「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い
世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの星を獲得し続けている「料理界のカリスマ」こと、「菊乃井」の村田吉弘氏。
そんな村田氏の近著『ほんまに「おいしい」って何やろ?』より、コロナ禍以降の料亭、料理屋の在り方について一部抜粋、再構成して分析する。
京都の料亭は「コロナ禍」でもつぶれなかった?
どなたかの演説で「人生には上り坂、下り坂だけやなしに、まさか、という坂がある」というのがありました。
この話がえらく受けたようで、いろんなところでこの「まさか」というのが使われているようですが、2020年2月の横浜港に寄港した国際クルーズ船騒動から始まった3年間の「コロナ禍」は、日本中の人々に、さまざまな形の「まさか」を味わわせたことやと思います。
「まさか」、言い換えれば「想定外」。私らにとって、ほんとに「お上(政府)」が「家から出るな」「旅行に行くな」「飲食店に行くな」と言いだすとは思いませんでした。
こんな事態、想像できるわけがありません。「まさか」中の「まさか」、「想定外」の100乗です。
日本中の町がひっそりと静まりかえり、コンサートの歌声が消え、祭りのワッショイがなくなり、飲食店から「おいしい!」「乾杯!」の歓声が聞こえなくなりました。
とりわけ、飲食業などは、コロナ流行の大もとのように言われて、非常に悔しい思いをした同業者も多かったと思います。
そうして、「コロナ禍」が当初の予想より長引くうちに、多くの飲食店が店を畳みました。皆さん、できる限りの努力をされた末の、苦渋の決断だったに違いありません。
そうしたなかで、京都の料亭、料理屋はやめたところが1軒もない、という話が、まるで奇跡を語るかのように広まっていったと聞いています。
「コロナ禍」によって、インバウンドをはじめ観光客が激減する状況を鑑みれば、観光都市・京都などは相当打撃を受けているだろう、京都の飲食業は大変だろうと、皆さんが思われるのも無理のないところ。
ですから、京都の料理屋、料亭が1軒もつぶれんのは何でや、と疑問に思われるのも当然のことです。でもそれは、噂でも、奇跡でもなく、まぎれもない事実です。京都にとっては、普通のこと、奇跡でも何でもありません。
逆に言えば、コロナ禍の観光客激減によって、久しぶりに京都の人のための京都の街が戻って来た、ということだったのかもしれません。
外国人客を4割以上取らない
先に、京都の料理屋、料亭は町衆と共にある、という話をさせてもらいましたが、その京都の町衆は、「コロナ禍」のなかでこんなことを言うてました。
「コロナのこんな時期やけど、カウンターやなくて座敷やったらええんちゃうか」
「大勢で行くな言われてるけど、嫁さんと2人やったらええのんちゃうか」
小池百合子都知事が聞いたら目をむくかもしれませんけど、こんなふうな、いかにも京都の人間が考えそうなことを言いながら、私らの店に来てくれるお客さんが「それなり」にいたわけです。
まあ、街もいい具合にすいてるし、店の予約も取りやすいし、ということで、コロナ禍の間もそういったお客さん達にしっかり支えていただきました。
2023年5月の5類移行から、コロナも一段落、しかも円安やということで、京都はまた、あっという間に外国人でいっぱいになってしまいました。でも、これは以前からですが、私らは外国人客を4割以上取らないことにしています。
なぜか。答えはシンプルです。そうじゃないと、地元のお客さん、日本のお客さんにうちの店を楽しんでもらえなくなる。地元の人、日本のお客さんが入れない店って、いくら流行っていても、それはおかしいのとちゃうか、と思てます。
まあ、えらそうに言うわけではありませんが、そういうふうに決めておかないと「外国人のための施設」になってしまう。私は、それはあかんわ、と思う方なんです。
いまは、外国からのお客さんがぎょうさんお金を払ってくれる。向こうの人にしてみれば、日本に来たら円安の時代ですから何でも安い。
私もこの前台湾に行ってきましたが、日本の国力の低下を実感してきました。昔は円高でしたから台湾にしろシンガポールにしろ何でも安く買えるという感覚でしたが、いまは全く逆。向こうの人達が日本に来て、京都に来て、どんどん円を使うてくれはる。
ですから、外国人を相手にした方が店は儲かります。当然の話です。
でも、そうやって儲かって何やねん、という話もあります。私は、こっちの話の方に乗ります。儲かっても、それは何のためやねん、誰のためやねん、というわけです。
創業の「一代目」さんと老舗の「ぼん」
儲かったからといって、利益をぎょうさん出したところで、どうするんや、税金にみんな持っていかれるだけやないか、というわけですが、私が見るところ、こういう話は京都では「一代目」の店、つまり「創業者の店」で多いように思います。
結局、京都の料理屋の「一代目」の人達は、たとえば外国の人ばかりを相手にした商売して、お客さんがいっぱいになって、「一人前になったら、かっこいい外国車に乗りたいな」といった夢をかなえた。そういう夢を励みにして商売をやってきたんや、というわけです。
一生懸命やって、お金が入ってくるようになると、フェラーリを3500万円で買ったりする。祇園のクラブに行って、毎日のように酒飲んだりするようになる。そして、結局、国税に入られてぎょうさん税金を取られたりするわけです。
あんた、そんなにほうけている場合とちゃうでと、言うてあげたのに、懲りもせずにまた新しい彼女を作ってみたり、そういうことをする。
それも創業者で、一代で一生懸命やってきて、金儲けて独り立ちした、だからそういうことがやりたいというのは、私もよくわかるんですよ。わかりますけど、「一生懸命」の、その方向性が違うんやないか、ということなんです。
その点、いわゆる老舗の「ぼん」連中はどうかと言うと、ちょっと違ってきます。
「ぼん」連中は、何代も続いている家の子やから「ぼん」じゃないですか。大体が、お金のある家の子。それがみんな、ちっこい車に乗って走り回ってる。
「お前、この前買うた言うてたBMWのでかいやつはどうしてんねん」と訊いたら、「あんなのでこの街は走れませんよ」と言う。「あんなの停めるところもないし、大変ですよ」と言う。さらに「走れたら充分。これで充分ですわ」とか言って涼しい顔してる。
先のフェラーリ買うたとかいう人らと別に、この「ぼん」らはそんなことに価値を求めていない。細い路地が多い街を走るんやったら、これで充分。走るんやったらちっこい車で充分、いや、その方がいいと言うんです。
それくらい、創業者、一代目でブイブイ言わしてる若い連中と、京都の「ぼん」連中は持ち味も価値観も相当違う。
そこで、この連中をごちゃ混ぜにしたら、ちょっとおもしろい化学反応が起こるかもしれんなと思って、そういう機会を作ったんですが、失敗しました。うまくいきませんでした。やっぱり、合わないんです。
合わない、というのは、こういうことです。
一代目でやってきた連中は、「お前らがへらへら学生やってる時に、俺らは歯を食いしばって頑張ってきたんや」という思いが強烈にある。「お前らに決して負けへん」と思っているわけです。
一方、「ぼん」連中は何も思っていない。何も意識してないから、「あの人らは言葉に圧がある」とか、果ては「こわい」とか言う。「こわいやろな」と思います。創業者、一代目の連中は、「いけいけ」「攻撃的」、英語で言うたら「アグレッシブ」ですからね。
「ぼん」連中は皆それなりに、同志社とか立命館、そこらへんの大学ぐらいは出ているわけで、下手したら大学院に行って、皆それなりのものを見て、聞いて、この商売を継いでいる。あんまり「アグレッシブ」やらの気持ちは持ったことのない連中です。
そんなこんなで、「ぼん」連中は何も意識してへんけど、一代目の連中はかなり意識している。こういうわけです。
文/村田吉弘
ほんまに「おいしい」って何やろ?
世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの★(星)を獲得し続けている「料理界のカリスマ」である。
アラン・デュカスをはじめフランス料理のカリスマ・シェフたちとの交流も深く、アカデミーの仲間たちとともに「和食」をユネスコの無形文化遺産にも押し上げた。
広島サミットの料理は各国首相に絶賛された。料理界を代表する文化人として史上初めての黄綬褒章を受け、文化功労者にもなり、「京都の伝統や日本文化のご意見番」としても知られている。
そんな村田氏も若き頃は、フランス料理のシェフをめざして行ったパリで放浪生活を送り、ソルボンヌの学食やフランス料理のレストランで受けた人情の温かさに感動する。
やがてフランス料理の文化的な奥深さに感じ入り、自分がなすべき仕事は「日本料理」と自覚する。
日本に帰ってきたあとは、修行先で包丁を突き付けられるほどのいじめにあうが、人の嫌がることを率先して引き受け何倍も働き、次第に周囲に実力を認められていく。
初めて店長を任された新店に閑古鳥が鳴く中、夜の商売のお客から大会社の会長まで、皆から何かを教えられ、やがて一流の料理人として、経営者として成長していく。
昨今の、おおげさに「うま~い、おいしい」を繰り返すテレビのグルメ番組や、「お金さえだせば、おいしいものを食べられる」と勘違いするグルメ・ブームには、ぴしゃり!とダメだしをしつつ、身近な給食や家庭の手料理まで「おいしさの本質」を追及し、後進を育てている。
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