毎月勤労統計の不正でも首相秘書官の関与が明らかになりました。官邸主導と官邸一極集中の弊害、忖度政治の問題があらためて注目を集めています。
官僚主導の政治から政治主導(内閣主導)の政治への転換をめざし、橋本行革以来、内閣機能(官邸機能)が強化されてきました。その効果はてきめんでした。
いまでは政治主導が強くなりすぎ、内閣人事局による幹部人事の政治介入が官僚機構を委縮させて行政をゆがめています。森友・加計問題、統計不正など、政治主導の弊害の方が目立つようになったのが、安倍政治の現状です。
かつては官僚主導の弊害が大きく、それを是正する政治主導が唱えられてきました。こんどは政治主導が行きすぎて、政治主導の過剰の弊害が目立っています。右の極から左の極の行きすぎた感じで、ほど良い中庸な状況ではありません。
政治主導の行きすぎは、官僚機構の自律性を弱めすぎてしまいました。人事権をもつ官邸の方を向いた行政を生んでいます。国民の方を見るのではなく、官邸の方ばかり見ている幹部公務員が増えるのは、望ましいことではありません。その結果が忖度政治です。
安倍政権では今井首席秘書官をはじめ経産官僚が重用され、官邸官僚の多くは経産官僚です。個別の案件についての専門知識は農水省や厚労省、文科省といった各省の官僚の方が強く、官邸官僚は政策の専門性では劣ります。
しかし、官邸官僚は「首相案件だ」などと言って、各省の官僚を脅し、水戸黄門の印籠のように「官邸の意向」を示し、指揮系統をあいまいにしたまま責任はとらずに、強引に案件を進めます。森友・加計学園疑惑でも、毎月勤労統計問題でも、同じ構造だと思います。
安倍総理のお友だち優遇は第一次安倍政権時代から有名です。政治家も官僚も安倍総理との距離の近さが出世につながります。内閣人事局という新たな組織があるせいで、各省の幹部人事に情実がはびこり、官邸の意向に逆らった人物が左遷されたり、省内で評価の低い人物が官邸の引きで出世したりといった状況が常態化しています。それが霞が関の行政機構に機能不全を引き起こしているのは明らかです。
政治学・行政学の牧原出教授は、著書の「崩れる政治を立て直す」のなかで安倍政権について次のように述べます。
問題が生じたときに、政治家も官僚制も責任を取らない事態が生じている。政治主導でありながら、首相をはじめとする政治家は、官僚制に責任を転嫁する。官僚制は文書を廃棄し、知らなかったことを強弁して責任を逃れようとする。その結果、官邸の官僚チームとこれに従う各省幹部に対して、各省のノンキャリアを中心とする官僚たちが冷たい関係に立つ事態を生み出した。
まったくです。政治家が責任を官僚になすりつけるから、官僚は仕方なく公文書を改ざんしたり、ウソの答弁をしたり、日報がなかったことにしたり、統計データを不正に処理したりするわけです。ある意味で官僚も気の毒です。官僚よりも悪いのは、官邸の無責任な政治家たちです。財務省のノンキャリアの公務員は責任を押し付けられ自殺する人まで出ました。
政権の無責任体質を改め、責任ある立場にある政治家(首相や大臣)は、結果に対して政治責任をとることは当然です。当たり前のことを当たり前にできていないのが、安倍政権です。まずそこを改めるべきです。
次に安倍政権下で情報公開が後退しています。報道の自由度ランキングも先進国としては恥ずかしいレベルまで低下しています。情報公開を進めることが優先課題です。
外交秘密や防衛機密等も含め、中にはすぐには公開できない情報もあります。それは公文書としてきちんと保存して何年後かに公開し、歴史法廷に判断をゆだねることを明確化すべきです。「歴史に裁かれる」という感覚があれば、一国の指導者は変なことをしにくくなると思います。
そして官僚を過度に悪者にしてバッシングせず、政と官の適切な距離感を保ち、官僚制の一定の自律性を尊重することが大切です。情実人事や報復人事で霞が関に恐怖政治をしけば、官僚は委縮して恐怖政治に唯々諾々と従うしかなくなります。
権力者は人事権の行使には抑制的であるべきです。政治権力が幹部公務員の一定程度の人事権を持つことは必要ですが、その権限を濫用しない節度も大切です。忖度政治の弊害を防ぐのは、政治の側の自己抑制であり、私利私欲の情実人事を拒む自制心です。首相や大臣に必要なのは、謙虚さと自制心だと思います。いまの政権に欠けているものだと思います。
*参考文献:牧原出 2018年「崩れる政治を立て直す」講談社現代新書