◾️「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(2019年・日本)
監督=大林宣彦
主演=厚木拓郎 細山田隆人 細田善彦 吉田玲
日頃映画の感想で用いる言葉を駆使しても、大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館」の感想をうまく言い表すことは難しい。
感動、共感、圧倒された、感じるしかない、ノスタルジー、ファンタジー、厳しい現実、独特の美学、アート、etc。
これらの言葉が、この映画の前には陳腐に感じる。そんな要素がすべて盛り込まれていて、ニヤッと笑えるかと思えば、あまりにも無残な死を前にして戦慄し、少女の微笑みにほっこりしたかと思えば、悲劇に涙する。3時間、目の前を様々な映像が通り過ぎるけれど、どれも強烈なインパクトや個性、熱量を持っている。
映画冒頭に示されるように、これは映画で表現する文学。中原中也の詩が読み上げられて、画面左端に映し出される縦書きの文章や台詞とともに、描かれるエピソードと呼応する。されど大林宣彦監督はカルトな人気作「HOUSE」や最初の尾道三部作でも見られるように、静止画、色彩の変化、ノイズを交えたエフェクトを織り混ぜた映像のコラージュとも言うべき表現を用いる人でもある。監督自身の手による編集はとにかく凝っている。
文章表現なら既出の場面を匂わす程度しかできないことを、その場面を執拗に挿入することで、込められたメッセージを強烈に印象づけている。特にチケット売場のおばちゃん白石加代子が繰り返す「ピカ!」のひと言。最初から原爆のことだろうと察しはつくけれど、映画後半の慰問劇団桜隊のエピソードになってその繰り返しが意味をもってくる。原爆が落ちた瞬間の「ピカ」で死んだ人々と、その後の爆風による「ドン」で死んだ人々について被害の事実が示される。ピカとドンの境目で、訳もわからず死んだ人と少なくとも何か起こったことを閃光で知った人との差。映画は他にも時代を超えて戦争の犠牲となった若者たちのエピソードが語られる。戦争とはいかに痛ましいものなのか。ファンタジックな表現を交えつつ、日本人が日本人を殺すことすらあった戦時中の恐ろしさが描かれる。この映画を観たら、戦争をファンタジックに描いた「ジョジョ・ラビット」なんて、それ風に見える包紙で覆われただけにしか思えないだろう。
一方で、映画愛を描くことも忘れない。パラパラマンガをフィルムに描き込んだアニメーション、戦時中に会ったジョン・フォードらしきアメリカ人映画監督、小津安二郎も出てくる。何よりも主人公3人は、名だたる映画監督の名前をもじったもの。なんて素敵な遊び心だろう。そして映画館という場所への愛おしさ。
3時間、平和と反戦の言葉が幾度も繰り返される。死の間際に走馬灯のように人生を思い返すと言うが、この映画は大林宣彦監督が臨終に見るであろう、その走馬灯の光景をスクリーンに刻みこんだ作品なのだ。とにかく監督が伝えたいことを詰め込まれた映像の迷宮。寺山修司の映画を2回連続で観るくらいの覚悟で(?)、この長尺な怒涛の映像表現のラビリンスに迷い込んで欲しい。
「世界に平和が訪れたらまたお会いしましょう」
と映画は結ばれる。その言葉がズシリと響く。