Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

マドモアゼル

2019-08-29 | 映画(ま行)

◼️「マドモアゼル/Mademoiselle」(1966年・イギリス=フランス)

監督=トニー・リチャードソン
主演=ジャンヌ・モロー エットレ・マンニ ウンベルト・オルシーニ ジェラール・ダリュー

フランスの田舎村で水門が開かれる悪質ないたずらが起こった。閉鎖的な村で疑われるのは、流れ者のイタリア人労働者たち。それらは、都会から教師としてやってきた独身女性の仕業だった。村人に"マドモアゼル"と呼ばれる彼女を疑う者はいない。いたずらは連続放火に発展して、よそ者に厳しい言葉や視線が向けられる。

町山智浩センセイの紹介でトラウマ映画として知られる作品。ジャンヌ・モロー見たさに手を出してみたが、確かにむなくそ悪いという世間の評判は嘘じゃなかった。着飾った装いで水門を開ける不気味なオープニング、イタリア人の少年に教室で厳しく指導する姿、ストーリーが進んでも彼女の真意がますますわからなくなる。少年の父親とマドモアゼルは、森で会話をしてから時折視線を交わすようになっていく。そして嵐の夜に二人は…。

少年は放火現場に残されたノートの切れ端で、マドモアゼルを疑うようになるのだが、決してそれを口にしたりしない。映画後半、マドモアゼルが男との行為に溺れていく様子は妖艶。男と女は理屈じゃないと数多くの映画で学んできたけれど、これは最後まで共感できるところが汲み取れず、ラストはもう人間の醜さと不可解さにモヤモヤした気持ちに。

しかし、そんなミステリアスで、知的で、気品があって、激しく嫌悪の対象になるヒロインを、ジャンヌ・モロー以外の誰が演じられるだろう。そんな女優の凄みが、この映画のむなくそ悪い印象と共に心に残るのだ。


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ラブ・アクチュアリー

2019-08-26 | 映画(ら行)


◼️「ラブ・アクチュアリー/Love Actually」(2003年・イギリス=アメリカ)

監督=リチャード・カーティス
主演=ヒュー・グラント コリン・ファース リーアム・ニースン エマ・トンプソン アラン・リックマン

英国ワーキングタイトル社の製作する映画、特にロマコメ路線は大好きな映画ばかりだ。それらの脚本を書いたのがリチャード・カーティス。彼が初めて監督した作品が「ラブ・アクチュアリー」である。世間の評価も高いし、ハズレではないと思えた。でも何故だか今まで観てなかった。クリスマス映画だから普通より甘味料過多の恋愛映画だろう、甘ったるくて食えるもんか、と思ってあの時からずっと避けてたのかもなぁ。やっと観る気になった。

結果。ヤバい。この映画から伝わるこの幸福感はなんだ。人が人を好きになることの高揚感、幸福感、切なさ、友情、いろんな気持ち。多くの登場人物の群像劇だが、これが映画のラストに奇跡的な一体感をもたらす。いわゆるグランドホテル形式で描かれるのは、様々な愛のかたち。英国首相の恋、部下に誘惑される会社社長とその妻、義理の父親が応援する少年の恋、言葉の壁、恋に突き進めない家庭の事情、老いたロックスターと長年連れ添ったマネージャー、スタンドイン俳優の裸で始まる恋、エトセトラ。

数々のエピソードが紡がれるが、中でもマークと友人ピーター、ピーターの花嫁ジュリエットをめぐるエピソードが心に残る。結婚式のビデオを見る場面と聖夜の無言の告白で、僕の涙腺は完全崩壊。ロマコメ映画で泣いたの何年振りだろ。ヒュー・グラントの恋の行方にはワクワクするし、コリン・ファースの告白にはドキドキさせられる。でも年齢的に近いからか、アラン・リックマンが見せる初老男の揺れる気持ちと、エマ・トンプソンがジョニ・ミッチェルを聴いて泣く場面も胸に迫るものがある。

そして何よりも音楽の素晴らしさ、抜群の選曲のセンス。Wet Wet WetのLove is all aroundをクリスマスソングにした替え歌(PVはロバート・パーマーのAddicted To Loveのパロディ?)、葬儀で流されるBCR、首相が踊り狂うポインターシスターズ、パーティで流れるノラ・ジョーンズ。僕はカーティス監督作の「パイレーツロック」が大っっ好きなのだが、「ラブ・アクチュアリー」でもこれまたいい場面でビーチボーイズが流れる。しかもこれまた大好きなGod Only Knowsやん(泣)。あー、あの年なんで映画館で観なかったのだろう。

お気に入りのコミック「木根さんの1人でキネマ」第2巻、「ラブ・アクチュアリー」の回もなかなか名編です。お試しを。




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ヒュー・グラント,リーアム・ニーソン,エマ・トンプソン,アラン・リックマン,コリン・ファース
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危険な戯れ

2019-08-25 | 映画(か行)



◼️「危険な戯れ/La Jeu Avec La Feu」(1973年・フランス)

監督=アラン・ロブ・グリエ
主演=フィリップ・ノワレ アニセー・アルピナ クリスティーヌ・ボワッソン ジャン・ルイ・トランティニャン シルビア・クリステル

娘カロリナを誘拐した、と謎の男が父親である富豪に告げる。しかし娘は帰宅していた。父親は彼女を危険から遠ざけるために、ある娼館に匿う。そこは性の欲望が渦まく倒錯した世界だった。扉を開ける度に違った性の世界を垣間見るカロリナ。不思議の性の国のアリス。

終始男目線で、女性を弄ぶエピソードを淡々と積み重ねて、とにかくおっぱいを写しまくってる映画。合わせ鏡の浴室でヒロインが男に身体を洗われる場面なんて、画面に無数のおっぱいが並ぶ。娘役が「フレンズ」のアニセー・アルビナじゃなくって、若い頃のシルビア・クリステルが脇役で見られるという特典がなかったら、途中でギブアップしたかもしれない。

ジャン・ルイ・トランティニャンってヨーロッパ映画をつまみ食いするとあちこちで顔を見かける。まるで相手チームのパスをカットする為にフィールドのどこにでも現れる澤穂希のようだ(どんな例えだ)。ここにもいる!、みたいな。「女性上位時代」を観た時も、こんなエロ映画に「男と女」のあの人が!しかもお馬さんごっこ!?と思ったけど、今回はそれ以上の衝撃。そして意表を突いたラストが待っている。

凱旋門の上ってああなってるのか…。勉強になります。

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ジャン=ルイ・トランティニャン,フィリップ・ノワレ,アニセ―・アルヴィナ,シルヴィア・クリステル
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映画に愛をこめて アメリカの夜

2019-08-17 | 映画(あ行)



◾️「映画に愛をこめて アメリカの夜/La Nuit Americaine」(1973年・フランス=イタリア)

監督=フランソワ・トリュフォー
主演=ジャクリーン・ビセット ジャン・ピエール・レオ ジャン・ピエール・オーモン ナタリー・バイ

映画撮影現場を舞台にした映画。撮影の裏側への興味深さはもちろんだけど、人間模様のおかしさ、面白さがこの映画の魅力。誰が主人公だと明確でもなく、軸となるストーリーがある訳ではなく、群像劇の中で小さなエピソードが積み重ねられて全体のドラマが形作られる。「トリュフォーの思春期」も同じような作風だけど、観ている側にはあるがままに受け入れることを求められるし、ここから何を受け取るかも観客次第とも言える。恥ずかしながら、実は今回が初鑑賞。「映画に愛をこめて」なんて邦題を添えられたものだから、敷居の高い映画だとずっと思っていたのだ。

登場人物の誰かに感情移入することもなく、筋書きにハラハラすることもなく、観客はスタッフの一員にでもなった目線で出来事を追っていく。映画監督って大変なんだな、撮影中の色恋沙汰ってやっぱりあるんだな、ワガママな奴ってどこにでもいるもんだな、計算づくでやってるのかと思ったら意外と成り行きなんだな、群衆の動きのタイミング合わせるのにこんな苦労を…。スクリーンの向こう側で繰り広げられる出来事たち。ディテールの面白さがある。

僕の居住地は映画やドラマのロケ地として実績があり、僕もエキストラに参加したことがある。「アメリカの夜」で街角の様子を撮影するシーンがあったけど、役者さんが演技しやすいように現場の空気を作る一員になればいいのだな、と感じたのを思い出した。映画撮影って、段取りの苦労や気遣いやらで楽しいことばかりではない。それでも大勢が関わって創りあげるお祭りとも言える。撮影が終わって、それぞれが現場を去っていくラストシーンの名残惜しさ。創り手の映画愛を随所に感じられた秀作だけど、その映画愛を観る側へ伝えようとする気持ちが感じられるところがあれば、もっと好きな映画になれたかも。

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木根さんの1人でキネマ

2019-08-11 | 読書


何気なく手にしてしまったのだけど…面白い!
ひとり映画が趣味の独身OLの主人公の日々。いやいや、これがフリーク級映画ファン、いやそれ程でなくても、あるある満載でたまらん。

映画好きになるきっかけが語られる第2話、
映画館で観る理由に触れる熱き第3話、
「スターウォーズ」の観る順論争の第4話、
ゾンビ映画の真面目な分析に爆笑の第5話。

ヒロインの行動を「バカだねー」と笑いつつも、ページをめくると「オレも経験ある…」と心の片隅で冷や汗がにじむ。

そして"ひとり映画館派"を気取る人々の琴線に触れる第6話。

実際、僕のネット見知りの映画友達も代替わりしている。みんな他にいろいろあるんだと思うのね。好きで観てはいるけど、マメに感想あげられないとか。実際、僕だって昔ほどたくさん観てる訳じゃない。リアルの映画友達もたくさんいるけど、最近その一人が「一人で浸りたいんだよね」と言い出して、交流が途切れ途切れになってきてる。それがあったせいなのか、好きなことを語り合える相手の大切さが描かれる第6話はジーンとくる。泣くかと思った💧

木根さんの1人でキネマ 1 (ジェッツコミックス)
アサイ
白泉社
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さらば愛しきアウトロー

2019-08-10 | 映画(さ行)



◾️「さらば愛しきアウトロー/The Old Man And The Gun」(2018年・アメリカ)

監督=デヴィッド・ロウリー
主演=ロバート・レッドフォード ケイシー・アフレック シシー・スペイセク ダニー・グローヴァー

銀行強盗と脱走を繰り返すフォレスト・タッカー。銃をチラつかせるが決して誰もが傷つけないし、その紳士的な振る舞いに、襲われた銀行の人々も悪い印象を持っていない。彼は犯行を楽しんでいる。担当の刑事ジョンも、彼と知り合った未亡人ジュエルもフォレストに次第に好感を抱いていく。そしてフォレストと仲間たちは金塊を狙った新たな仕事を企てる。

"ほとんど実話"という触れ込みなのだが、ドキュメンタリーぽく実際のフォレストを見せることもなく、レッドフォードが演じるというハリウッドの魔法で"創られた物語"感が支配する。ナレーションでも入れそうなところを、青い背景に文字でその後を示す演出はふた昔前くらいの映画みたいだし、歳を重ねた男女のやりとりも、銀行に押し入る場面で繰り返されるやりとりにもすっかり僕らの気持ちは乗せられる。現実逃避しに映画館に来てる時に、厳しい実話は見たくない。同じ実話でも、劇場の重い扉の向こう側を忘れさせてくれる粋な演出と演技があれば、観てよかった!って気持ちになれる。これはそんな映画だ。

ロバート・レッドフォードが演じてきた役柄。西部のお尋ね者、詐欺師、グレート・ギャツビー、華麗なるヒコーキ野郎、金庫破り、新聞記者、軍人、政治家、元ロデオチャンピオン、元野球選手、奥さんを一晩貸してと申し込む大富豪エトセトラ。とにかくダサい印象は全くないが、どれも「普通の人々」(初監督作のタイトル)ではない。「老人と銃」と題された彼の俳優引退作に添えられた「さらば愛しきアウトロー」と言う邦題。近頃は説明くさい邦題が多い。これも銀行強盗と脱走を繰り返す老主人公を説明したに過ぎないかもしれないけど、レッドフォードのフィルモグラフィーを前提にすると、どこか映画愛さえ感じられるじゃない。

さらに血まみれホラーヒロイン、自殺願望刑事の相棒、ダミ声歌手と懐かしい顔ぶれ。長く映画ファンやってるとこういう再会が嬉しくなる。

エンドクレジットが終わって、重い扉の向こう側へ。サマーシーズンの映画館はお子ちゃまだらけで、一気に現実に引き戻される。でもこの5番シアターを出る中年男たちは、どこか胸を張っている気がした。レッドフォードの引退作に犯罪者役はふさわしくないなんて言わないで欲しい。これはレッドフォードもその役柄を愛したアウトロー、「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッドの花道でもあるんだから。



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パピヨン

2019-08-08 | 映画(は行)



◾️「パピヨン/Papillon」(2017年・アメリカ)

監督=マイケル・ノアー
主演=チャーリー・ハナム ラミ・マレック トミー・フラナガン イヴ・ヒューソン

無実の罪で逮捕され、フランス領の南米ギアナの徒刑場に送られた主人公が、壮絶な獄中生活を経て脱走を成し遂げた実話。二度目の映画化である。スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン共演の「パピヨン」を観た時の衝撃は忘れられない。あれを超えるリメイクなんて撮ることができるのか。今回のリメイクが1973年版と異なるアプローチをしたのは2つ。一つは投獄される前のエピソードを追加する試み。そして、もう一つは、実話であることを強調する試みである。

映画冒頭に付け加えられたパリでのエピソードは、主人公パピヨンが無実だったことを印象づけ、9回も挑んだ脱獄の理由づけを強くしてくれる効果は絶大だ。徒刑場に場面を移してからのギャップは、わかりやすく観客を導くことに成功していると言っていい。

このリメイクが残念なのは、実話であることを強調するあまりに、説明くさい印象を残してしまったことにある。実話の映画化は確かに感動を呼ぶ。こんなことがあったのか!という驚きは、スクリーンのこっち側の人間には新鮮だからだ。それは悪いことではない。映画を通じて知る異国の現実は僕らの知的好奇心をくすぐり、視野を広げてくれるからだ。しかし実話だという先入観があるからこその感動は、少なからず映画の感想を加点してしまうのも事実。映画本編ではなく、スクリーンの外側で感動してしまう。

ラストシーンは、ドガの友情をもう一度感じさせてくれる。けれど、年老いたパピヨンを登場させて、自分の経験を執筆するよう依頼する場面を用意したのは、わかりやすくはあるけれど、ちょっと蛇足に感じられた。1973年版は不屈の執念が実るラストに感動がある。あれはあれで十分だった。

リメイク版のレビューだというのにオリジナルの話から抜け出せないのは、リメイク版「キングコング」を日曜洋画劇場で解説してるのに1933年版の話になっている淀川長治センセイみたいで反省(笑)。でもオリジナルの呪縛は確実にある。この映画のチャーリー・ハナムの風貌は、やはりマックイーンを思わせる。一方、ドガ役のラミ・マレックは他の囚人からいかにもお尻を狙われそうなキャラに描かれているのも当世風なのかな。パピヨンの彼女役、イヴ・ヒューソン。U2のボノの娘さんなんですね。
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雨に唄えば

2019-08-02 | 映画(あ行)



◾️「雨に唄えば/Singin' In The Rain」(1952年・アメリカ)

監督=スタンリー・ドーネン
主演=ジーン・ケリー デビー・レイノルズ ドナルド・オコナー

「繰り返し観ている映画は何?」と尋ねられたら、僕は多分「スターウォーズ」「インディ・ジョーンズ」「007」を挙げるけれど、回数で言うならばおそらく「雨に唄えば」を挙げない訳にはいかない。初めて観たのは、テレビの録画を父親が人から借りてきたのがきっかけだった。何これ、なんか楽しい。もしかしたらミュージカル映画を初めて観たのは、これだったかもしれない。水たまりを蹴散らして踊るジーン・ケリー、可憐なデビー・レイノルズ。芸達者なドナルド・オコナーに笑わされ、華麗なダンスと歌にワクワクした。

他にも夢中になったミュージカル映画はある。「ウエストサイド物語」は当時吹奏楽部でレナード・バーンスタイン作品を演奏したのもあり何度も観たし、「サウンド・オブ・ミュージック」も「メリーポピンズ」も人並みに観た。それでも「雨に唄えば」は僕にとっては別格。

それはサイレントからトーキーに映画が変わる時代の物語だから。僕が映画好きになったきっかけの一つは、親に見せられたチャップリンの作品。サイレント映画とトーキー初期にまたがるチャップリン作品群は夢中で観た。トーキー時代に敢えて台詞に頼らず、実験的な音の表現に挑んだチャップリンのエピソードを知るだけに、「雨に唄えば」で描かれるトーキー初期のトラブルやスターの栄枯盛衰の物語に、俄然興味が湧いたのは間違いない。人々を魅了するエンターテイメントの世界とその歴史をもっと知りたい 。繰り返し観るうちに、そんな気持ちになっていたのだと思うのだ。

同じ時期に「スターウォーズ」を観て、黒澤明作品を始め様々な娯楽映画の要素がルーツにあることを知る。「僕はここに込められた映画の楽しさを知り尽くしてやる!」と幼いながらに思って、今こんな大人になってしまった。レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーのお母さんが、「雨に唄えば」のデビー・レイノルズ。好きになった新旧のヒロインが親子だったとは、これも映画の歴史のマジック。

スタンリー・ドーネン監督作は、「雨に唄えば」以外にもお気に入りの映画がある。美男美女のサスペンスにオシャレな音楽の「シャレード」、とっても不謹慎なテーマなのに抜群に楽しいミュージカル「掠奪された七人の花嫁」、オシャレでロマンティックな傑作「パリの恋人」。ドーネン監督は2019年2月に亡くなった。他にも楽しい映画はあまたあるけれど、今にして思えば、僕はドーネン監督作から映画の楽しさを学んだ気がする。大学時代にリバイバルで観たオードリー・ヘプバーンの「いつも二人で」は、倦怠期の夫婦のお話だけど、今の年齢で観たらあの頃分からなかったものが見えるのかもしれない。改めてご冥福をお祈りします。



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