Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー

2024-12-23 | 映画(か行)


◼️「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」(1998年・日本)

監督=宇田鋼之介
声の出演=野沢雅子 池田昌子 肝付兼太 

1996年からコミックの連載が始まった「銀河鉄道999 」エターナル編のアニメ化作品。新たな劇場版を1999年に…という企画で、前年に導入部分として公開されたのがこの「エターナル・ファンタジー」である。

エターナル編のコミックは最初のあたりしか読んだことがないから、本作がどれくらい話を端折っているのか、どれだけ先のエピソードを盛り込んでいるのか、それが原作ファンにどれだけ不評だったのかはよくわからない。でも少なくとも「銀河鉄道999」という魅力あるイマジネーションの塊を、たとえ導入だったにせよたった54分の作品にして、他作の添えものにして公開したことに、当時ファンが失望したのは想像できる。

劇場版第1作には及ばないまでも、90年代の技術で表現された映像は見どころもある。CGが用いられた機関車の動きはよりスムーズで鮮明に。新たなキャラクターの登場、クレアの復活は、昔の999しか知らない世代には新鮮に映ることだろう。ときどき面長になる作画の乱れはあるにせよ、キレ長なのに微妙にタレ目ぽくなったメーテルはかなり好みw。イーゼルさんの言葉が涙を誘う。

アルフィーの主題歌は…うーん。ゴダイゴとささきいさおを聴き慣れているだけに、ちょっと違和感。ラストシーンにアルカディア号、クィーンエメラルダス号…えっ?あの後姿は…!!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラディエーター

2024-11-28 | 映画(か行)


◼️「グラディエーター/Gladiator」(2000年・アメリカ)

監督=リドリー・スコット
主演=ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス コニー・ニールセン オリバー・リード リチャード・ハリス

2000年の公開当時、歴史大作映画が現代ハリウッドで製作されたこと自体を何よりも凄い!と思った。甲冑やら鎧を着た人々がズラリと並ぶ光景。宇宙服でも軍服でもない。大群衆のエキストラの衣装から背景まで金と手間がかかっていることは、CG慣れした世代でもなんかすげぇぞと思ってくれるに違いない。続編公開に合わせて配信で再鑑賞。

クライマックスの舞台となるコロッセオの巨大さ。「これは人間が作ったのもなのか」と台詞が添えられるだけで、巨大な建物が人の死を見世物にすることもあるクレイジーな建造物であることが伝わってくる。そこで繰り広げられる生死をかけた激しい戦い。剣と拳が振り下ろされ、血しぶきと首が飛ぶ圧倒的な迫力。苦手は人はキツい場面だが、それに熱狂する群衆に主人公は叫ぶ「もっと死が見たいのか!」。それは悲痛な響きがある。

歴史大作だけに予備知識がいるとか人間関係が複雑だとか、身構えてしまう方もあろうが、本作は意外と受け入れやすい構成になっている。それは対比される構図がきちんとしているからだ。皇帝に信頼された者、されなかった者。愛された者、愛されなかった者。正気を失う者、信念を取り戻す者。奴隷まで身を堕としてしまった主人公の復活劇だけに、最後まで目が離せない。名作「ベン・ハー」も似た構成ではあるが、史劇として様々な要素(疫病やキリストなどのエピソード)が盛り込まれているだけに、さらなる風格を感じる。長尺版(未見)ではそうした要素も含まれると聞くが、主人公の復活劇に絞り込んところがいいとも思える。

オスカー主演賞を受賞したラッセル・クロウのタフガイぶりが素晴らしい。敵役となる皇帝の息子を演じたのはホアキン・フェニックス。この人は他の作品でもそうだが、精神的に壊れていく役を演じさせたら本当に上手い。本作と同年製作の「クイルズ」の神父役も見事だった。後継者として信頼されない妬み、自分以外にも愛情を見せる父親への怒り、姉への偏った執着。自分の子を産めと迫る狂気の表情。本作でも見事な演技をみせる。

奴隷商人を演じたオリバー・リード、賢帝マルクス・アルレリウスを演じたリチャード・ハリスも素晴らしい。世界史の資料集を片手に観る方は、ローマの五賢帝時代を復習してねw



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声

2024-11-26 | 映画(か行)


◼️「グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声/Gladiator Ⅱ」(2024年・イギリス=アメリカ)

監督=リドリー・スコット
主演=ポール・メスカル ペドロ・パスカル デンゼル・ワシントン コニー・ニールセン

前作「グラディエーター」から四半世紀近く経って続編が製作されるという驚き。しかもこれまで「エイリアン」「ブレードランナー」など自作の続編企画になかなか携わらなかったリドリー・スコットが、本作では自らメガホンをとる。そしてハリウッドがCG駆使してアメコミばっかり撮ってるこの時代にローマ史劇だ。リドリー翁がこの時代に撮ったことにきっと意義がある。何か伝えたいことがあるのではないだろうか。

いきなりタイトルバックに前作の名場面を散りばめて、正統な続編であることを強く示す。ラッセル・クロウの勇姿も前作の映像で何度も映し出される。それは登場人物の関係と、前作の同様に奴隷からの復活劇が再び展開され、因縁めいた物語として印象づけたい狙いがあるのだろう。

コロッセオでの闘いは前作以上に激しさを増す。いきなり凶暴なヒヒとの闘い、サイに乗って突進してくる剣闘士。闘技場に水を張って海戦を再現するシーンも登場し、船から落ちればさらなる脅威が。前作でもコロッセオは死をエンターテイメントとするクレイジーな場として描かれるが、双子皇帝の悪政下となってさらにエスカレートしている。確かに暴力的なシーンではあるが、前作と同様にここで主人公の才覚が示される。そして民衆の心と映画を観ている僕ら観客の心も掴むのだ。

ところが前作と大きく印象が異なる点がある。それは人間関係の複雑さだ。前作は信頼されず愛されなかった者と信頼され愛された者の対比が貫かれた。単純な図式にすれば善と悪だった。狂ったホアキンをどう止めるというお話だった。だが、本作では主人公が仇とするローマの将軍は、皇帝に対するクーデターを企てている張本人でそれを助ける存在が前作にも登場する皇帝アウレリウスの娘。さらに2人の皇帝の力関係や、奴隷商人も前作とは違った立ち位置で描かれる。単純に勢力を二分して登場人物を対比させる構図になってはいないのだ。かと言って小難しい話にはなっていないのは監督の手腕なんだろう。

それぞれが胸に抱く信念がある。それは彼等にとってみれば彼等の正義で、人の数だけ正義がある。それをまとめ導くのが理想とされたローマの政治なのだろうが、共和政から帝政へと変わってきたローマでそれはうまくはいかなかった。前作でアウレリウス帝が説いた"ローマの夢"。その理想は、この続編では夢物語だ、ローマは滅びゆくのみと語られる。一方でそれでも"ローマの夢"を信じる人々がいる。

対比されるはずの陣営の中に組織でまとめきれない様々な意見があり、対立関係と見られる陣営の中にも様々な思惑がある。そんな2020年代の各国の政治状況や世界情勢に、映画はどこか通じるように感じる。大きな選挙の直後だからなおさら。映画の裏側に政治的なメッセージを感じるかどうかは受け止め方次第だが、少なくとも映画はそれでも理想を信じたいと締めくくる。

ポール・メスカルの熱演。他の出演作何を観たっけ?と思ったら、「異人たち」でドアの影に吸血鬼はいないよー♪と言って迫ってきた彼氏か。印象がずいぶん違うので見違えた。前作とつなぐ存在であるコニー・ニールセン、24年前の前作と変わらず美しい。カラカラ帝が出てくるんだから、浴場のエピソードが欲しかったかも。まぁ、それを入れると映画の尺が無駄に長くなっちゃうw





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴースト/ニューヨークの幻

2024-11-21 | 映画(か行)


◼️「ゴースト/ニューヨークの幻/Ghost」(1990年・アメリカ)

監督=ジェリー・ザッカー
主演=パトリック・スウェィジ デミ・ムーア ウーピー・ゴールドバーグ トニー・ゴールドウィン

1990年に大ヒットを記録した、ジェリー・ズッカー監督のファンタジー。80年代までは「裸の銃を持つ男」とか「フライングハイ」とか、おバカ映画撮ってた人がどうしちゃったの?。でも世間があんまり騒ぐから、ハリウッド大作を避けていた僕も映画館に足を運んだ。映画館には放課後の女子高生がいっぱい。オレ場違い?と勝手に思ってしまうくらい。早く暗くなって上映始まらないかなー。

同棲中のカップル(デミ・ムーアとパトリック・スウェィジ)のイチャイチャをまずこれでもかと見せつける。多くの映画に真似されている名場面の一つだ。「愛してるわ」と相手への気持ちを常に示す彼女に対して、彼は「同じく」と答える。日本語で言えば「同上」「〃」にあたる表現なんだろう、彼女は「愛してる」を聞けなくて不満で仕方ない。そんな矢先に暴漢に襲われて彼は死んでしまう。自分にすがって泣く彼女の姿を見て、自分が死んだことに気づく。

成仏しきれない彼は、自分が死んだ本当の事情を知ってしまう。どうすることもできないと苦しむ中、偽霊媒師オダメイ(ウーピー・ゴールドバーグ)に出会うが、なかなか理解してもらえない。しかし地下鉄に住むゴーストたちから、ものを動かす方法を教えられた彼は復讐を考え、そして彼女と再び触れ合いたいと思うようになる。果たしてその行方は。

特撮は「スターウォーズ」のリチャード・エドランド。特撮ばかりが売りの映画がたくさんあった80年代を経て、コテコテの恋愛映画なのに特撮がすごいというのは画期的。それはストーリーがその映像技術を駆使できるだけの内容だし、どうなる?とハラハラさせる複数の要素がある面白さを備えているからだ。

白人の美男美女と協力する黒人女性という、いかにも伝統的なハリウッド映画の体裁。しかもウーピー・ゴールドバーグは、この映画のコメディリリーフでもある。今の感覚なら、そのキャスティングだけで嫌う人もいるかもしれない。しかしこの映画のウーピー・ゴールドバーグの芸達者ぶりがなければ、この映画はこんなにヒットしなかっただろう。主役二人の役名は映画館を出る頃には忘れていた。だけど何故かオダメイは記憶に強烈に焼きついたんだもの。

伝えたくても伝えられない苦しさ。この映画の特殊な状況とは違うけれど、それは恋愛において経験する葛藤。それが叶った瞬間の感激。それを当時最先端の映像技術と、ライチャスブラザーズのUnchained Melodyの美しいメロディで彩った素敵な映画。パトリック・スウェィジのひたむきさとデミ・ムーアの大粒の涙。そして言葉を大切にした脚本のうまさがラストに光る。

コインが壁を伝って上って行く場面で、涙をこらえられなかったよー🥹




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス・ツリー

2024-11-07 | 映画(か行)


◼️「クリスマス・ツリー/L'Arbre deNoël」(1968年・フランス)

監督=テレンス・ヤング
主演=ウィリアム・ホールデン ブルック・フラー ヴィルナ・リージ

少年と父親が海で遊んでいるところに突然起きた飛行機事故。核兵器を積んでいたことから少年が被爆、白血病で余命半年と診断された。父親は残された日々を一緒に過ごすために、自分の静養だと言って田舎のシャトーで暮らし始める。

日本では昔からこうした難病ものがウケる。古くは吉永小百合の「愛と死を見つめて」。テレビでも「赤い疑惑」の白血病、昼ドラ「わが子よ」の骨肉腫、「神様、もう少しだけ」のHIVと挙げたらきりがない。イタリア映画の難病もの秀作「ラスト・コンサート」も日本資本で製作されているし。

本作は王道の難病もの映画だが、病気の子供が苦しむ姿はほぼ出てこず、せいぜい悪寒を感じて横になる程度。心境が深く描かれるのは周りの大人たちで、少年は病気を知ってからも「まぁ楽しくやろうよ」と言う。それは強がりなんだろうが、大人たちに陰も見せずに接する。映画前半は金持ちボンボンらしくわがままを言い放題で、大人たちがそこまで叶えてやらんでもと思える。しかし、映画後半、父親のベッドにもぐり込むあたりで、直接表現されない少年の気持ちが、観ているこっちにジワジワとしみてくる。

心情を吐露するのが大人だけという潔い演出は、子役に過剰に演技の負担をかけず、一方で観客に子供の心情を想像させて感情をかき立てる。監督は「007」シリーズで知られるテレンス・ヤング。台詞に頼らないラストシーンは狼の遠吠えだけが悲しく響く。変に回想シーンを挟んでお涙頂戴にしない。ただ抱きかかえて部屋を出るだけ。余韻が残るラストシーンはお見事。

狼を飼いたいと言い出す息子のために、動物園に忍び込むのはいかがなものかと思うが、その後の狼と少年の姿を見るとちょっと救われる。映画「禁じられた遊び」で有名な楽曲「愛のロマンス」が美しく使われている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コードネームはファルコン

2024-09-22 | 映画(か行)


◼️「コードネームはファルコン/The Falcon And The Snowman」(1985年・アメリカ)

監督=ジョン・シュレシンジャー
主演=ティモシー・ハットン ショーン・ペン リチャード・ダイサート デビッド・スーシェ

神学校を退学した主人公クリスは、元FBIの父親から軍需産業関連の会社を紹介された。やがて国家機密に関わる通信部に配属された彼は、他国に働きかけるアメリカという大国のエゴを日々目にして疑問を抱くようになる。彼は麻薬密売に手を染めたことのある幼なじみドールトンを経由して、ソビエトに情報を売ることを思いつく。

スパイサスペンスと紹介されるが、主人公2人は別にCIAみたいな組織の人間ではない。弱い国いじめのような状況を憂えての気持ちから、極秘情報の横流しを思いついただけの者。それが「金をとればプロだよ」とソビエト大使館員から凄まれてしまう。東西冷戦時代の対立の怖さ。

この映画が面白いのは、情報をめぐるかけ引きだけでなく、日常の人間関係が崩壊していく様子が丁寧に描かれていることだ。それだけにラストで母親が回想するわずかなシーンがグッとくる。実話に基づく話ではあるし、それを知らずとも最後にはバレて2人が窮地に立たされる結末は想像がつく。金持ちのお坊っちゃまなドールトンが見ていて危なっかしくて仕方ない。次第に家族の信頼を失っていくのが痛々しい。80年代のショーン・ペンはこういうチャラけた役がイメージ通り。一方クリスは情報を売ることで結局何を成し遂げたいのか、観ていて彼の気持ちが掴みきれない。父親への反抗心、アメリカ裏政治への怒りが背景にあるのだろうが踏み込めていない。秘密厳守を貫けないのならば、告解で秘密を打ち明けられる神父なんてそもそも無理だったのかもしれないな、と思った。

ティモシー・ハットンのファッションが気になった。企業で働き始めた場面のブラックデニムにカジュアルシャツ、細めのタイと黒ベストのコーデ。次の面接シーンではカーキ色のパンツに落ち着いた色のジャケットと赤い派手めのネクタイの合わせ。あーこれ好き。真似したい😏

ソビエト大使館員はヒゲのないデビッド・スーシェが演じる。ポワロとは違ったずる賢さを見せて貫禄の演技。「フットルース」のロリー・シンガーがティモシーの相手役。特に目立つ場面もなくストーリー上でも添え物なのが残念。

音楽担当はギタリストのパット・メセニー。主題歌This Is Not Americaを歌うのはデビッド・ボウイ。通信部でのゆるーい仕事場面では、アヴェレージ・ホワイトバンドのPick Up The Piecesが流れる。オフィスのシュレッダーでカクテル🍸を混ぜ合わせるのはびっくり🫢





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華麗なるアリバイ

2024-09-20 | 映画(か行)


◼️「華麗なるアリバイ/Le Grand Alibi」(2007年・フランス)

監督=パスカル・ボニゼール
主演=ミュウミュウ ランバール・ウィルソン ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ アンヌ・コンシニ

アガサ・クリスティの「ホロー荘の殺人」の映画化で、ジャック・リヴェット作品などで知られる脚本家パスカル・ボニゼールが監督を務めた作品。原作は名探偵ポワロシリーズの一つで、週末を過ごしにある屋敷に集まった人々の間で起こった殺人事件と、その裏にある愛憎劇を描く。

クリスティはこのストーリーにポワロは合わなかったと後に語っていたそうだ(Wiki参照)。そのせいなのか本作ではポワロは登場しない。さらに殺されたピエールに登場人物の誰もが何らかの恨みや因縁がある設定となっており、「オリエント急行」や「ナイルに死す」同様に観客の疑いの矛先が定まらない改変がなされ、物語の幕切れも原作とは異なる。本作については、確かに名探偵に観客をリードしてもらうよりも、登場人物それぞれのアリバイに観客が惑わされ、そうだったのか!と騙される方がスッキリするように思えた。

されど、邦題のような華麗なアリバイとは思えなかったのだが。

キャストはヨーロッパ映画で活躍するメンバーだが、他のクリスティ有名作の映画化と比べるとどうしても地味。被害者ピエールを演じたランベール・ウィルソンはほんっと口先だけの男で、「9人の翻訳家」同様の憎まれ役。屋敷の奥様ミュウミュウは事件に怯えている割にどこか軽さがあってちょっと物足りなかった。ピエールの愛人でもある芸術家エステルは、フランソワ・オゾン映画でもちょくちょく見かけるヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。事件を引っかきまわすお色気ムンムンのイタリア女優には、「007/カジノロワイアル」にも出演していたカテリーナ・ムリーノ。女たちの間でフラフラしながら事件の核心にたどり着く冴えない作家が「カンフー・マスター!」の少年だったマチュー・ドミ。

クリスティ作品のバリエーションとして楽しむにはよろしいかと。「名探偵ポワロ」シリーズの「ホロー荘の殺人」でポワロが加わるものと比べるのもよき。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きみの色

2024-09-13 | 映画(か行)


◼️「きみの色」(2024年・日本)

監督=山田尚子
声の出演=鈴川紗由 髙石あかり 木戸大聖 やす子 悠木碧 寿美菜子 戸田恵子 新垣結衣

監督山田尚子×脚本吉田玲子のアニメーションは「けいおん!」以来お気に入りだ。そのコンビの新作は、青春と音楽の物語。

人がそれぞれの色で見えるトツ子。ミッション系の女子校に通う彼女は、ある日の体育の授業中、きみちゃんの放つ青い色に魅せられる。ところがきみちゃんは予告もなしに退学。商店街近くの古書店で働くきみちゃんに声をかけたトツ子は、その店に来ていたメガネ男子のルイとともに勢いでバンドを結成することに。練習場所は離島にある教会跡地。3人はそれぞれが抱える悩みや秘密を共有するようになる。

全体的なほんわかとしたムードと優しい世界の上映時間100分は、慌ただしい日常をしばし忘れさせてくれる。結果として周囲の大人に対して嘘や隠し事をしてしまう3人だが、自作曲を持ち寄ることでだんだんと自分の心に素直になっていく。頑なだった心を解きほぐしてくれたのは音楽の力。

この監督脚本コンビである秀作「聲の形」や「リズと青い鳥」の、感情が心の器から溢れ出すような強い感情表現とは違う。それぞれの不器用さからうまく言葉にできないながらも、ジワジワと高まっていく3人の気持ちが観ていて心地よい。でもそれは周囲の大人たちの気持ちを描くことをスパッと切り捨てたからに他ならない。きみちゃんのお婆ちゃんが彼女に期待する気持ちは裏切られたし、ルイの母親にも言い分はあっただろう。クライマックスの学園祭ライブで、そんな不器用な子供たちを認めるひと言も出てこない。

でも、そこを期待した僕は、大人の目線でこの映画をちょっと冷ややかに観ていたのだろう。描かれるべきは世代間の関係修復ではなくて、3人がそれぞれの個性や自分自身を肯定する気持ちになっていく様子。それこそが"きみの色"なんだ。だから僕ら世代には、この映画はちょっと気恥ずかしくて、こそばゆい感覚がある。

ほんっと青いなお前ら。
でもそんな気持ちあったよ。
そんな感じ。

変則スリーピースバンド。ルイはプログラミングとキーボード。トツ子が弾くキーボードは、RolandのGO:PIANO88とはナイス👍。両手指一本で弾く場面がダサいめいた感想を見かけるけど、あれはシンセベースを弾いてる場面だから、アリだと思います。きみちゃんのギターがリッケンバッカーって、絵が映えるいいセレクト👍。さらにルイがソロ楽器としてテルミンを操るのが、電子楽器好きの僕には嬉しい誤算🤩。やるやん!しかもトツ子がバレエで踊りたかったという楽曲ジゼルをテルミンで演奏する場面は感激してしまった。

大昔に聴いていたラジオ番組で、個性を出せ、自分を出すことをためらうな、とリスナーを励ます言葉にをかけてくれたミュージシャンがいる。彼は言った。
「自分のプラカードは、自分の色で染めなきゃ!」
それからウン十年経ったけど、僕はいったいどんな色なんだろう。"青いなお前ら"と色で若い子を括ってしまった自分。色をなくしているのではないよな、と自分に問いかけた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な結婚記念日

2024-07-24 | 映画(か行)


◾️「幸福な結婚記念日/Heureux anniversaire」(1962年・フランス)

監督=ピエール・エテックス ジャン・クロード・カリエール
主演=ピエール・エテックス ジョルジュ・ロリオット

ピエール・エテックスの短編第2作。前作「破局」のコントのような一人芸とは違って、映画として映える仕掛けがいっぱい。

結婚記念日を夫婦で祝うために帰路につく夫。ところが大渋滞で車は一寸ずり(方言ですみません💧)、さらに路上駐車のトラブルに巻き込まれ、なかなか家に帰りつかない。待ちくたびれた妻は料理をつまみ食い。果たして二人は無事に記念日を祝うことができるのか?

わずか13分の短尺。次に何が起こるかワクワクさせるエピソードが詰め込まれて、楽しい楽しい。前作同様にエテックス自身は台詞も少なめで、誰にも伝わるギャグや描写を織り込んでくる。

渋滞場面ではいかにクルマが動かないのかを、車中の仕事や洗車、路上の吸い殻で表現。ジャック・タチとのつながりを念頭に観てしまう映画ファンには、「トラフィック(ぼくの伯父さんの交通大戦争)」とイメージが重なってくる。モータリゼーションの皮肉な笑い。

そして脇役まで笑わせてくれる。路上駐車から端を発して散々な目に遭う床屋の客がとにかくかわいそう🤣。そして物を言わぬラストシーン。散々な記念日ではあるのだけれど、なぜかほっこりした気持ちになる。子供に見せても、この面白さは伝わるだろな。

長編にも挑んでみよう。楽しみっ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キングダム 大将軍の帰還

2024-07-21 | 映画(か行)


◾️「キングダム 大将軍の帰還」(2024年・日本)

監督=佐藤信介
主演=山﨑賢人 大沢たかお 吉沢亮 清野菜名 小栗旬

第1作を観た時、妙に居心地が悪かった山﨑賢人の今どきヤンキーな口調。礼儀知らず世間知らずなのに、さすがに4作目にもなるとこれが頼もしく聞こえてくるから不思議。本作のラストでは、兵士たちに語りかけ、大将に代わって号令まで。出しゃばりにも程がある。でもその図々しさも許せてしまう頼もしさ。将軍の馬からの景色を覚えておきなさい、と言われる場面の、これまでにない真顔とまっすぐな視線。信の成長物語はまだまだ止まらない。やっぱり面白いな、このシリーズ。

「キングダム」は人の上に立つ者はどうあるべきか、というリーダー論を、主人公信と一緒に様々な登場人物から考える物語でもある。人の痛みを知るからこそ戦のない世のために中華統一を目指す秦王、第2作に登場する麃公(トヨエツ)の大局を見る戦運び、先頭に立って突っ走る縛虎申、それぞれの立場で発揮されるそれぞれのリーダーシップ。そして人柄も実力も兼ね備えた天下の大将軍王騎(大沢たかお)。それらは百人大将となった信の行動にも大きな影響を与えていく。

第4作となる「大将軍の帰還」は、事実上王騎将軍が主役だ。ここにきて王騎をめぐる過去の出来事が明らかになる。これが実にドラマティック。キングダムの映画化は、過去の出来事を描く回想シーンが異様に長い。囚われの身だった時代の秦王を描く第3作前半は、かなりの尺を費やしていた。秦王の信念を描く上では重要なエピソードで、僕もやたら感動したのだけれど、戦いの行方だけに大きな期待をした観客には多少焦ったいのかもしれない。第4作でも、秦国武将の一人摎をめぐる過去のパートが登場する。ホウ煖との因縁を語る上でも重要な部分だが、これが映画全体の話を途切れさせることもなく、むしろ王騎の人柄を印象づけることにも成功して、クライマックスに向かう観客に見届ける覚悟をさせるようにも感じられた。映画自体は確かに長尺になったけれども、無駄には感じられなかった。戦闘シーンとそれ以外のシーンのバランスがいい印象。

羌瘣が尾到の死を悼む言葉から彼女に芽生えた仲間意識が感じられる場面、王騎にかけられたひと言に摎がキュンキュンする場面、草刈正雄の昭王の言葉、王騎が馬上で語りかけるラストまで、挙げたら止まらないくらいにいい場面がある。もちろん原作の良さがあってのものだが、佐藤信介監督はどんどん登場人物が増える群像劇をうまく演出していると感じた。本作は短い場面でも心に残るのはそのせいだろう。

この先まだまだ話は続くのだが、映画化はどうなるんだろう。

小栗旬演ずる李牧のキャラがなーんか嫌い。喋りに加えて、あの南蛮渡来みたいな装束は何だよ、戦場だぞ。第4作では側近のカイネも台詞が増えてきて、二人が並ぶ場面では急に映画の重厚感が薄れる気がしてならなかった(個人の感想です)。昨年第3作を観た後、
😒「李牧でしたっけ?小栗旬が出てくると途端に空気が軽くなるから、個人的に嫌いなんですよねー」
と原作未読の僕は職場で発言した。すると上司からひと言。
😼「何言ってるんですか。李牧はこの後の超重要キャラクターなんですよ。」
ありゃ🙄そうなのか。ってことは、小栗旬のチャラさにこれから耐えなきゃいけないのか。大丈夫かオレ。でも「片腕必殺剣」みたいな要潤の華麗な剣さばきが、きっとこんな僕をこれから救ってくれるはずw

王騎ロスになりそうです。ンフフフ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする