Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

劇場版 1000年女王

2024-10-30 | 映画(さ行)


◼️「劇場版 1000年女王」(1982年・日本)

監督=明比正行
声の出演=戸田恵子 潘恵子 永井一郎 野沢那智

松本零士の原作コミックは随分前に読んだが、話が理解できたという自信がない。テレビシリーズは、僕の地元では放送されなかったので見たことがない。壮大なスケール、歴史と絡めた設定は魅力的ではあるのだが、他の作品のように様々な世代に響く親しみやすさとは違う。

この劇場版はテレビシリーズの続きや再編集でもない新作。ラーメタル星が地球に衝突する!?という全地球的な危機が描かれる。しかしあまりにも危機の描写が限定的で、女王の方舟に乗せられた雨森教授ら地球人が事態をすんなり受け入れてしまうのも説得力が薄い。まぁただでさえ分かりにくい話を2時間の尺で収めるのだから無理もないとは思う。人間関係の深さを味わうには、本作の情報だけでは物足りない。

個人的に幸いだったのは、最近アニメ「メーテルレジェンド 交響詩宿命 第一楽章・第二楽章」を鑑賞していたこと。惑星ラーメタルが太陽に近づく期間がわずかしかない長大な楕円軌道であるという設定の予備知識があったので、助けになったかも。「銀河鉄道999」のスピンオフである「メーテルレジェンド」では生き延びるために機械の身体を持つ道を選んだラーメタル人。「1000年女王」では束の間の春を待つための長期人口冬眠と、生き延びる為の地球侵略を目論む者として描かれる。そんな違いはあるけれど。

クライマックスの攻防戦はなかなか見応えはある。博物館に展示されていたクラシックな兵器で戦う地球人。さっきまで地球人を見下して猿呼ばわりしていたラーメタル人が、「想像を超えた反撃」などと慌てるのはおかしいけれど、エネルギー弾でなく物理的な兵器で反撃した「ヤマトよ永遠に」(オリジナル)の例もあることだし、よしといたしませう。ヒロイン雪野弥生(プロメシューム2世)を演ずるのは潘恵子。松本零士作品と縁のある声優陣が多数出演してしている。

特筆すべきは音楽。シンセサイザー奏者の喜多郎が映画音楽を手がけた貴重な作品。エンディングで流れる主題歌Angel Queen(星空のエンジェルクィーン)を歌うのは、ニール・セダカの娘デラ・セダカ。これは隠れた名曲だ。個人的な話だが、高校時代に吹奏楽で演奏したこともある。デビッド・フォスターがプロデュースに参加しており、哀愁漂うメロディとデラ嬢のまっすぐな歌声に、AORぽい男声コーラスがからむアレンジが素晴らしい。2010年代に初CD化されてコンピレーションアルバムに収録された際に、速攻で買ったお気に入りの曲なのだ。現在はデラ・セダカ唯一のアルバムと共に配信されている。是非お試しを。いい曲です♪





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スオミの話をしよう

2024-10-16 | 映画(さ行)


◼️「スオミの話をしよう」(2024年・日本)

監督=三谷幸喜
主演=長澤まさみ 西島秀俊 瀬戸康史 遠藤憲一 宮澤エマ

突然姿を消した大富豪の妻スオミのために、歴代5人の夫が一同に集まった。しかし彼らが知るスオミはとても同一人物とは思えない相違が。スオミの行方は?本当のスオミとは?

三谷幸喜らしい舞台調の会話劇と、長澤まさみがそれぞれのキャラを演じ分けるのが楽しい。クライマックスの個別対応はNG連発してるに違いない。それもちょっと見たい気がするw。芸達者を揃えた男たちのキャスティング。マゾっ気の塊のような夫①遠藤憲一は、彼女のルーツを知るだけに実はよき理解者。西島秀俊の上司を演ずる夫③小林隆の騙されっぷりにはクスクス笑ってしまう。そして彼女にとって一番信頼できるのは夫④西島秀俊なのかも。

セスナ機の場面での上昇気流に…って、コントのようなギャグには、ここまでやる?とちょっと冷めたが、人の良さそうな瀬戸康史のキャラのせいか許せてしまったw

ともあれ、いろんな長澤まさみを見られるのがいちばんの見どころ。神出鬼没な宮澤エマの好助演も楽しませてくれた。

※以下ネタバレ含みます
相手に合わせてキャラを変えていたのは、あざとさではなくて彼女なりの生き方だった。それだけに現在の夫⑤の無関心が楽でよかった、とスオミは言う。予告編で受けるのは、ぶっ飛んだ女性に振り回された男たちの話という先入観だが、実は相手が望む女性像にスオミが合わせる苦労があった。そんな男と女の関わりの話にオチを持ってきたのは予想と違う着地点。なるほどね。

ウディ・アレンの珍作「カメレオンマン」を思い出した。あれは防衛本能から周囲の人物や環境に合わせてしまう男の物語だった。誰しも生活の場面によっては素の自分を出せず、キャラとは違う自分を演じてしまうことがあるじゃない。スオミの行動の根底にはそれがある。そこを三谷幸喜は人間喜劇に仕上げてくれた。

ラスト、突然のミュージカルシーン。あれだけヘルシンキを連呼されたら夢に出ちゃいます🤣





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先生、私の隣に座っていただけませんか?

2024-09-25 | 映画(さ行)


◼️「先生、私の隣に座っていただけませんか?」(2021年・日本)

監督=堀江貴大
主演=黒木華 柄本佑 金子大地 奈緒 風吹ジュン

大河ドラマ「光る君へ」を欠かさず見ている。ヨシタカも巧いのだが、道長(柄本佑)の二人の妻が気になる。野心をギラギラさせてきた瀧内公美。2人は「火口のふたり」で共演してたよな🔥。娘の入内に抵抗していた嫡妻が黒木華。道長とまひろ(のちの紫式部)の関係が周囲に疑われる第36回のラストでは黒木華が微妙な表情を見せ、我らがヨシタカは赤染衛門に問い詰められる。33話の「どうして殿がまひろさんをご存知なのです?」って黒木華のひと言にもハラハラした😰。そういえばこの2人が夫婦役の映画あるよね…🤔

…という訳で「先生、私の隣に座っていただけませんか?」に挑むの巻。今年は気持ちの向くままに観る映画を選んでる気がする💧

漫画家夫婦である佐和子と俊夫。俊夫は担当編集者の千佳と浮気している。佐和子の母が足を怪我したことから田舎での同居生活が始まり、佐和子はいずれ必要になるからと自動車学校に通い始める。留守中、俊夫は佐和子が机の上に置いていた新作の原稿を見てしまう。それは夫の不倫を知った漫画家の妻が自動車学校の先生に恋する物語だった。

ヤバっ。何これ。面白っ!
あー、わぁ、ええっ
テレビの前で一人でキャーキャー言いながら観ていた(恥)家族が留守でよかった💧

妻が描くのは創作なのか現実なのか。その境目が曖昧な演出もあるだけに、先がどうなるのか実にスリリング。何を考えているのかがつかめない佐和子の言動に、こっちまでハラハラさせられる。

結婚という型がある以上、世間が不倫だと騒ぐ行動は確かによろしくない。でも人を好きになることは、相手が婚姻外であろうとどうしようもない感情。それが相手に真剣に向き合わない、いわゆる浮気なら許されるべきではないだろう。この映画の俊夫はまさにどっちつかずの浮気のクチ。だから妻のマンガを見て激しく動揺することになるし、妻の様子を見るために車走らせたりする。一方で浮気相手の千佳があっけらかんとして後ろめたさを感じさせないのが対照的。男ってダメな生き物よねw

俊夫が乗ってるVWゴルフ。昔はスポーツカーぽさもあったゴルフで、僕の周りにも熱烈ファンがいるのだけれど、映画に登場するモデルはより実用的になって、"カッコで乗る車"ではなくなった印象(個人の意見です)。漫画家としては新作が描けなくて家庭に収まっている俊夫が、実用的な車に乗ってるのはなんかいいセレクトだなと思った。

次の展開が予想できず、ラストシーンにはちょっとびっくり。ハンドルを握る佐和子の楽しそうな表情は、まさに翼を得たような嬉しさに満ちていた。

教習車の中での佐和子と新谷先生のやり取りにドキドキ。あの空間ってドラマが生まれることもあるんよね♡

教習車にある2つのバックミラーが2人の視線の交差点になる。クライマックスでは佐和子の仕事机にある鏡に俊夫が映る。鏡の使い方すっごく巧いと思ったのでした。

自分たち夫婦に起こったことをネタにマンガを描いた佐和子。「光る君へ」でもまひろが言ってたじゃない。
「わが身に起こったことは全て物語の種にござりますれば…」
昔も今も同じw



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素晴らしきヒコーキ野郎

2024-09-24 | 映画(さ行)


◼️「素晴らしきヒコーキ野郎/Those Magnificent Men in Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes」(1965年・アメリカ)

監督=ケン・アナキン
主演=スチュアート・ホイットマン ジェームズ・フォックス サラ・マイルズ 石原裕次郎

高校時代、吹奏楽部でこの映画の主題曲を演奏したことがある。日頃は主旋律少なめで、音を厚くするために下支え、時々うるさがられるのは、僕を含むトロンボーン部隊。この主題曲は、スライドを派手に動かす部分も、かっちょいい主旋律もあって、これ以上あろうかという大活躍ができるマーチの名曲。ラジオ番組で聴いて映画音楽だとは知っていたけれど、本編を観たことがなくて。あれからウン十年経って初めて映画を観た。

飛行機が誕生してまだ間もない1910年代。各国の飛行機乗りが集まって、ロンドンーパリ間の飛行を競う大会が、イギリスの新聞社主催で開催されることになった。主催者の娘と恋仲であるイギリス軍人、アリゾナからやってきたワイルドなアメリカ人、女ったらしのフランス人、子だくさんでオシャレなイタリア人、堅物ドイツ人、技術にすぐれた日本人。各国から選りすぐりの強豪が集まってくる。

レースが始まるのは上映時間の半分過ぎたあたりで、そこまでは様々な飛行機が登場して、多彩なエピソードが散りばめられ飽きさせない。しかも133分の上映時間なのに、レース場面前にはインターミッション(休憩時間)まで挟まる。ファミリーでも楽しめる娯楽作品としての配慮なのかな。近頃の長いばっかりのハリウッド映画とはえらい違いだ。今どきの製作陣に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

物語の主軸はお転婆ヒロインがイギリス代表とアメリカ代表の間で揺れる三角関係。兄エドワードに似たイケメン英国人ジェームズ・フォックス、西部劇や戦争映画で活躍したスチュワート・ホイットマン。ちと地味な印象の主人公二人に、ヒロインは「ライアンの娘」のサラ・マイルズ。

妨害工作をする悪党がいたり、常に反目するドイツとフランスが決闘騒ぎを起こしたり、颯爽と登場するニッポンの美男子(石原裕次郎)にヨーロッパ人が騒いだり、フランス代表はレースの最中に恋にも真剣だったり。気楽に楽しめる。

ドイツ将校を演ずるのは「007/ゴールドフィンガー」の悪役ゲルト・フレーべ。当時の英米映画ではドイツは悪役として扱われがち。しかも本作では頭の堅いマニュアル野郎役で、コメディ演技を見せる奮闘ぶり。ステレオタイプに描かれることは不愉快な部分もあったに違いないが、そうした役をこの時代にこなしてくれた彼は、貴重な存在なのだと再認識。

レース場面はクライマックスこそ緊迫感があるものの、クラシックな飛行機がイギリスの田舎や海辺の古城がある風景を飛ぶ姿は切り取りたい美しさ。



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死刑台のエレベーター

2024-09-15 | 映画(さ行)


◼️「死刑台のエレベーター」(2010年・日本)

監督=緒方明
主演=吉瀬美智子 阿部寛 玉山鉄二 北川景子

「死刑台のエレベーター」邦画リメイクに挑むの巻。ルイ・マル監督のオリジナルはサスペンスの秀作。学生の頃に初めて観た時は音楽と、短い上映時間に凝縮した面白さに夢中になった。大人になって改めて再鑑賞、雨の中をさまようジャンヌ・モローに、これは愛の映画だという感想を持った(「死刑台のエレベーター」のレビュー参照)。

一方でオリジナルは、多くの方の感想にもあるように、サスペンス映画としての物足りなさや納得できない部分もあれこれ。このリメイク版の緒方明監督らスタッフも同じ思いだったのか、様々な要素を盛り込んでいる。オリジナルでモーリス・ロネが回収し損ねたロープは、本作ではちゃんと回収される。警備員に笹野高史を配したユーモラスな味付け、裏社会のダーティなエピソード、舞台となる横浜を印象づける国際色。

さらに登場人物それぞれのキャラクター描写が色濃くなっている。社長夫人と社員、若いバカップルの2組の男女。それ以外の情報が乏しくて話に集中できたオリジナルに対してかなり情報過多。阿部寛の過去は長々と語られ、北川景子演ずる美容師の純真さ、付け加えられた暴力団組長と情婦の関係性など、人間ドラマ部分が手厚くなっている。吉瀬美智子演ずるヒロインの心理描写に至っては特撮も駆使する手の混みようw

オリジナルでは出番の少ない刑事は、柄本明演ずる古参刑事に。職場のデスクには折り紙が並び、窓際族のような印象を与える。その頼りなさそうな印象がラストでキリッとして、黙って立っている吉瀬美智子の心情や、愛し合う二人が映った写真の意味まで克明に解説してくれる。あーっ柄本刑事、それよ!僕がオリジナルを愛の映画だと思った理由。よくぞ言ってくれました。でも、それをここまで語ってしまったら解釈や感想の押し付けになっちゃうのでは。

ところが、玉山鉄二演ずる警察官(バカップルの男)の行動や感情が最初から最後まで意味不明。「何にもできねぇんなら権力の犬でいりゃいいんだよ」と組長に諭される始末。組長の情婦との過去も唐突でよくわからない。

オリジナルへの愛着は感じられるが、話を盛って心理描写まで説明し尽くして、観客を受け身にしてしまったのが残念。「あの人と一緒にいないのに、私は老けていくのね」と繰り返されるラスト。その悲しい気持ちはわかるけど、吉瀬美智子の絶望した表情と、「二人の写真が欲しい」という台詞で十分ではなかろうか。

とにかく台詞が聞き取れない。テレビのボリューム上げまくって、ボソボソ喋る阿部寛の台詞を拾ったら、次の場面では平泉成が怒鳴る👂⚡️。どうにかならないもんか。

👇オリジナルはこちら

死刑台のエレベーター - Some Like It Hot

■「死刑台のエレベーター/AscenseurPourL'Echafaud」(1957年・フランス)監督=ルイ・マル主演=ジャンヌ・モロ-モーリス・ロネジョルジュ・プールジュリイリノ...

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サムライ

2024-09-10 | 映画(さ行)


◼️「サムライ/Le Samourai」(1964年・フランス)

監督=ジャン・ピエール・メルヴィル
主演=アラン・ドロン フランソワ・ペリエ ナタリー・ドロン カティ・ロジェ

アラン・ドロンの訃報で、いつか観ようと録画していた「サムライ」に手を出した。まだ若造だった頃に一度挑んでいるはずだが、冒頭の台詞なしの10分間に飽きたのか、ついて行くのに疲れたのか、親が観ていたのを断片的に観ていたのか、ともかくきちんと最後まで観るのは今回が初めて。あれ、もしかしてジャン・ピエール・メルヴィル監督作を観るのも初めてかも?

その冒頭10分間で心を掴まれた。殺風景な部屋には鳥カゴがひとつ。ベッドでタバコを吸う男が一人。彼はダブルのトレンチコートに中折れ帽を身につける。ジャケット写にある鏡の前で帽子のつばを整える。それらは武道家の型がある所作と同じように、裏社会の仕事に向かう前の儀式に見える。

かっけー😆

かつて「カサブランカ」でボギーのコート姿にイカれた過去がある僕。なんで「サムライ」を今まで観てなかったんだろ。グレーのスーツに細いタイをきちんと着こなし、映画後半は落ち着いた色調のチェスターコート。身なりをちゃんとする大人のカッコ良さ。近頃はなんちゃらビズのせいで、スーツをきちんと着る機会は少なくなったけど、こんなん観たら真似したくなる💦

一匹狼の殺し屋ジェフは、心を許せる相手がいない。「武士道」の一節とされる言葉のように言いようのない孤独だ。

クラブの経営者殺害後の取調べシーンから先、ずっと緊張が途切れない。殺害現場で鉢合わせしたジャズピアノ弾きの女性が「彼ではない」と嘘をついたことで難を逃れたジェフ。その理由が知りたかったジェフは再びクラブに向かう。警察はジェフを犯人と断定し、執拗な捜査網で追い詰めようとする。しかしパリの地下鉄を知り尽くしたジェフはその追手から逃れ続ける。この追いつ追われつだけでも面白いのに、ジェフが殺人を依頼したボスに迫ろうとする二重のサスペンス。よくできたサスペンス映画は、ただの追いかけっこでは終わらない。

メルヴィル監督作、他にも挑んでみようかな。今年はフランス映画に手が伸びるw




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スローガン

2024-09-07 | 映画(さ行)


◼️「スローガン/Slogan」(1968年・フランス)

監督=ピエール・グランブラ
主演=セルジュ・ゲンスブール ジェーン・バーキン アンドレシア・パリシー ジュリエット・ベルト

セルジュ・ゲンスブールを本格的に聴き始めたのは社会人になってから。ヨーロッパ音楽に中坊の頃から興味があったこと、初めて買ったFM雑誌の表紙がセルジュのアルバムだったこと、平成初めのシャルロット人気、などいろんなきっかけがあるが、少なくともピチカートファイブやカヒミ・カリィがゲンスブール作品を取り上げた頃には、コンプリートと題された9枚組CDセットが本棚のいちばん目立つところに鎮座していた。僕にとっては憧れの不良老人。それは今でも変わらない。

しかしながら出演作や音楽担当の映画に触れるのはその後。ジェーン・バーキンとセルジュの出会いとなった記念碑である本作、「スローガン」を初めて観たのは、1997年、WOWOWの放送だった。

感動するラブストーリーじゃない。むしろ呆れてしまいそうな話だ。CM監督セルジュが映画祭で訪れたベネチアで奔放なイギリス娘エヴリンと出会い恋をする。ギャーギャー騒ぎ立てるばっかりのエヴリンに振り回されるが困った顔するでもなく、生まれたばかりの子供と妻を放り出す無責任な中年男。

常識的に観てたらイライラしそうなものだが、二人が一緒にイチャイチャする場面の無邪気さ、現実味のなさ、小洒落たインテリアやファッションにいつの間にかワクワクしている。「あなたは素敵、私も素敵」何言ってるの?お嬢さん😓でも、なんか憎めない。そして翌1969年を"エロの年"だと歌ったお騒がせカップルが実際にこの映画で出会ったという事実が役に重なって、ゲンスブール好きにはたまらない長編PVのような作品。

映画宣材もオシャレで、90年代のリバイバル、緑色のフライヤーが大好き。もしポスター持ってたらお気に入りのゴダールのポスター剥がして代わりに部屋に貼ってる。

2024年9月に宅配レンタルDVDで再鑑賞。離婚を切り出したセルジュに妻フランソワが諭す台詞が、今の自分の年齢で観るとチクリと痛い。
「40歳なんだから33歳に見せる必要ないでしょ」
若い女といることが自分を若返らせてくれると思っている男。気持ちはそうでも実際は違う。確かにそうだよ。うん。

セルジュ・ゲンスブールが手がけた主題歌スローガンの歌。不安定なのに印象に残る不思議なメロディ。様々にアレンジを変えて本編で流れるのも楽しい。


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サスペリア

2024-09-04 | 映画(さ行)


◼️「サスペリア/Suspiria」(2018年・アメリカ=イタリア)

監督=ルカ・グァダニーノ
主演=ティルダ・スウィントン ダコタ・ジョンソン ミア・ゴス クロエ・グレース・モレッツ

傑作「ミラノ、愛に生きる」に衝撃を受けて以来、ルカ・グァダニーノ監督は気になる存在。繊細な人間ドラマのイメージがあるだけに70年代ホラー「サスペリア」のリメイクを手がけたと聞いた時は驚いた。舞台は東西に分かれた時代のベルリン、クラシックバレエからコンテンポラリーダンスに様変わり。

ホラーは苦手だけど、オリジナル「サスペリア」には抗えない魅力を感じていた。それは鮮血の美学とも言うべき他では観られない映像と、ゴブリンのおどろおどろしい音楽(音楽室のピアノで「エクソシスト」とこれのメロディを弾いてた私w)。ストーリーの記憶はあやふやでも、それらは記憶にしっかりと刻まれていた。

バレエ団の陰に悪魔復活の野望が隠されている…という基軸のお話を、失踪した女性を追う精神科医を絡めて謎解きのような展開。しかしオリジナルでジェシカ・ハーパーが演じた主人公スージーはただひたすらに巻き込まれて怖い目に遭った人。本作ではアーミッシュ部族の出身との設定で、一般の人とは異なる風習の中生きてきた人物となっている。

本作では東西冷戦、分断された都市ベルリン、ドイツ赤軍のハイジャック事件、同じ宗教なのに少数派の人々…と何かと対立する存在が示される。それはバレエ団の裏に隠された魔女と人間界という関係にもつながる。ヒロイン、スージーはオリジナルと違って古参魔女の器となることを受け入れず、自ら魔力を手にする存在へとなっていく。それは彼女を縛り付けていた母親という存在からの離脱。ここでも実の母、新たな母として受け入れることを迫る魔女。ここでも相対する関係が見えてくる。オリジナルの怖い目に遭ったヒロインの話を念頭に観ていたら、予想の上をいく結末が待っている。

でもねー、これは期待した「サスペリア」じゃない。ショックシーンも、血みどろのクライマックスも、不気味なティルダ・スウィントンもいいけれど、美学とも評された毒々しい映像の個性は感じられない。レディオヘッドのトム・ヨークによる音楽は、映画を彩る重い空気を作ることには成功しているものの、身体に染み付くような、単調で呪文のようなゴブリンのメロディとは違う。あのメロディがあるから、オリジナルの「サスペリア」は悪夢から観客を目覚めさせない怖さがあった。「決して一人では観ないでください」とキャッチコピーとあの旋律は、ペアで僕らの心に刻まれたんだもの。

あ、クロエたん好きだから、出番があまりにも少なくて消化不良なんだろって?

はい、図星w




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ジュリア

2024-09-02 | 映画(さ行)


◼️「ジュリア/Julia」(1977年・アメリカ)

監督=フレッド・ジンネマン
主演=ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレープ ジェーソン・ロバーツ

初めて観たのは中学2年。フジテレビ系の映画番組だった。映画と名がつくものには訳もわからず食らいついていた頃だったから、ジェーン・フォンダの名前で観る気になったんだろう。2024年8月に宅配レンタルDVDでウン十年ぶりに再鑑賞。

作家リリアン・ヘルマンの自伝的な作品「Pentimento」を原作にした作品。リリアンにとって幼い頃から大切な存在だった女性ジュリアとの、幼い頃の出来事から別れまでが描かれる。この映画について触れる文章には、女性の友情物語という表現がよく使われている。でも友情という言葉では表せない、もっと強いつながりや思いがある。あこがれ、という表現が適切かわからないが、対等な立場で仲良しというよりも、リリアンがジュリアを慕っている間柄。この感情が、映画後半に危険を冒してジュリアのいるベルリンを訪れる力になっていく。

リリアンの代表作となる戯曲は「子供の時間」。「ジュリア」本編の中で、長年の恋人ダシール・ハメットから「紛れもない傑作だ」と評される場面も出てくる。この戯曲を映画化したのが、ウィリアム・ワイラー監督の「噂の二人」。同性愛だと周囲に疑われて精神的に追い詰められていく女性が忘れられない作品だ。「ジュリア」でも、リリアンとジュリアの関係をそうした性的指向を疑う言葉をかけられる場面が出てくる。決してそうではないのだが、リリアンがジュリアに向けられた気持ちが単に友情と呼ぶレベルを超えた大切な関係だということが、こうした面からも伝わる気がする。

リリアンと長年恋愛関係にあったダシール・ハメットをジェイソン・ロバーツが演じている。リリアンに暖かくも厳しい助言をしたり、睡眠の邪魔だと邪険な扱いをしたりだが、アメリカに戻る彼女をにこやかに迎える姿に、言葉にせずとも伝わる気持ちが見える。

映画後半はほぼサスペンス映画の様相。この緊張感が、それぞれが置かれた切実な状況を示していて目が離せなくなる。ジンネマン監督の代表作が「真昼の決闘」だったことを思い出させる。折しもナチスが台頭してきた時期のベルリン。ユダヤ人であるリリアンが身の危険を乗り越えて、ジュリアとの短い再会を果たす場面は観ているこっちまで待ち焦がれていたような気持ちになる。追われる身だが笑顔を絶やさないジュリア、積年の思いで胸がいっぱいのリリアン。二人の表情は対照的。

原作のタイトルPentimentoは、もともと描かれていた下絵が透けて見えてくること。映画冒頭でこれが語られるのだが、リリアンが過去を見つめ直すことを表しているのだ。改めて観て、あの頃じゃわからなかった切なさや、ジンネマン監督の巧みな見せ方を味わうことができた。ジョルジュ・ドリュリューの音楽も美しい。





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親密すぎるうちあけ話

2024-08-27 | 映画(さ行)


◼️「親密すぎるうちあけ話/Confidences Trop Intimes」(2004年・フランス)

監督=パトリス・ルコント
主演=サンドリーヌ・ボネール ファブリス・ルキーニ ミシェル・デュショーソワ

パトリス・ルコントの映画には様々な魅力があるが、持ち味が発揮されるのはおっさんの片恋だと思う。それも綺麗じゃなくて、かなり歪(いびつ)な恋愛のかたち。理髪店で美しい妻を愛でる亭主、窓から美女を覗く男、女性の幸せの為なら自分の思いを殺せる男…などなど。世間では気味悪いのひと言で括られそうな男たちだが、スクリーンで彼らの気持ちと向き合うと、不思議と切なくなってくる。自分も片恋に焦がれているようなw

久々にそんなルコント映画が観たくなって、宅配DVDレンタルでまだ観てなかった本作をチョイス。

話を聞いてくれる誰かが欲しい。解決や結論を求めているわけじゃない。だから大切な人の話はちゃんと聞こう、と世の旦那に呼びかけるネット記事をよく目にするけれど、これはそういう話でもあるw

同じ階の精神科医と間違えて税理士ウィリアムの部屋を訪れたアンナ。夫と不仲になっていることを喋り始める彼女と、離婚がらみの税相談だと思って聴き続けた彼。次の訪問を一方的に決めて去った彼女に、精神科医ではないと言いそびれた彼。ほんとは税理士だと告げられて、最初は怒ったアンナだったが、いつしか彼女にとってウィリアムは他にはない"話し相手"となっていく。しかしアンナの夫が、ウィリアムにつきまとうようになって、事態はこじれ始める。

誰かのプライバシーを覗き見することは、誰もがドキドキしてしまう。ヒッチコックのサスペンス映画から市原悦子の家政婦ドラマまで、主人公だけでなく観ている僕らも覗き魔の一人にされ、巻き込まれてしまう。ちょっと変態、ちょっと偏執。

本作はルコント先生による、一種の巻き込まれサスペンス。ヒッチコック風に言えば、税理士ウィリアムは殺人を告白される「私は告白する」の神父、私生活を覗いてしまう「裏窓」のカメラマン、突然現れた女性に「めまい」のようにドギマギして、「北北西に進路をとれ」のように巻き込まれてしまう。そしていつしか彼女を愛し始めてしまう。

だが、本作は単なる片恋ドラマに終わらない。アンナの夫の問いかけにウィリアムは愛情を口にしてしまう。それは彼女をかばうためか、それとも思わず出てしまった本音なのか。アンナの夫が、夫婦で抱き合う姿を窓越しに見せつける場面。ウィリアムの表情にあるのは、アンナが元鞘に収まった安堵ではない。それはもっと胸を焦がすものだったに違いない。元妻が付き合っている今の相手が気に入らなくて、複雑な心境になる姿も面白い。

※以下、結末に触れています。
おっさんの片恋ルコント映画はビターな後味が多いのに、本作は違った結末が待っている。それは他の作品にはないもので、未来を感じさせる素敵なもの。エンドクレジットが素晴らしく、カウチに寝そべっているアンナのすぐそばで話を聞くウィリアムの姿が、ブライアン・デ・パルマの映画みたいに俯瞰で映される(覗きの目線!?)。それは映画の冒頭には机を挟んで距離を置いていた二人に起こった大きな変化。それを見届けた僕らは、これまでのルコント映画に感じたことのない幸福感を味わう。

好きだ、これ。
DVD返しちゃったけど、また観たい!






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