Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

告白小説、その結末

2018-11-23 | 映画(か行)


◾️「告白小説、その結末/D'après une histoire vraie」(2017年・フランス)

監督=ロマン・ポランスキー
主演=エマニュエル・セニエ エヴァ・グリーン ヴァンサン・ペレーズ

新作が書けずにスランプに陥っていた小説家デルフィーヌ。そんな時に、サイン会で出会った熱烈ファンと称する美女エル。意気投合したデルフィーヌは、献身的に接してくれるエルに次第に心を許すようになっていく。二人は共同生活を始めるが、エルの言動にだんだん翻弄され始める。デルフィーヌを執筆に専念させたいからと言うエルは、デルフィーヌの仕事に踏み込んでいくのだが、その行動はデルフィーヌをどんどん孤立させていくことに。そして…。

ロマン・ポランスキー監督の映画は、登場人物を絞り込むととんでもない魅力を発揮する。この映画もデルフィーヌの友人や仕事で別居中の夫を除いては、ほぼ二人の様子だけをカメラは追い続ける。後半はロブ・ライナー監督の「ミザリー」を思わせる二人だけの世界。作家と熱狂的ファンの関係といい、別荘に事実上監禁される状況といい、「ミザリー」と同じ逃げられない恐怖。僕ら観客も最後まで見届けることを強要されているかのような気持ちにさせる。

エマニュエル・セニエは、同じポランスキー監督作「毛皮のビーナス」の自信満々の役柄とは違って、揺れ動く不安な心情を見事に演じている。一方、ミステリアスに登場するエヴァ・グリーン。感情の起伏が激しい難役は、最後の最後まで僕らに人物像を掴ませてくれない。微笑みがだんだん怖くなる。

※以下、結末に触れているので注意
エルに散々な目に遭わされていたはずのデルフィーヌはエルのした事を結果として許し、しかもエルがしていたようなファッションやメイクをするようになっている。姿を消したエルをサイン会の途中で思い出したような彼女の様子を示して映画は終わる。説明的でなく、映像で感じ取らせる思わせぶりなラストシーン。エルはデルフィーヌの作家としての活動を侵しただけでなく、心にも踏み入っていたのだ。これがまたジワジワと怖さを感じさせる。うまいなぁ、ポランスキー。
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華氏119

2018-11-15 | 映画(か行)
 
◾︎「華氏119/Fahrenheit 11/9」(2018年・アメリカ)
監督=マイケル・ムーア
 
中間選挙が終わり、上院は共和党が多数、下院は民主党が多数のねじれ状態に。正直言う。ホッとした。議会で意見が通りにくくなることで、カルタだかハナフダだか知らないが(トランプだって)大統領氏の暴走も少しは抑えられるだろう。でも大統領令という強権はあるし、議会のお仕事ではない外交分野で実績を強調すべく、ますます強気になるかもしれない。でも有権者が野党に票を投じるという行動に出たことは、アメリカがこういう面では健全なのだと感じられる。
 
さて「華氏119」だが、やたらとカルタ(だからトランプ)大統領批判の映画だ、と日本では宣伝されまくってる本作。人権意識はカケラもないし、反対意見は聞きもしない。そうした人物の問題は確かに映画でも描かれる。そもそもテレビ出演のギャラを上げるための作戦として大統領選出馬を思いついたというのは衝撃。しかし注目を浴びたことで、これをある種のビジネスチャンスと捉えて行動した感覚と、アメリカという国を売り込もうとする気概はすげえと思う。しかし、国家の上に立つ者が協調を知らず横暴なのは問題だ。マイケル・ムーア監督は、ハナフダ(だからトランプ)大統領を批判はしているが、映画の主題はそこではない。そこまで資質に欠ける人物が何故大統領選挙で勝てたのか、彼のような大統領を生んでしまったアメリカという国の現状に鋭く迫ったのがこのドキュメンタリー映画なのだ。日本の映画宣伝はほんっと下手。この売り方じゃ、2時間ハナフダ大統領をディスり続ける映画だと誤解されても仕方ない。実際はそうじゃないのに。
 
現状の政治に不満を抱かせてしまった民主党時代の問題点を、映画はハナフダ(だからトランプ)大統領の批判以上に強烈に描く。保険制度も理念も悪くないけど、結局民主党時代にやってきたことは妥協に次ぐ妥協。その最悪な事例として、ミシガン州で民営化がもたらした水道汚染事件を取り上げる。救いの主だと思われていたオバマ大統領までもがあんな対応をしたとは監督の恣意的な表現もあるだろうけど、ともかく現状の政治にアメリカ国民の少なくない人々が失望していたのは確かだ。
 
そして映画は、そんなアメリカで立ち上がる人々の姿を映し出す。米国でも最低の雇用環境である教員たちのストライキ、銃乱射事件の後で高校生たちが起こした行動。いやもう、涙が出る。現代アメリカの政治は責められるべき問題を抱えているけど、こうしてあきらめないで行動する人たちがいる。選挙で意思を示す人たちがいる。まだまだ捨てたもんじゃない。
 
じゃあ、わが国はどうなのか。誰の目にも不可解なことばかりが起こって、連日報道されているのに何一つ明らかにされない。これまで長い歴史上政府が守ってきたことが突然ひっくり返される。野党は野党で不甲斐ない。政治はどこを向いているのか。映画「華氏119」で描かれていたのはアメリカの現状だけど、今まさにわが国で起きている、起きようとしていることだ。「人々があきらめた時に独裁は生まれる」という言葉が強烈に心に残る。
 
マイケル・ムーア監督の見せ方は本当に巧い。音楽の使い方も実に見事。「オーメン」のテーマ曲の使い方には思わず吹き出したww。この映画はムーアの意見であり、鵜呑みにするのは良くない。けれど、あなたがこの映画を観て少なくとも「今のままでいいのか?」という気持ちになることは正しいことだ。それは監督にノセられているからじゃない。現実の怖さをあなたが感じたからなのだ。
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ボヘミアン・ラプソディ

2018-11-09 | 映画(は行)


◾️「ボヘミアン・ラプソディ/Bohemian Rhapsody」(2018年・アメリカ=イギリス)

監督=ブライアン・シンガー
主演=ラミ・マレック ジョセフ・マッゼロ エイダン・ギレン ベン・ハーディ

クィーンは大好きなロックバンド。80年代の活躍はリアルタイムで見てきたし、この映画のクライマックスである、1985年のライブエイド衛星中継放送はテレビにかじりついた。そしてフレディ・マーキュリーが亡くなった日、黒いネクタイで出勤した。洋楽ファンだけでなく、多くの人々が一度は耳にし、愛されている数々のヒット曲がこれ程あるロックバンドはなかなかない。それだけに逸話や伝説化したエピソードも数多く存在する。フレディの伝記映画として2時間余りの尺で、クィーンを語り尽くすなんて到底できない。けれどかなり練られたと思われる脚本やメンバーの音楽監修で新旧ファンを満足させ、しかもクィーンの楽曲の魅力を詰め込んだ愛すべき力作だ。

映画最大の魅力は音楽の力だ。未発表音源を駆使して演奏シーンを再現しており、特にライブエイドの20分間を再現したクライマックスは圧巻だ。いかに新たなことに挑み、聴衆を巻き込んで音楽を創りあげる姿勢を貫いてきたのか。長い歴史の中、フレディがその才能や個人的事情からメンバーと疎遠になっていく様子は観ていて辛い。聴衆に愛された男がどんどん孤独になっていき、それを埋めるために仕事に没頭して、仲間とのバカ騒ぎに耽る。それでも生涯友人としてフレディを支えたメアリーとの関係は、LGBTを扱った映画としても好印象を残してくれる。

ディープなクィーンファンには、本国では遅咲きで日本で先にブレイクした逸話やら、フレディの死後に名曲I was born to love you が誕生するエピソードが欲しいところかもしれない。しかしフレディの死後を描かないことはかえって潔い印象を受ける。「善行をしろ」と言う父親の教えを裏切り続けたフレディが、音楽史上最大のチャリティイベントであるライブエイドに出演することで初めて父に認められる。これをクライマックスに持ってきたことは、アーティストの伝記映画としては定石かもしれないが、そこから続く圧巻のライブシーンが、感動を見事に高めてくれるのが素晴らしい。フレディのそれまでとそれからを思うと、歌詞がやたらと心に染みる。Radio GAGA の"手を挙げて拍手"を映画館でやりたいー!ww

オープニングのFOXファンファーレがクィーン風になってたり、あのマイク・マイヤーズに「車の中で頭を振るには最高だ」って言わせるなんて、クスッとさせる仕掛けもいっぱい。ボブ・ゲルドフ役の俳優さんは美男過ぎ(笑)、ジョン・テイラーかと思った。途中降板したと伝えられるブライアン・シンガー監督。どこまで彼の指揮で撮ってるのかは分からないが、見せ方の巧さは随所に光る。


サントラ盤はこちら


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グッバイ・ゴダール!

2018-11-01 | 映画(か行)


◾️「グッバイ・ゴダール//Le Redoutable」(2017年・フランス)

監督=ミシェル・アザナヴィシウス
主演=ルイ・ガレル ステイシー・マーチン ベレニス・ベジョ ミシャ・レスコー

ジャン・リュック・ゴダール監督の「中国女」主演女優で妻でもあったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝を映画化。「アーティスト」でハリウッドクラシックに敬意を表したアザナヴィシウス監督だけに、ヌーベルヴァーグをどう料理するのか興味があって鑑賞。

アンヌの眼から見たゴダール像。しかもフランスは五月革命真っ最中で、思いっきり政治に傾倒していた時期のゴダールだけに、やたら偏屈でめんどくさい人物に描かれている。ただ五月革命の頃って、革命派か反革命派かいずれを支持するのか、国家を二分する論争となり、市民も二者択一を迫られているような時代だったと聞く。ただでさえ政治や主義、哲学について持論をもつ彼が、暴言を繰り返し、他人の意見に耳を貸さない様子は確かに観ていて不快。それが時代の空気でブーストされている。僕はこの時代のゴダール作品「中国女」も「東風」も観ていないけど、小難しい映画なんだろうか。

しかし映画全体としては、スタイリッシュな映像美と、アンヌ役ステイシー・マーティンの可憐さでかなりの好印象。ゴダールらしい手持ちカメラの映像、ベッドの上のアンヌをモノクロで撮る場面やインテリアのビビッドな色彩はとってもオシャレ。ゴダールが壁に書かれた悪口を見て落ち込むと映像はネガポジ反転し、「勝手にしやがれ」で流れたコマ切れ音楽のようにレコードの針が飛ぶと映像も呼応する。またアンヌの髪型はそれ程変化がないけれど、映画前半のミニスカートが露出の少ないパンツルックになり、衣装で19の娘が大人になっていく様をうまく表現していると思った。アンヌにオファーされたイタリア映画の脚本を巡る場面では、「無駄な場面では脱がない」とアンヌに言わせておきながら、画面の二人は無修正の全裸(抵抗がある人は要注意・笑)。まさに無駄な裸というユーモア。メガネが壊れるコメディ描写も含めたアザナヴィシウス監督の遊び心は、ゴダールの自由な作風とは違うけど、彼なりのヌーベルヴァーグへの敬意なのだろうか。

主演二人の熱演に支えられた作品。女と男のすれ違い。後味は決して良くないけれど、どんなだろ?と観ないでモヤモヤするくらいならまずは観るべし。
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