Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ネイキッド・タンゴ

2022-02-26 | 映画(な行)

◼️「ネイキッド・タンゴ/Naked Tango」(1990年・アメリカ)

監督=レナード・シュレーダー
主演=マチルダ・メイ ビンセント・ドノフリオ フェルナンド・レイ イーサイ・モラレス

1920年代のアルゼンチンを舞台に、タンゴを通じて繰り広げられる男と女の物語。タイトルバックには、当時の映画スタアであるルドルフ・バレンチノの「黙示録の四騎士」が使われている。美女と踊る男を退けたバレンチノが、足が絡み合う華麗なタンゴを踊る映像にクレジットが重なる。

高齢の判事の妻となったステファニー。タンゴを踊るのが好きな彼女を、判事は「他の男と踊るな。お前はタンゴが分かっていない」と子供扱いする。ブエノスアイレスに向かう船上で、身投げする女性を目撃したステファニーは、彼女になりすまして夫の元を離れようと企てる。しかし死んだ女性アルバの嫁ぎ先のユダヤ人男性は、外国から招いた女性を娼婦として売買する裏社会の組織に関わっていた。初夜に迫ってきた男を斬りつけた彼女は、華麗な足取りの謎の男チョーロに娼館へ連れて行かれた。チョーロが興味を持つのはタンゴだけだと言う。

20年近く前に地上波深夜枠で放送された録画を自宅で見つけた。2022年2月に、初めてレンタルビデオで観た1993年以来の鑑賞。マチルダ・メイは好きなフランス女優の一人。地球外吸血鬼映画のせいでおっぱいが魅力の人と思われがちだけど、歌って踊れる才女で音楽活動もやっている。英語詩で歌ったアルバムもリリースしていて、少年のような歌声がいい。

この「ネイキッド・タンゴ」でも、マチルダのタフでセクシーなヒロインが素敵だ。チョーロを演ずるヴィンセント・ドノフリオにタンゴのパートナーとして惚れられる役どころ。目隠しで踊る場面、全裸で踊る場面、豚の血を蹴り上げながら屠殺場で踊る場面、相手にナイフを突きつけて踊る場面。ダンスシーンがこれ程スリリングで緊張感に満ちた映画ってなかなかない。チョーロにとって、踊ることは「生」であり「性」。裏社会を生きる彼につきまとう「死」を振り切るために踊るようでもある。彼が屠殺場で踊るのは、死の空気の中で生を実感したいからではないだろか。

アルゼンチンタンゴ特有の絡み合うステップ。足元をアップで撮るカットはさすがにプロがやっているのだろうが、もつれ合うようなダンスがとにかく絵になる映画。娼館の赤いライトと夜の闇のコントラストが美しい。もっといい画質で観てみたいな。

クライマックスは彼女をめぐる3人の男たちが激突。夫である判事を演ずるのは、「フレンチコネクション」の悪役で知られるフェルナンド・レイ。若い妻を愛しながらも心を掴みきれない切なさがうまい。愛を知らない男と言われるチョーロは、
「持って生まれた美貌はではなく、お前が創り出す美しさがいいんだ」
と言って彼女を抱こうとしない偏愛ぶりも心に残る。不器用な男の愛し方。抱き合って踊る血まみれのラストダンス。悲しくも美しい。
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ウエストワールド

2022-02-23 | 映画(あ行)

◼️「ウエストワールド/Westworld」(1973年・アメリカ)

監督=マイケル・クライトン
主演=ユル・ブリンナー リチャード・ベンジャミン ジェームズ・ブローリン

70年代に製作されたSF映画にはダークな未来観をもつものが少なくない。「猿の惑星」「2001年宇宙の旅」が共に1968年の製作。「スターウォーズ」が登場する1976年までは、宇宙でドンパチやる痛快なエンターテイメントなんてほぼ存在しなかった。当時、お子ちゃま向け世界名作文学全集でジュール・ベルヌとH・G・ウェルズばっかり読んでた小学生の僕は、ともかくSFと名がつく映画をテレビで放送していたら食らいついていた。その後しばらくトラウマ映画となる作品に出会う。作家マイケル・クライトンが監督・脚本を担当した「ウエストワールド」である。

大人の欲望を満たすテーマパークで起こったロボットの暴走。回路の不具合だったものが制御ができなくなり、パークを訪れた客を襲い始める。友人と西部(ウエストワールド)を訪れた主人公は、黒装束のガンマンに襲われる。過剰なテクノロジーへの警鐘がテーマとも言える作品だ。

初めて観た時はお子ちゃまだったから、とにかくユル・ブリンナーがしつこく追ってくるのが怖くて仕方なかった。これは後の「ターミネーター」に影響を与えているのだろう。また、熱を感知して襲ってくるロボット側の視線が映像化されているのは当時としては斬新なアイディア。後の「プレデター」や「レッドプラネット」にも通ずるところだ。

ロボットが暴走して客が次々に殺されるまで、映画はけっこうな時間をかける。そのくせトラブルの原因は示されないし、他のワールドやコントロールセンターのデロス職員までもが全滅する様子も深く描かれずにあっさりとしたもの。子供心にとにかく不気味な映画だったが、改めて観てもそれは同じ。徹底的に台詞を排した演出で、説明らしいものは一切なし。今どきならばロボットが自我を得る展開もありそうだが、それもない。無情なラストシーンには再びパークの宣伝文句が流れるクールな幕切れ。スッキリしない。でもそれが子供心に響いたのは間違いない。友人に、初めて買った映像ソフトがこれだった人がいる。彼の心にも何か刻まれちゃったんだな、きっと。

他の映画を観ても、登場人物にロボットが紛れていると悪者だと勝手に思うようになっていた。それは大人になっても引きずっているようで、「プロメテウス」「エイリアン:コヴェナント」を観た映画館の帰りに「だからロボットは信用できねえんだよな」と口にしたのは、きっと「ウエストワールド」のせいw。

後にピーター・フォンダ主演で続編「未来世界」が製作される。あまり有名作でもないのだが、こちらはデロスの裏に陰謀が隠されている展開でなかなか面白かった記憶が。



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シックス・デイ

2022-02-21 | 映画(さ行)





◼️「シックス・デイ/The 6th Day」(2000年・アメリカ)

監督=ロジャー・スポティスウッド
主演=アーノルド・シュワルツェネッガー トニー・ゴールドウィン ロバート・デュバル マイケル・ラパポート マイケル・ルーカー

クローン技術が発達し、死んだペットをクローンで蘇らせる技術リペットが一般的になっている近未来。人間のクローンは法で禁じられ、旧約聖書で神は6日目に人間を作ったことから、6d法と呼ばれている。ジェットヘリ操縦士の主人公アダムと相棒のモーガンは、大富豪ドラッカーを乗せる仕事を受けるが、相棒がアダムだと名乗って操縦を担当した。その夜。アダムが仕事から戻ると、そこには自分がもう一人いて、家族と誕生日を祝っていた。彼は家族と自分を取り戻すために戦いを始める。

従来映画で描かれるクローン人間は姿形がそっくりなだけで、記憶の共有や引き継ぎに触れる作品はほぼなかったと思う。例えば「オブリビオン」(ネタバレ?😅)。「シックス・デイ」はここに一歩踏み込み、脳をスキャンして記憶を引き継げる技術が描かれている。アダムを襲う殺し屋たちはクローン技術で何度も蘇るのだが、前に死んだ時の記憶や感覚を覚えていて、それを後遺症のように語るのが笑える。「ウルトラ怪獣擬人化計画」で、アイスラッガーで切られるのって快感なのよぉー♡と語るエレキングみたいに(例えが悪い)。

ジェットヘリのデザインや未来社会の生活描写がなかなか面白い。されど、子供のおもちゃとして出てくる人形シンディが怖い。妙に生々しくて気味が悪いのに、この映画のコメディ要素の一つになってるからタチが悪い。

クライマックスはシュワルツェネッガーが二人で大活躍。こいつを増やして敵に回した悪役の大失敗でしたとさ。めでたしめでたし…なんだけど、クローンとして作られた方のアダムが、すんなり自分の立場を認めてしまうのが納得いかず。「オレもオレだ」とか主張して話をややこしくしそうな要素だけに、すっきり終わるのがなんとも不思議。


The 6th Day (2000) Official Trailer 1 - Arnold Schwarzenegger Movie


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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

2022-02-19 | 映画(か行)





◼️「機動戦士ガンダム  閃光のハサウェイ」(2020年・日本)

監督=村瀬修功
声の出演=小野賢章 上田麗奈 諏訪部順一

「逆襲のシャア」の続編となる富野由悠季原作をアニメ化した最新作。最後の最後までイライラさせたブライトの息子ハサウェイ・ノア(80年代育ちなので、フルネームだと「ネバーエンディング・ストーリー」の少年がチラつくww)が主人公である。

あの小生意気でクェスしか目に入ってなかったガキが、テロリスト集団がハイジャックしようとするのを単身阻止してしまう冒頭に驚く。この12年間、彼に何があったのだろう。それにしても妙な落ち着きがある。謎の美少女ギギに近寄られても、同じスイートルームに泊まりましょうと言われても、慌てることもあせることもない。ほんとにあのガキと同じ人物?と疑いたくなる。でもその落ち着いた会話や物腰は、背伸びしてるんじゃなく、大人の余裕に感じられる。

人間ドラマの軸は、反地球連邦の立場をとるマフティをめぐる対立の構図と、男女の三角関係。モビルスーツが登場するバトルシーンは見せ場がいくつかある。特に迫力を感じたのは、市街地内でハサウェイとギギが戦闘に巻き込まれる場面だ。逃げまどう二人の頭上に飛び交うビームや砲弾。人間目線で見たモビルスーツ戦がこんなにも間近で描かれるのは、過去の作品では少ない。これまで人間の近くにモビルスーツが現れても、大きさを示す場面でしかなかった。しかし、ここでは危機として戦闘がどう逃げても迫ってくる描写なのだ。現実のテロ事件や大災害、空爆されている都市から戦争が中継される今の時代だからこそ描けたものだろう。

一方で、クライマックスに登場する最新鋭機によるバトルシーン。迫力はあるのだが、あまりにも画面が暗くて何が起こっているのか分かりづらく、モビルスーツの勇姿がじっくりと眺められないのがなんとも残念。

三部作の幕開けとしては申し分ない面白さだった。キャラクターも個性的だし。





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機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

2022-02-16 | 映画(か行)





◼️「機動戦士ガンダム  逆襲のシャア」(1988年・日本)

監督=富野由悠季
声の出演=古谷徹 池田秀一 鈴置浩孝 山寺宏一

初めて観てからウン十年経っていて、何度も観ているのだがなかなかレビューが書けずにいた。理由はいろいろある。
・ファースト世代だけにいろんな思いが交錯すること。
・ジャブローで核爆発が起きた時に放射能汚染を心配してたくせに(Zガンダム)、アクシズに核を積んで地球に落とそうとするシャアの理屈に納得できないこと。
・ラストのサイコフレームが起こした現象が初めて観た時はご都合主義に思えたこと。
などなど。
子供がプレイしているガンダムバトルオペレーションを隣で見ていて、MSの名前間違えて「親父、Zガンダム再履修ね」と言われるレベルなので、そんな僕が偉そうにガンダム語るのもいかがなものかと(笑)。

「逆襲のシャア」に僕が魅力を感じたのは、人間ドラマと戦闘シーンだ。大人になったアムロもシャアの周りには、彼らを意識している女性たちがいる。しかし彼女たちが二人に向ける思いは決して満たされることはない。アムロもシャアも女性たちに賛辞は送っても決して愛情を向けようとはしない。それは二人ともいまだにララァの面影を引きずっているから。

そんな二人の対立の火花は、そのままクライマックスのμガンダムとサザビーのバトルシーンへと引き継がれる。戦闘シーンは激しくなればなる程、何が起こっているのか分かりにくくなりがち。しかしこの作品のクライマックスは、何よりもまず画面が明るくてMSの勇姿がハッキリわかるし、攻守の様子も、負ったダメージも、ファンネルが飛び交うスピーディな展開も、一つ一つが丁寧に描かれて、決して観客を置いていくようなことはしないのだ。

さらにブライトたちによるアクシズ破壊の作戦とその結末が、地球にどんな危機をもたらそうとしているかも明確に示される。それだけに落下するアクシズにモビルスーツが群がる場面には、他の作品にはない緊張感がある。話は違うが、「アンパンマン」の劇場版「ゴミラの星」のクライマックスは、この場面と酷似。是非観て欲しいw。

「宇宙の真空中に己の気を発散させる」って、Zガンダムに出てきた台詞だけれど、それがサイコフレームによって奇跡をもたらす。この技術が生み出すドラマは、ユニコーンガンダムへと引き継がれていく。

この続編の主人公となるハサウェイ。自分しか見えていない言動に終始イライラ。若気の至りじゃ済まされねぇぞ、こら。でも大人たちそれぞれの主張が噛み合わないお話でもある。まさに「エゴだよ、それは」。

TM Networkの主題歌が素晴らしい。





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ウエスト・サイド・ストーリー

2022-02-14 | 映画(あ行)

◼️「ウエスト・サイド・ストーリー/West Side Story」(2021年・アメリカ)

監督=スティーブン・スピルバーグ
主演=アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー アリアナ・デボーズ リタ・モレノ

ロバート・ワイズ監督の「ウエストサイド物語」を初めて観たのは中学1年。地上波でノーカット放送されたもので、ジョージ・チャキリスの吹き替えが沢田研二だったのを強烈に覚えている。さらに高校時代に地元の映画館でリバイバル上映があり、スクリーンで観る幸運にも恵まれた。バーンスタインの楽曲は吹奏楽部で演奏したこともあるし、サントラ盤のレコードは買ってさんざん聴いた。1961年版は思い入れのある映画だ。

スティーブン・スピルバーグがミュージカルだよ。大丈夫なの?そんな心配はすぐに吹っ飛んだ。

例えばオープニング。61年版はニューヨークの街を見下ろす空撮から主人公たちが住む街へとカメラがズームしていく。大都会の片隅で起こった出来事だと印象づけて、華麗な群舞へとつなぐ。ここでスピルバーグはストーリーの語り部としての巧さをいきなり発揮する。スラム街の再開発地区であることを示すため、空撮とは対照的に地を這うようなカメラで看板と瓦礫を映していく。突然、地下室から缶を抱えた若者たちが現れて街を走り、踊り始める。やがて看板や街の人々が明らかにそれまでと異なる地区に入って行き、バスケットコートの壁面に描かれたプエルトリコの国旗をペンキで汚し始め、人種を二分する騒ぎが勃発する。ここまで無言。割って入った警察官の台詞で、白人側もプエルトリコ人側も、再開発が進みゆく地域にしがみついて住んでいる行き場がない人々だと認識させる。さらにプエルトリコ独立のために歌われた曲を彼からは歌い、対立の深刻さを印象づけるのだ。巧すぎる。これ以外にも巧さは随所に光る。

ミュージカル場面。群舞全体をデーンと据えたカメラで満喫させてくれたのが61年版。カメラが動くのは、一連のダンスや歌唱を切れ目なく映像に収める為で、あくまでもミュージカル自体が中心。スピルバーグ版は、カットを変える編集で躍動感を生む映像になっていて、振り付けを真似したい人には不向きかもしれない。これはキャラクターを印象づけたり、歌の間にもストーリーを着実に進行させる為なんだろう。決闘前夜のそれぞれの思いが異なるメロディを5つ重ねる楽曲Tonight - Quintetは、61年版でも巧みな編集で見事な場面だが、スピルバーグ版でも素晴らしい。

61年版と明らかに印象が違うのは、人種やLGBTQへの配慮だ。こうした規制が厳しい現代ハリウッド。キャスティングには俳優自身の血筋まで考慮されて、リアルが求められたと聞く。ロシア移民の子であるナタリー・ウッドがプエルトリコ人を演じられた時代とは違うのだ。また、ジェット団に入りたがっている女性の扱いも、61年版とは明らかに違ってジェンダーへの配慮を感じさせる。

そして、61年版でアニタを演じたリタ・モレノが、白人に嫁いだトニーの祖母であるプエルトリコ人を演じているのも注目すべき。後半の重要な楽曲であるSomewhereが、リタ・モレノによって歌われ、亡き白人の夫とドラッグストアを開いた頃の回想が描かれる。彼女にとってどれだけ困難な道のりだったのかを無言で示す。
どこかに私たちの場所がある♪
と歌われるのは、トニーとマリアだけのことではないのだ。この改変は物語を味わい深いものにしている。

個人的に気に入らなかったのは曲順。大好きなI Feel Prettyが決闘後になっていることだ。マリアがお針子だった61年版と違って、デパートの清掃係で仕事が夜になるからであろうが、恋に浮かれているマリアを微笑ましく見られないのは残念。トニーとマリアの身長差が際立っていて、マリアがとても幼く見える。まあ、これもキャスティングの難しさなのかも。しかし主役の二人とも熱演。そこは満足。


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耳に残るのは君の歌声

2022-02-12 | 映画(ま行)

◼️「耳に残るのは君の歌声/The Man Who Cried」(2000年・イギリス=フランス)

監督=サリー・ポッター
主演=クリスティーナ・リッチ ジョニー・デップ ケイト・ブランシェット ジョン・タトゥーロ

サリー・ポッター監督の「オルランド」がめちゃくちゃ好き。あれはストーリーも映像も仕掛けの数々も、そしてあの時間と場所と性別さえも超越した物語を90分に収めた演出に感動した。「耳に残るのは君の歌声」はロシアから西ヨーロッパに渡ったユダヤ系の主人公が、民族的に過酷な時代を生き抜く姿を描いた作品だ。これを100分弱に収めている。

幼い頃から父親の歌を聴いて育ったフィゲレは、アメリカに行くと言って出稼ぎに出たまま戻らない父を追って旅立つが、戦火の中イギリスにたどり着く。施設でスージーと名づけられて成長した彼女は、父親の影響なのか、歌に秀でていた。劇団のコーラスガールとして働き、アメリカ行きの旅費を稼ごうとする。親しくなったローラはスタアの玉の輿を狙う。スージーはジプシーとも呼ばれるロマ人の青年チェーザーと親しくなる。

波瀾万丈な物語を100分弱に収めているのだが、「オルランド」と違って物足りない。「オルランド」はあまりにも現実を超越した物語なので、あれくらいかっ飛ばす必要があったし、あまりにあれこれあった先に安らぎのラストへとつながる。「耳に残るのは君の歌声」もロシアを出て、イギリス、フランス、そしてアメリカと舞台はあちこち変わる。しかしこの映画は、本当の名前で呼ばわれて自分を取り戻すまでのドラマティックな展開をじっくり味合わう余裕を与えてくれない。その時々にスージーが何を感じたか、「俺には家族がいる」とジプシーとしての生き方を選んだ彼との別離も、あまりにサラッとしていて、お互いにどれだけの愛を抱いていたのか想像する余裕がない。

しかし、曲者キャラぞろいの物語を個性的なキャスティングで構築したのは見事。ストーリー運びは物足りないが、それぞれの登場人物は短い時間でしっかり描写されている。例えば、イギリスの施設で、父親の写真をスージーから取り上げた里親が「思い出なんてない方がいいのよ」と言うのだが、成長したスージーが旅立つ時に黙って写真を渡す。その間わずか数分だけど、場面の裏側にどれ程のドラマがあったのだろうと思うと想像することは難しくない。ヒロインはクリスティーナ・リッチ。お化け一家のオデコちゃん小娘も成長したよな。美貌のケイト・ブランシェットも、ジョン・タトゥーロの気取ったスターも、芯のあるジョニー・デップも、子役のクローディア・ランダー・デュークも印象的な演技を見せる。



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宇宙戦艦ヤマト2205新たなる旅立ち後章-STASHA-

2022-02-10 | 映画(あ行)

◼️「宇宙戦艦ヤマト2205新たなる旅立ち後章-STASHA-」(2022年・日本)

監督=安田賢司
声の出演=小野大輔 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一

大作「2202」よりもコンパクトな前後章の構成である「2205新たなる旅立ち」。「2202」は次々に危機に陥り、果てしない戦いが続いて、面白かったけどいろんな要素を盛り込まれていて、正直消化しきれなかったところもあった。それだけにその振り返りであるドキュメンタリー調にまとめた「宇宙戦艦ヤマトという時代」は、気持ちの整理にありがたい内容だった。それを経ての「2205」は、これまでの3作品のストーリーのつながりを綺麗に収めてくれる秀作になっている。

ガミラス星の破壊、イスカンダル星の暴走。後章はデザリアムとの決戦から始まり、冒頭から見せ場の連続。幾重にもストーリーが並走する前作と違って、目の前の敵とのバトル、そしてガミラスの難民とイスカンダル王族救出のみに筋は絞られているから、映画への没入感が全然違う。

3艦隊編成になったことでそれぞれに役割があるのも面白い。森雪艦長の護衛艦がシールドを張ってヤマトをサポートする、RPGの防御役めいたポジションなのがいい。一人で背負いこんでしまう古代にかける言葉も素敵だ。「古代艦長…古代君…古代進ーっ!」って呼び名が変化していくのも、共にある存在としての雪が大きくなっているのを感じる。出番が少ないのが森雪ファンとしてはちと残念。

古代やデスラーにとって信頼できる存在だったキーマンが突然語り部として現れる「惑星ソラリス」めいた演出は、「星巡る方舟」でも近いものがあったな。そして明らかになるイスカンダル王宮の秘密と、ガミラスとの真の関係。これはなかなかの衝撃的な展開。

新たにメンバーに加わった若い世代の活躍も盛り上がる要素の一つ。そこに艦長古代進が理解を示す一方で、クライマックスの作戦では窮地で的確な指示を出し、部下にかける言葉が事態を好転させる。新旧世代のいいところが出ている。

最後に物語は「限りある命の尊さ」というテーマにたどり着く。これまでも「ヤマト」シリーズでは叫ばれてきたことではあるが、イスカンダル王族を交えたことでさらに深くなる。これは「銀河鉄道999」にも通ずる主題だけに、訴訟で著作権を失ったことを知る世代としては、"松本零士のヤマト"を感じてしまった人もいるのではなかろうか。

古代守とスターシャ(井上喜久子さま名演😭)の子供であるサーシャが実体化するラストでは、オリジナルで流れた島倉千代子の歌が流れるんではないかとちょっと期待していた。「ヤマト3」のEDテーマだった堀江美津子の「別離」も泣かせる。そして思わせぶりなラストカット。次は「ヤマトよ永遠に」だ。サーシャの「おじさまっ♡」を誰が演じてくれるのだろう。



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劇場版 パタリロ !

2022-02-08 | 映画(は行)





◼️「劇場版パタリロ !」(2018年・日本)

監督=小林顕作
主演=加藤諒 青木玄徳 佐奈宏紀

えー、魔夜峰央作品の大ファンでございまして。「パタリロ !」「ラシャーヌ!」は白泉社文庫版で全巻揃えました。北九州市の漫画ミュージアムで開催された魔夜峰央展で、みーちゃん先生のサインもいただきました。テレビアニメは90年代にNHKがBSで放送してくれたので全話完走。僕が"殿下"と敬意を込めて呼ぶのはプリンス御大とパタリロ ・ド・マリネール8世以外にはおりませぬ。こんな父親のせいか、うちの子はMI6のスパイと言えばジェームズ・ボンドではなくジャック・バンコランと答えるのです(汗)。

なんでこんな前置きするかというと、自分の属性をはっきりさせるためww。この「劇場版パタリロ !」は、加藤諒主演の舞台劇を違った目線と演出で楽しみたい人か、「パタリロ !」上級者向けの作品に仕上がってしまっている。この映画で初めて「パタリロ !」の世界に触れるのはおすすめできない。いや無理。ディープすぎて無理。一般映画として同列で観るものじゃない。いやむしろフツーに映画と思って観ちゃダメ、絶対。

そもそも原作がBLギャグ漫画の先駆みたいなもので、それが舞台、実写映画になったから当然なのだが、とにかく男、男、男。怪しいライティングの下でバンコランがマライヒを押し倒し、タマネギ部隊は一列に並んで身をくねらせてシャワーを浴び、熱いベーゼが長い長い…。ビデオムービーみたいな映像のクリアさも手伝って、企画もののAV見てるんじゃないよね?…と我が身を疑う瞬間があったけど、クックロビン音頭のおかげで正気に帰れますw。単独の映画としてはとんでもハップンな出来だけど、オリジナルへの愛故に笑って見てられる。

魔夜峰央先生の登場、男色富豪役の西岡徳馬など驚きのゲスト陣。舞台も(コアなファン向けだろうけど)楽しいんだろうな。これを劇場映画にするなんて悪ノリです。でも原作も殿下の悪ノリ話なんでいいのかなっ。ビバ昭和!に笑い転げて、月影先生に悶絶。






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紳士協定

2022-02-06 | 映画(さ行)





◼️「紳士協定/Gentleman's Agreement」(1947年・アメリカ)

監督=エリア・カザン
主演=グレゴリー・ペック ドロシー・マクガイア ジョン・ガーフィールド セレステ・ホルム

オスカー受賞作である本作は1947年製作。日本で初公開されたのは1987年。時間はかかったけれど、これは意外とタイムリーだったのかも。折りしも1980年代後半は南アフリカのアパルトヘイト政策への批判がエンタメ界でも高まった時期。人種差別をテーマとした作品は数多く製作、公開された。アパルトヘイトがテーマの「遠い夜明け」、アイルランド系移民への差別を扱った「十字砲火」(これも1947年製作)が日本初公開、KKKが登場する「ミシシッピー・バーニング」もこの後だ。

社会派作品も多いエリア・カザン監督の「紳士協定」は、アメリカ国内での反ユダヤ主義に真正面から取り組んだ映画である。製作当時はホロコーストの記憶も生々しい時代。ナチスドイツのユダヤ人虐殺は許し難いものだが、あなたはユダヤ人をどう思っているのか?。それを観客に突きつける勇気ある作品だ。

グレゴリー・ペック演ずる主人公はジャーナリスト。ユダヤ人に対する差別について記事を書く為に、彼は自分はユダヤ人だと周囲に嘘をついて実態を探ろうと思い立つ。ところがその思いつきが、友人、恋人、母、息子を巻き込む事件に発展していく。

ユダヤ人には部屋を貸さない、商売をしないといったことが暗黙の了解となっている地方もある。ユダヤ人だと偽っていることで受ける仕打ちの数々を経験した主人公。差別をなくしたいと言っていながら、それと戦おうとはせずに紳士協定の内にいる人間だと気付かされることになる。友人のユダヤ人の助言で反ユダヤ主義に立ち向かおうと決心し、疎遠になっていた友人や恋人との仲を取り戻す。

意地悪な見方をすれば、正義漢が似合うグレゴリー・ペックのイメージあっての映画。しかし映画が訴えるメッセージは、同様のテーマを扱う他の映画よりもずっと強い。スクリーンのこっち側に、あなたも紳士協定に与するのかとの問いを突きつけられているようだ。決して理想に走らず、説教くさくは感じなかった。鑑賞当時、大学生の僕は、「教授の授業より基本的人権がよくわかる」と生意気なことを言っていたっけな(恥)。

主人公の母、ラストのひと言。
「みんなが差別を乗り越えることで、今世紀がEverybody's Century(みんなの世紀)となる」
その"今世紀"はすでに過去のもの。21世紀になっても解決すべき問題はたくさんあるのが悲しい現実。





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