Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

極北のナヌーク

2025-03-05 | 映画(か行)


◼️「極北のナヌーク(極北の怪異)/Nanook Of The North」(1922年・アメリカ)

監督=ロバート・J・フラハティ

BSの放送大学チャンネル「231オーディトリアム」というクラシック映画+解説の講義。ドキュメンタリー映画の先駆けとも呼ばれる映画「極北のナヌーク」の回を視聴。

フラハティ監督は、ドキュメンタリー映画の父とも呼ばれる人物。監督はイヌイット家族と共に暮らし、その様子をフィルムに収めて帰国した。しかしそれを焼失してしまう。再度イヌイットの村を訪れた監督は、フィルムの現像装置と映写機も現地に持ち込み、彼らと共に映画を創り上げた、との解説があった。

イヌイットの名ハンター、ナヌークとその家族。風で吹き固められた雪を切り出してドーム型の家を作る場面。幼い頃に本で読んだことはあるが、映像で見るのは初めて。光を入れるための窓として、切り出した分厚い氷をはめ込む。上映後の解説では、これを1時間程度で完成させるとか、気泡が含まれる雪の塊が壁になるから断熱効果があるとか。なるほどー🧐。

上映後に80年代のイヌイットの様子が紹介され、犬ぞりがスノーモビルになり、身につけていた毛皮はダウンジャケットになり、定住してしっかりした住宅に住んでいることも、ビデオゲームを楽しんでいる様子も映された。

アザラシやセイウチを狩る場面は、観ているこっちまで力が入る。アザラシが氷に開けた呼吸用の穴の前で待ち構えて、銛を打ち込む。逃げようとするアザラシに氷の上にいるナヌークが引きずられる姿は、真剣勝負なのだと思い知らされる。

こうした狩猟の生々しい場面を映像記録としてしっかり撮ることができたのは、この撮影だけでなく、それ以前から長期間イヌイットと暮らした関係性があるからだ。撮りたい構図や様子を十分に理解した上で撮影しているし、イヌイット側が映画にどう映されたいと望むのかを話し合って製作が進められたそうだ。流氷の上をスイスイと飛び、歩くのは簡単にできることではない。狩猟場面で、腹を減らした犬たちが野生の本能を見せ始めるのも印象的だった。

本作の製作にあたっては家族でない者が家族であるかのように映されているなど、撮影にあたって"演じている"部分もあるとか。そうした意味では現在で言うところのヤラセのないドキュメンタリー映画とは呼び難いのだとか。しかしイヌイット生活の様子や北極圏の自然の厳しさの記録は、紛れもない本物。蓄音機に驚く姿を面白おかしく描写しているのは、ちょっと白人優位の目線を感じる。しかし、全体的には極地での生活や自然の様子に触れることができる貴重な映像記録であることに間違いはない。

それにしても初公開時の邦題は酷い。戦後原題に近いものに変更されている。

寒波が厳しい2月の連休に、これを観てますます寒さを感じたのでした。



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ギャルソン!

2025-03-02 | 映画(か行)


◼️「ギャルソン!/Garçon!」(1983年・フランス)

監督=クロード・ソーテ
主演=イヴ・モンタン ニコール・ガルシア ジャック・ヴィルレ ベルナール・フレッソン

かつて熊本市花畑町にあったセンターシネマは大学時代に通った映画館の一つ。クラシックや渋めの新作が上映され、「市民ケーン」「薔薇の名前」「愛のコリーダ」などなど幅広いラインナップで貴重な鑑賞機会を与えてくれた。1989年1月に閉館。借地契約が更新されなかったのが理由と聞く。映画が斜陽産業などと言われ始めた時代だったし。その3月で僕も大学卒業だったから、一つの時代が終わったような気がして、ちょっとおセンチ(死語w)になったっけ🥺。閉館の日にファン感謝として、無料上映されたのが本作。イヴ・モンタン主演の「ギャルソン!」だった。

レストランで給仕長として働く初老の元タップダンサーのアレックス。気さくで気が利く彼は周囲の人間関係も良好。特に女性にはフットワークが軽く、女友達もたくさんいるモテ男だ。彼を中心とする様々な人間模様が描かれる。

初めて観てからウン十年経って、モンタン演ずる主人公の年齢に近づいているのだが、改めて観て主人公の"人たらし"ぶりがカッコよく思えた。仕事場でも周囲から信頼され、慌ただしさから罵声が飛び交う厨房でも、まず人を気遣う姿が印象的だ。テーブルの間を皿を手に動き回る姿は、ダンスの様に軽やか。

女性関係ではおフランスらしい恋愛模様が展開される。長い付き合いと思われる資産家夫人グロリア、再会した元恋人クレールなど彼の周りには恋の対象以外にも関わりのある女性がちらほら。クレールに再び近づく様子は、こっちまでニコニコしてしまいそう。いい意味で自分の気持ちにストレート。そしてそれをきちんと口にするところが素敵だ。でも気取ってるわけでもなく、とにかく自然体。恋人と離れて暮らしているクレール。彼女への気遣いだけでなく、その恋人への自分の嫉妬もさりげなく告げる。女性に虚勢を張るのではなく、弱いところも見せられる勇気もある。

20代だった僕が当時心に残ったのはスマートな主人公のカッコよさ。今の年齢で観るとそのカッコよさがすごく良くわかる。「マイ・インターン」を観て、自分の美学やスタイルを持ったロバート・デ・ニーロがカッコいい初老に見えたのと同じような感覚かもしれない。まぁ、本作のモンタンは恋多き男だけど。こんな素敵な男に自分はなれるだろうか。

いろいろあっても人生は続く。
スマートに、心に素直に。

センターシネマが最後にこれを上映してくれたのは、そんなメッセージが込められていたのかもしれない。上映終了後、館内に響いた拍手は今でも忘れられない。



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クリスチーヌの性愛記

2025-02-23 | 映画(か行)

◼️「クリスチーヌの性愛記/The Grasshopper」(1970年・アメリカ)

監督=ジェリー・パリス
主演=ジャクリーン・ビセット ジム・ブラウン コーベット・モニカ ジョセフ・コットン

ジャクリーン・ビセットの若い頃の出演作が観たくてセレクト。女優のセクシー場面を集めた雑誌の特集とかに載ってて、扇情的な邦題のせいでなんとなく記憶に残ってた映画。

うーん。正直、観なきゃよかったかも。

女性の転落物語は苦手だ。特に世の中の喰い物にされるような話は辛くなる。不幸に不幸が重なっていくストーリーは仕方ないにしても、ヒロイン本人の思いあがりや身勝手さが加わると映画を突き放したくなってくる。本作のヒロイン、クリスチーヌはまさにそんな主人公。

「君には才能がない。美人でボインだがそれ以外は並だ。」
彼女を気にかけてくれるベガスの経営者が、ショーガールに再びなろうとする彼女に忠告のつもりで口にするひと言だが、まさにそれ。「××を学びたい」と前向きなことを言うかと思うと、周囲の男に近寄って利用できるだけ利用する。黒人の元フットボール選手と結婚するがうまくいかない。過去の因縁から夫が亡くなる不幸には同情するが、その後の彼女の言動にはイライラされっぱなし。出会う男たちが彼女が望む幸せを理解せず、自分の幸せや利害だけを押し付けてきたのもかわいそうなところではあるけれど。

映画の後半に登場する老紳士(なんと「第三の男」のジョセフ・コットン!)は、それまでにない優しい男性だったが、若い妻を見せびらかしたいという理由で結婚を迫る。結局、男も身勝手な生き物。そんな老人を金ヅルに利用する彼女も彼女だが。

後に「プリティ・ウーマン」を撮るゲイリー・マーシャルが共同脚本にクレジットされている。娼婦の成り上がり物語である「プリティウーマン」と田舎娘の転落物語である本作は対照的に見える。決定的な差はヒロインのポジティブさ。

どよーんと暗い空気で終わるのかと思ったら、明るい行進曲が流れる中で、飛行機で空に文字を描くクライマックス。空にデカデカと描かれた汚い4文字言葉。そこだけは痛快な空気があった。ヒロインに魔手を延ばす不動産王が連れていた行儀の悪い小娘、エンドクレジットには"キャスリン・ターナー"とある。え?「ロマンシング・ストーン」の?違うかな。



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カルタヘナ〜陽だまりの絆〜

2025-02-02 | 映画(か行)


◼️「カルタヘナ〜陽だまりの絆〜/L'homme de chevet」(2009年・フランス)

監督=アラン・モネ
主演=ソフィー・マルソー クリストファー・ランバート マルガリータ・ローザ・デ・フランシスコ

80年代映画育ちのわたくし、クリストファー・ランバートには妬みしかありませぬ。だって!ダイアン・レインの元夫で、その後ソフィー・マルソーと恋人だなんてっ!😖。とか言いながら、出世作「グレイストーク」も「ハイランダー」も「サブウェイ」もけっこう好きな映画。あの時期の売れっ子男優たちにはない野生味が魅力なんですな。本作はソフィーとの共演2作目。ダイアンの時も共演多かったな。いいじゃないの、幸せならば。

首から下を動かすことができず寝たきりのミュリエルは、介護してくれる人を募集していた。元ボクサーで荒んだ生活をしていたレオがそれに応募。頑なに自分の要求を通すことしか知らなかった彼女と、自分の居場所を見つけたい彼。雇う側と雇われる側という関係もあって、なかなか心を開かない二人が、次第に変わっていく様子が描かれる。

介護人に声を荒げて指示を出すミュリエルは、とにかくキツい女性。レオの不器用ない優しさに触れて、少しずつ表情を変えていく。小骨が刺さるのを恐れて魚を食べなかったミュリエルに、丁寧に骨をとって食べさせる場面。久しぶりに外に出た彼女と精油の香り当てゲームをする場面。印象に残る場面だ。一方でレオも、女子選手の指導者として再びボクシングに向き合うようになる。

ソフィーは表情と台詞しか演技できない難役。本作前半ではなかなかニコリとしない。その分後半に少しずつ見られる笑顔がいい。後半、レオが指導する女子選手を含めた男と女のエピソードが、盛り上がりそうで盛り上がらないのがやや残念なところ。



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機動戦士Gundam GQuuuuuuX -beginning-

2025-01-23 | 映画(か行)


◼️「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -beginning-」(2025年・日本)

監督=鶴巻和哉
声の出演=黒沢ともよ 石川由依 土屋神葉

(伏字にしてますが、観る前に情報を入れたくない方はご注意ください)

エヴァスタッフによるガンダム新作か。どんなだろ、テレビ待てばいっかぁ…と思っていた。だが、僕ら世代をくすぐる要素がある…との情報を目にして、もはやじっとしていられなくなり映画館に朝イチで参戦。

宇宙世紀から分岐された二次創作と言ってしまえばそれまでだけど、オリジナルへのリスペクトと新たな展開にもうワクワクが止まらない😆。オープニングのナレーションが流れ始める。そこから続く40分間。映画館の暗闇で小さな声をあげ続けてしまうオレ。

😏ほほーっ、そうきたか
😳ええっ!?
🤔そ、そっちに行っちゃうの!!

うわぁ××××がエヴァっぽい😓
××の艦橋にジオン兵が!
××××小隊!🤣
劇伴が♪😆
悲運のニュータイプがまさかの!
××××を落とすのが××!
(伏字だらけですみません)

消息不明になる最後の言葉が…🥹
(このひと言はマジで泣くかと思った)

この前半40分は、物語の根底にあるものを早口でまくしたてられる怒涛の展開。だけどこのIF(もしも)の前提が示されるからこそ後半(本題)が俄然面白くなる。

「スターウォーズ」がディズニー製作になった時。過去6作品への愛が足りねえと感じたオールドファンたちが、「ローグワン」には涙した感覚にちょっと近いのかも。

後半に示される新たな物語。モビルスーツ戦は、ロボットがぶつかり合う重量感が面白い前半とは対照的で、猛烈にスピーディ。キャラクターたちも今どきな若者感があって面白い。昭和と令和のロボットアニメの橋渡しが、目の前で行われているような感慨を覚える。テレビシリーズでそれぞれ分けて観ていたら、こんな気持ちにはならなかったかも。双方を1作品として観る劇場先行上映版だからこそ味わえた感覚。シリーズの全貌が気になるっ😆





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銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー

2024-12-23 | 映画(か行)


◼️「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」(1998年・日本)

監督=宇田鋼之介
声の出演=野沢雅子 池田昌子 肝付兼太 

1996年からコミックの連載が始まった「銀河鉄道999 」エターナル編のアニメ化作品。新たな劇場版を1999年に…という企画で、前年に導入部分として公開されたのがこの「エターナル・ファンタジー」である。

エターナル編のコミックは最初のあたりしか読んだことがないから、本作がどれくらい話を端折っているのか、どれだけ先のエピソードを盛り込んでいるのか、それが原作ファンにどれだけ不評だったのかはよくわからない。でも少なくとも「銀河鉄道999」という魅力あるイマジネーションの塊を、たとえ導入だったにせよたった54分の作品にして、他作の添えものにして公開したことに、当時ファンが失望したのは想像できる。

劇場版第1作には及ばないまでも、90年代の技術で表現された映像は見どころもある。CGが用いられた機関車の動きはよりスムーズで鮮明に。新たなキャラクターの登場、クレアの復活は、昔の999しか知らない世代には新鮮に映ることだろう。ときどき面長になる作画の乱れはあるにせよ、キレ長なのに微妙にタレ目ぽくなったメーテルはかなり好みw。イーゼルさんの言葉が涙を誘う。

アルフィーの主題歌は…うーん。ゴダイゴとささきいさおを聴き慣れているだけに、ちょっと違和感。ラストシーンにアルカディア号、クィーンエメラルダス号…えっ?あの後姿は…!!




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グラディエーター

2024-11-28 | 映画(か行)


◼️「グラディエーター/Gladiator」(2000年・アメリカ)

監督=リドリー・スコット
主演=ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス コニー・ニールセン オリバー・リード リチャード・ハリス

2000年の公開当時、歴史大作映画が現代ハリウッドで製作されたこと自体を何よりも凄い!と思った。甲冑やら鎧を着た人々がズラリと並ぶ光景。宇宙服でも軍服でもない。大群衆のエキストラの衣装から背景まで金と手間がかかっていることは、CG慣れした世代でもなんかすげぇぞと思ってくれるに違いない。続編公開に合わせて配信で再鑑賞。

クライマックスの舞台となるコロッセオの巨大さ。「これは人間が作ったのもなのか」と台詞が添えられるだけで、巨大な建物が人の死を見世物にすることもあるクレイジーな建造物であることが伝わってくる。そこで繰り広げられる生死をかけた激しい戦い。剣と拳が振り下ろされ、血しぶきと首が飛ぶ圧倒的な迫力。苦手は人はキツい場面だが、それに熱狂する群衆に主人公は叫ぶ「もっと死が見たいのか!」。それは悲痛な響きがある。

歴史大作だけに予備知識がいるとか人間関係が複雑だとか、身構えてしまう方もあろうが、本作は意外と受け入れやすい構成になっている。それは対比される構図がきちんとしているからだ。皇帝に信頼された者、されなかった者。愛された者、愛されなかった者。正気を失う者、信念を取り戻す者。奴隷まで身を堕としてしまった主人公の復活劇だけに、最後まで目が離せない。名作「ベン・ハー」も似た構成ではあるが、史劇として様々な要素(疫病やキリストなどのエピソード)が盛り込まれているだけに、さらなる風格を感じる。長尺版(未見)ではそうした要素も含まれると聞くが、主人公の復活劇に絞り込んところがいいとも思える。

オスカー主演賞を受賞したラッセル・クロウのタフガイぶりが素晴らしい。敵役となる皇帝の息子を演じたのはホアキン・フェニックス。この人は他の作品でもそうだが、精神的に壊れていく役を演じさせたら本当に上手い。本作と同年製作の「クイルズ」の神父役も見事だった。後継者として信頼されない妬み、自分以外にも愛情を見せる父親への怒り、姉への偏った執着。自分の子を産めと迫る狂気の表情。本作でも見事な演技をみせる。

奴隷商人を演じたオリバー・リード、賢帝マルクス・アルレリウスを演じたリチャード・ハリスも素晴らしい。世界史の資料集を片手に観る方は、ローマの五賢帝時代を復習してねw



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グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声

2024-11-26 | 映画(か行)


◼️「グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声/Gladiator Ⅱ」(2024年・イギリス=アメリカ)

監督=リドリー・スコット
主演=ポール・メスカル ペドロ・パスカル デンゼル・ワシントン コニー・ニールセン

前作「グラディエーター」から四半世紀近く経って続編が製作されるという驚き。しかもこれまで「エイリアン」「ブレードランナー」など自作の続編企画になかなか携わらなかったリドリー・スコットが、本作では自らメガホンをとる。そしてハリウッドがCG駆使してアメコミばっかり撮ってるこの時代にローマ史劇だ。リドリー翁がこの時代に撮ったことにきっと意義がある。何か伝えたいことがあるのではないだろうか。

いきなりタイトルバックに前作の名場面を散りばめて、正統な続編であることを強く示す。ラッセル・クロウの勇姿も前作の映像で何度も映し出される。それは登場人物の関係と、前作の同様に奴隷からの復活劇が再び展開され、因縁めいた物語として印象づけたい狙いがあるのだろう。

コロッセオでの闘いは前作以上に激しさを増す。いきなり凶暴なヒヒとの闘い、サイに乗って突進してくる剣闘士。闘技場に水を張って海戦を再現するシーンも登場し、船から落ちればさらなる脅威が。前作でもコロッセオは死をエンターテイメントとするクレイジーな場として描かれるが、双子皇帝の悪政下となってさらにエスカレートしている。確かに暴力的なシーンではあるが、前作と同様にここで主人公の才覚が示される。そして民衆の心と映画を観ている僕ら観客の心も掴むのだ。

ところが前作と大きく印象が異なる点がある。それは人間関係の複雑さだ。前作は信頼されず愛されなかった者と信頼され愛された者の対比が貫かれた。単純な図式にすれば善と悪だった。狂ったホアキンをどう止めるというお話だった。だが、本作では主人公が仇とするローマの将軍は、皇帝に対するクーデターを企てている張本人でそれを助ける存在が前作にも登場する皇帝アウレリウスの娘。さらに2人の皇帝の力関係や、奴隷商人も前作とは違った立ち位置で描かれる。単純に勢力を二分して登場人物を対比させる構図になってはいないのだ。かと言って小難しい話にはなっていないのは監督の手腕なんだろう。

それぞれが胸に抱く信念がある。それは彼等にとってみれば彼等の正義で、人の数だけ正義がある。それをまとめ導くのが理想とされたローマの政治なのだろうが、共和政から帝政へと変わってきたローマでそれはうまくはいかなかった。前作でアウレリウス帝が説いた"ローマの夢"。その理想は、この続編では夢物語だ、ローマは滅びゆくのみと語られる。一方でそれでも"ローマの夢"を信じる人々がいる。

対比されるはずの陣営の中に組織でまとめきれない様々な意見があり、対立関係と見られる陣営の中にも様々な思惑がある。そんな2020年代の各国の政治状況や世界情勢に、映画はどこか通じるように感じる。大きな選挙の直後だからなおさら。映画の裏側に政治的なメッセージを感じるかどうかは受け止め方次第だが、少なくとも映画はそれでも理想を信じたいと締めくくる。

ポール・メスカルの熱演。他の出演作何を観たっけ?と思ったら、「異人たち」でドアの影に吸血鬼はいないよー♪と言って迫ってきた彼氏か。印象がずいぶん違うので見違えた。前作とつなぐ存在であるコニー・ニールセン、24年前の前作と変わらず美しい。カラカラ帝が出てくるんだから、浴場のエピソードが欲しかったかも。まぁ、それを入れると映画の尺が無駄に長くなっちゃうw





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ゴースト/ニューヨークの幻

2024-11-21 | 映画(か行)


◼️「ゴースト/ニューヨークの幻/Ghost」(1990年・アメリカ)

監督=ジェリー・ザッカー
主演=パトリック・スウェィジ デミ・ムーア ウーピー・ゴールドバーグ トニー・ゴールドウィン

1990年に大ヒットを記録した、ジェリー・ズッカー監督のファンタジー。80年代までは「裸の銃を持つ男」とか「フライングハイ」とか、おバカ映画撮ってた人がどうしちゃったの?。でも世間があんまり騒ぐから、ハリウッド大作を避けていた僕も映画館に足を運んだ。映画館には放課後の女子高生がいっぱい。オレ場違い?と勝手に思ってしまうくらい。早く暗くなって上映始まらないかなー。

同棲中のカップル(デミ・ムーアとパトリック・スウェィジ)のイチャイチャをまずこれでもかと見せつける。多くの映画に真似されている名場面の一つだ。「愛してるわ」と相手への気持ちを常に示す彼女に対して、彼は「同じく」と答える。日本語で言えば「同上」「〃」にあたる表現なんだろう、彼女は「愛してる」を聞けなくて不満で仕方ない。そんな矢先に暴漢に襲われて彼は死んでしまう。自分にすがって泣く彼女の姿を見て、自分が死んだことに気づく。

成仏しきれない彼は、自分が死んだ本当の事情を知ってしまう。どうすることもできないと苦しむ中、偽霊媒師オダメイ(ウーピー・ゴールドバーグ)に出会うが、なかなか理解してもらえない。しかし地下鉄に住むゴーストたちから、ものを動かす方法を教えられた彼は復讐を考え、そして彼女と再び触れ合いたいと思うようになる。果たしてその行方は。

特撮は「スターウォーズ」のリチャード・エドランド。特撮ばかりが売りの映画がたくさんあった80年代を経て、コテコテの恋愛映画なのに特撮がすごいというのは画期的。それはストーリーがその映像技術を駆使できるだけの内容だし、どうなる?とハラハラさせる複数の要素がある面白さを備えているからだ。

白人の美男美女と協力する黒人女性という、いかにも伝統的なハリウッド映画の体裁。しかもウーピー・ゴールドバーグは、この映画のコメディリリーフでもある。今の感覚なら、そのキャスティングだけで嫌う人もいるかもしれない。しかしこの映画のウーピー・ゴールドバーグの芸達者ぶりがなければ、この映画はこんなにヒットしなかっただろう。主役二人の役名は映画館を出る頃には忘れていた。だけど何故かオダメイは記憶に強烈に焼きついたんだもの。

伝えたくても伝えられない苦しさ。この映画の特殊な状況とは違うけれど、それは恋愛において経験する葛藤。それが叶った瞬間の感激。それを当時最先端の映像技術と、ライチャスブラザーズのUnchained Melodyの美しいメロディで彩った素敵な映画。パトリック・スウェィジのひたむきさとデミ・ムーアの大粒の涙。そして言葉を大切にした脚本のうまさがラストに光る。

コインが壁を伝って上って行く場面で、涙をこらえられなかったよー🥹




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クリスマス・ツリー

2024-11-07 | 映画(か行)


◼️「クリスマス・ツリー/L'Arbre deNoël」(1968年・フランス)

監督=テレンス・ヤング
主演=ウィリアム・ホールデン ブルック・フラー ヴィルナ・リージ

少年と父親が海で遊んでいるところに突然起きた飛行機事故。核兵器を積んでいたことから少年が被爆、白血病で余命半年と診断された。父親は残された日々を一緒に過ごすために、自分の静養だと言って田舎のシャトーで暮らし始める。

日本では昔からこうした難病ものがウケる。古くは吉永小百合の「愛と死を見つめて」。テレビでも「赤い疑惑」の白血病、昼ドラ「わが子よ」の骨肉腫、「神様、もう少しだけ」のHIVと挙げたらきりがない。イタリア映画の難病もの秀作「ラスト・コンサート」も日本資本で製作されているし。

本作は王道の難病もの映画だが、病気の子供が苦しむ姿はほぼ出てこず、せいぜい悪寒を感じて横になる程度。心境が深く描かれるのは周りの大人たちで、少年は病気を知ってからも「まぁ楽しくやろうよ」と言う。それは強がりなんだろうが、大人たちに陰も見せずに接する。映画前半は金持ちボンボンらしくわがままを言い放題で、大人たちがそこまで叶えてやらんでもと思える。しかし、映画後半、父親のベッドにもぐり込むあたりで、直接表現されない少年の気持ちが、観ているこっちにジワジワとしみてくる。

心情を吐露するのが大人だけという潔い演出は、子役に過剰に演技の負担をかけず、一方で観客に子供の心情を想像させて感情をかき立てる。監督は「007」シリーズで知られるテレンス・ヤング。台詞に頼らないラストシーンは狼の遠吠えだけが悲しく響く。変に回想シーンを挟んでお涙頂戴にしない。ただ抱きかかえて部屋を出るだけ。余韻が残るラストシーンはお見事。

狼を飼いたいと言い出す息子のために、動物園に忍び込むのはいかがなものかと思うが、その後の狼と少年の姿を見るとちょっと救われる。映画「禁じられた遊び」で有名な楽曲「愛のロマンス」が美しく使われている。



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