからです。必然的に多くの種類の菓子はつくれないということになり、当店では、阿闍梨餅、満月、棹物の京納言、最中の四種類の菓子しかつくっていません。
私の父にあたる先代は生粋の職人肌で、人を雇って働いてもらうのが不得手だったため、商品の種類が少ないにも関わらず、労力不足が深刻な問題となったようです。そこで、味に影響がない部分については、早くから機機化を推進しました。しかし、職人の技を再現することを第一条件として開発したため、当時としてはかなり製作費用がかかったと聞いています。先代のそうした努力により、品質を落とすことなく能率を向上し、当店の菓子は、さらに多くの方々に食べていただけるようになったというわけです。
当店のもう一つのモットーは、「材料の質を落とさず、値段は極力上げないよう努める」というものです。私は、納得できる商品をつくり、納得できる価格で販売することも、京都の老舗の心意気であると思っています。また、満月の他にも生産の途絶えている菓子がありますので、将来的には一つずつ復活させていきたいと考えております。
創 業◇安政三年(1856年)
商 号◇有限会社満月
所 在 地◇京都市左京区鞠小路通今出川上ル
電 話◇075-791-4121
ファ ク ス◇075-712-6885
フリーダイヤル◇0120-24-7373
営業時間◇午前9時~午後6時
定 休 日◇不定休
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