
■「あぜ道のダンディ」(2010年・日本)
監督=石井裕也
主演=光石研 田口トモロヲ 森岡龍 吉永淳
日々お父さんは頑張っている。中高年のおじさん達は頑張って生きている。あれ程自分を「おじさん」と呼ぶのを嫌っていた僕でも、さすがにこの年齢になればそうも思える。父親がカラオケで唄ってた「時代おくれ」の良さがわかるようになってきた。日々の苦労なんて、誰もわかちゃくれやしない。まだそれほど後退してもない前髪をネタに家族に笑われても、帰宅すると息子に初音ミクの「サラリーマンのうた」を唄いながら出迎えられたりしても、一緒に風呂に入れば娘に「お父さんの入ったお風呂は高濃度汚染水」とか言われても、お父さんは頑張っている。僕らは自分の独りよがりな信念、頑固さ、そして自己流の美学を胸に日々を生きている。
「あぜ道のダンディ」の主人公宮田淳一もそうだ。自転車で職場に向かう自分を競馬馬にみたてて自分にムチを入れて叱咤する。オープニングで登場したこの場面に、冴えないおっちゃんが主人公なんだと思った。でもそれに呼応するかのように繰り返されるラストシーン、僕は素直に涙しそうになった。僕らもああやって日々を頑張ってるんだよ。100分そこらでそんな気持ちにさせてくれる光石研の演技。素晴らしい。もしこの映画を5年後に観たら僕は自分を重ねて号泣するかもしれない。
地方都市で運送会社に勤める宮田淳一。妻をガンで亡くして、浪人中の長男と高3の娘と3人暮らし。世間のおじさんたちと同様に子供達とは会話もない。子供二人が私立大学に合格する。「お金はいっぱいあるから」と言いきるが心配の種は尽きない。胃が痛んできて、妻と同じガンではないかと疑い始める。そんな日々の悩みを打ち明けられるのは、幼い頃からの友人真田だけ。真田は長年介護をしてきた親が亡くなり、遺産で生活している。自分へのご褒美だと、ソフト帽を愛用している。仕事帰りに酒場で交わす二人のやりとりが面白いし、羨ましい。男という生き物は何か同じコミュニティに属しているとか、現在進行形のつながりがないとなかなか群れることができない生き物だ。胃をおさえながら「弱音を吐けるのはお前しかいない。」と真田に言う場面は笑っちゃうけど、そんないい関係でいることが素敵だと思った。
この映画には中年男の悲哀がいっぱいだ。胃ガンだと勘違いして遺影に使えそうな写真を注文したり、酔って娘の部屋に行く場面の「人を好きになるってことは、恥ずかしいことなんだぞ。でもな・・・」って語り始める場面が好き。不器用な、ほんとに不器用な父親だけど大切に思う気持ちがにじみ出る。東京に行く子供と一緒にいられる時間はあとわずか。そんな思いで親子3人でプリクラ撮る場面。おそるおそる子供の肩にのばす手。こういう場面で泣ける年齢になったんだな、オレ。まだ若い監督だそうだが、ここまで男の悲哀を描けるってすごいね。
映画が終わって映画館を後にするとき、お誘いがあったのだが僕はまっすぐ帰宅した。週明けに(彼にとっては)重い英語のテストを控えた息子が「勉強手伝えー」と言ってたからだ。そう言われるのも今のうちだろうし、この映画を観てますますそう思ったからでもある。
