開催が危ぶまれながらも1年遅れの東京オリンピックは開幕にこぎ着けた。新型コロナウイルスに感染した患者らに対応する医療の最前線に身を置きながら、五輪の活動にも思いをはせる医師がいる。緊急事態宣言下の緊迫した状況にある病院で医師が打ち明けた思いとは。

 東京オリンピックの開会式があった23日、東京都葛飾区の平成立石病院で取材のため記者が話を聞いていた大桃丈知(たけとも)救急科部長の携帯電話が着信で震えた。電話を取った大桃さんは引き締まった表情で「3人ですね。分かりました」と応える。

 同病院はちょうど1週間前に入院先が見つからない新型コロナウイルス患者のための「入院待機ステーション」を会議室に設けたばかり。都内初の設備で、電話は最初の受け入れを求めるものだった。酸素投与などが必要な患者の入院調整が難しくなっている状況は、感染が広がっていることを意味する。「いよいよ逼迫(ひっぱく)してきたな。これが『開会式の日』というのも象徴的というか……」。電話を切った大桃さんがつぶやいた。

 日本DMAT(災害派遣医療チーム)統括も務める大桃さんは、災害、緊急対応のプロとしてクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に乗り込むなど新型コロナ対応に当たってきた。中等症患者を中心に受け入れてきた病院のベッドも感染再拡大を受けて満床の状態が続いている。ガラス窓越しに見える「レッドゾーン」では、防護服に身を包んだ看護師が患者の様子を見て回り、救急外来では新型コロナ感染の疑いがあって搬送されてきた発熱患者への対応が始まった。

 本来はこの日、大桃さんは五輪会場の救護所で医療ボランティアを務める予定だった。病院で一緒にチームを組む看護師2人は派遣されたが、自身は新型コロナ患者対応や待機ステーションの責任者として離れるわけにはいかなかった。結果的にその判断は的中することになったものの、感染拡大が続く現状に「非常に複雑な気持ち」と大桃さんは力なく笑う。

 もともと五輪は楽しみにしていた。医師だった祖母は1964年東京五輪の医療ボランティアを務めた。自分も一生に一度の機会で力を生かせればと思い、2年前から大会組織委員会のメディカルスタッフ講習で講師役も務めてきた。だが、大会は1年延期になり、感染拡大が収まらないまま開幕を迎えた。

 大桃さんが思いを巡らせるのは「今、自分の力を最大限生かせる場はどこなのか」ということだ。今大会は1日だけ競技会場の救護所に派遣される予定が組まれている。協力したいと思っているが「感染状況次第でこの病院がさらに逼迫すれば、私は行けなくなるかもしれない」とも感じている。

 アスリートのために大会はなんとか開ければと思っていた。だが、開催によって日本や世界で感染が広まることはあってはならない。「この状況での開催が正しかったのかどうかは、歴史が明らかにする。今はとにかく大会が無事に終わることを願っています」。そう話すと、患者の受け入れ準備に向かった。【大島祥平】