松本清張記念館が毎年この時期に催す講演会。今年は脚本家橋本忍をテーマに、映画史研究家春日太一の講演。これは聴かねば!と思い、速攻で応募しました。
黒澤明作品の印象が強い橋本忍だが、根底にあるのは、自分ではどうしようもない状況に追い込まれてしまった人間の悲劇を描くこと。「羅生門」も「七人の侍」も、命令に従った兵士が戦犯として裁かれる「私は貝になりたい」もそうだ。そういう意味では、松本清張との相性はよかった。清張作品も、意に反して追い込まれた人が出てきて、そこに人間の業、欲、情が絡む。しかも橋本忍はそうした情にまつわる部分を観客に強く訴えて支持されてきた脚本家。
一方で、映像化にあたり、原作を改変することに躊躇はしない人だった。近頃もテレビドラマの原作改変で大きな悲劇を生んだ日本エンタメ業界だが、橋本忍は観客にウケる、映画として売れるためなら容赦なく原作にない要素を盛り込んでしまう人。「砂の器」を例に出して、有名な親子が旅するシーン(原作にはない)誕生の裏話が披露された。
橋本忍へのインタビュー、創作ノートの研究から紐解かれた、橋本忍の人柄や売れる作品にするための執念めいたエピソードが面白い。創価学会映画を手がけて関係を築いたのは、その後の新作のチケットを買ってもらうため。「砂の器」をどうしても撮りたくて独立プロを設立、野村芳太郎監督で撮るための交渉。
そして松本清張が自作を映像化する霧プロを設立した頃から袂を分つことになる。丹念な取材と映像作品の分析から語られる話は、興味をさらに高めてくれる。橋本忍評伝「鬼の筆」購入しました。挑んでみます。
そういえば、僕が「砂の器」を初めて観たのは、「愛の陽炎」と二本立て上映された1986年。えっ!?「愛の陽炎」も橋本忍の脚本じゃん!あれは"橋本忍二本立て"だったのか!…と今さらながら気づいた。自分を裏切った男を丑の刻参りで呪い殺すお話。でも最後は意外にも泣かせる展開が待っている。なるほど、あれも橋本忍節(言い方悪いな)だったということか。「砂の器」改めて観ようと思う。ついでに「幻の湖」も。
楽しくて、貴重なお話が聞けた講演会でした。