Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

3月のBGM

2015-03-31 | 音楽
2015年3月に聴いていた愛すべき音楽たち。

■海色(みいろ)/Akino from bless4
アニメ「艦隊これくしょん」のOPテーマ。アニメはほとんど見ていないのだが、この主題歌は一度聴いて気に入った。「創聖のアクエリオン」で知られるAkinoのパワフルなヴォーカル。ここでも冴えわたる。アニソンのアレンジは派手なのものが多いもの。この曲のアレンジは起伏があり、歌詞に漂う哀愁、4分間のドラマである。これをカラオケで歌いこなしたらかっちょいいだろうなあ(無理)。
TVアニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』オープニングテーマ「海色(みいろ)」

AKINO from bless4「海色(みいろ) 」Music Video


■シネマタイズ(映画化)/特撮
今月読んでた大槻ケンヂのエッセイ集「猫を背負って町を出ろ!」。エロ話から超常現象まで、勢いのある文章と自分と共通する経験やルーツ(同い年なんで・恥)が楽しくて仕方なかった。その中に歌詞についての熱い思いが綴られていた。それは絵空事のような流行歌の歌詞に対する苛立ち。現実を生きる僕らは、流行歌のように前向きな気持ちで日々暮らしてはいない。時に苦しく、時に悲しい、僕らが生きる日々は地獄でもある。この「シネマタイズ」は、そんな僕らの日々を綺麗に"映画化"しようとする業界を皮肉った歌である。映画「ヌイグルマーZ」のエンディングで初めて聴いたとき、グッときた。これは傑作である。
シネマタイズ(映画化)

シネマタイズ(映画化) / 特撮


■ヌイグルマーZ/中川翔子×特撮  ■ドリドリ/中川翔子
映画「ヌイグルマーZ」は昨年映画館で観た。中川翔子とのコラボによる主題歌も素晴らしい。「シネマタイズ」と共に今月よく聴いた。また長女レイアがiPodにポケモンのEDテーマである「ドリドリ」を入れてくれ、と言うので今月はやたらよく聴いた。そして3月はわが生息地にしょこたんが新曲のプロモーションで見参!。長男を迎えに行くという大義名分のもと、行って来ました。相変わらずの落ち着きのないしゃべり、抜群の言語感覚、そして歌唱力を生で聴いて感激っ!
ヌイグルマーZ ドリドリ(初回生産限定盤)(DVD付)

特撮×中川翔子「ヌイク?ルマーZ」 フルトレーラー


中川翔子 『ドリドリ Short ver.』


■Hits and Rarities/Sheryl Crow
実は最近ギターの練習をしている。40代後半にして、僕は人前で弾けるなんてとんでもない初心者(だって本業は鍵盤弾きだもん)。んで、シェリル・クロウを弾き語りしてみたい!という野望がありまして。If You Makes Me Happyや、sweet child O'mineのカヴァーを弾き語りしてみたいっ・・・!。突然そんな気持ちになりまして。週末にこそこそ練習してたりします。なにかが少しずつでもできるようになるのって楽しい!40代にしてそんな楽しさを感じておりまする。
ヒッツ&レアティーズ

Sheryl Crow [Rock Version] Sweet Child O' Mine


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エクソダス 神と王

2015-03-15 | 映画(あ行)

■「エクソダス 神と王/Exodus : Gods And Kings」(2014年・イギリス=アメリカ=スペイン)

監督=リドリー・スコット
主演=クリスチャン・ベイル ジョエル・エドガートン ジョン・タートゥーロ ベン・キングズレー

旧約聖書「出エジプト記」に出てくるモーゼの十戒のエピソードは、チャールトン・ヘストン主演の「十戒」(1956)を初め幾度も映画化されている。

今回、リドリー・スコット監督がこの題材に挑んだポイントは2点ある。ひとつはストーリーの基軸である、兄弟同様に育ったモーゼとラムセスの悲しい運命の物語。特に弟である故トニー・スコット監督に対する追悼の気持ちが込めて撮られた作品だと聞く。リドリー・スコットは「エイリアン」「ブレードランナー」という傑作を撮り、その作風で多くのフォロアーに影響を与えた映画監督。一方でトニー・スコット監督というと「トップガン」や「ビバリーヒルズ・コップ2」などハリウッドメジャー作を手掛け、僕ら世代にはヒットメイカーとしての職人監督的イメージがつきまとう。玄人好みな"映画作家"という言い方が似合うのは兄リドリーの方だし、そういう語られ方を世間ではよく耳にする。映画に対する姿勢は異なるものであっても、映画を愛したことは同じ。エジプト王となるラムセスと王家に養子として迎えられたモーゼの生き方の違いを、この映画は丁寧に描いていく。「十戒」でチャールトン・ヘストンとユル・ブリナーが演じたモーゼとラムセスでは、ラムセスを悪役として描かれた印象がある。だが本作でのラムセスは人間としての弱さや王家の状況を描く場面を積み重ねていき、いかにして冷酷な王として振る舞うに至ったかの描写には説得力がある。もちろん、モーゼがエジプトを追われた後、いかにして民の為に立ち上がるに至ったかの描写もいい。ただクリスチャン・ベイルの容姿なら、もっともっと女子に言い寄られてもよさそうな気もするのだがw。

ポイントの二つめは、血で染まったナイル川やエジプトを襲った寒波、割れる紅海などいわゆる"10の奇跡"を、最新のCG技術と現代的な解釈で映像として再現することだ。高校時代にテレビの深夜枠で観た「十戒」で強烈に覚えているのは、やはり紅海がふたつに割れる名場面。あれこそ映画のスペクタクル。自宅の20型ブラウン管には収まりきれない迫力に、公開当時に映画館で観ている世代をうらやましく思ったっけ。本作での"10の奇跡"描写はとにかくリアルで嫌悪感を覚える。街じゅうにあふれる蛙、謎の感染症、大群で襲いかかるイナゴなど、奇跡というよりも"災害"を描くディザスタームービーになっている。そして映画のクライマックスである、ヘブライの民を率いて紅海を渡る場面は、強烈な引き潮で海底が現れる描写。海が割れるのよ~、道ができるのよ~と、珍島物語のメロディが頭に一瞬浮かんだ(笑)。「十戒」の大スペクタクルを念頭に置くと興ざめしてしまいそうだが、その潮が戻ってくるときに壁のような大波がスクリーンを襲うのだ。その波の元でモーゼとラムセスは剣を交える。お互いを守るために、と亡き王に与えられたはずの剣を。

しかしだ。同じ「出エジプト記」の映画化でありながら、高校時代にテレビで見た往年の「十戒」と違って、本作が"名作映画"と呼ぶにふさわしいクオリティを感じるかと言われたら、それは何かが違う。モーゼに啓示を与える"神"を目に見える存在にしている描写のせいなのか。その神が、ヘブライの民の為に行動せよと言うだけでなく、エジプトに対する敵意を煽るような物言いに聞こえるからなのか。でも実は、"戦うモーゼ"というのが多くの人が期待したイメージとは違うということなのかもな。

それにしても、出エジプトって紀元前13世紀頃…だからエジプトは新王国時代だよね。都はメンフィスじゃなくてテーベじゃないの?この映画最大の疑問。

映画『エクソダス:神と王』本予告



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ゴーン・ガール

2015-03-09 | 映画(か行)

■「ゴーン・ガール/Gone Girl」(2014年・アメリカ)

●2014年放送映画批評家協会賞 脚色賞

監督=デビッド・フィンチャー
主演=ベン・アフレック ロザムンド・パイク ニール・パトリック・ハリス

※結末に触れる部分があります

 デビッド・フィンチャーとは相性が悪い・・・とずっと思っていた。「エイリアン3」でオエーッ、「セブン」でゲロゲローッ、「ファイトクラブ」はおっ!と思ったけどやっぱり好みじゃないーっ。もういいやこの監督。選ぶテーマはおどろおどろしいし、嫌いっ!と避け続けてきた。しかしだ。「ソーシャル・ネットワーク」を観て考えが変わった。この人はサイコ野郎が好きなんではなく、常人とは違う"得体の知れないヤツ"を掘り下げるのが好きなんだ。連続殺人鬼も、巨大SNSを創りあげた若き成功者も彼にとっては得体の知れない人物。僕は「ソーシャル・ネットワーク」に、恐れ多くもオーソン・ウェルズの「市民ケーン」を重ねた。メディア王となった成功者の光と影。得体の知れない人間を描く監督の映画にどこか普遍的なものを感じ、フィンチャー監督の力量をやっと認める気になった(何様だ・笑)。そしてこれを観ずして2014年を終えるな、とまで世間が言う「ゴーン・ガール」が封切られた。ボンドガールを演じて以来、ちょっと気になる存在のロザムンド・パイク。年内に間に合わず、年を越して鑑賞。

 いやはや・・・参りました。カップルで観てはいけない。ましてや結婚前だったらなおさら。結婚って何なんだろね・・・と映画館を出て思わずつぶやいたのは「それでも恋するバルセロナ」以来だ。サスペンス映画であり、スリラーでありながら、映画の終わりには男と女について真剣に考えさせられるブラックコメディへと変化する。予測不能な展開とともに僕らが登場人物たちに抱く印象がどんどん変わっていく。特にオスカーにもノミネートされたロザムンド・パイクの変貌振りには驚かされる。過剰な予備知識をもってこの映画を観ると面白さは半減してしまうだろうから、多くは語らないことにするけれど、もしこの時代にヒッチコック監督がいたら飛びつきそうな題材ではないだろうか。疑われる男、夫婦の秘密、眼鏡の妹、ブロンド美女の主演女優までまさにヒッチ先生好みなテイスト。

 観客である僕らには、映画前半まったく情報は与えられない。妻がいなくなってうろたえる夫ベン・アフレックと同じ立場に置かれて、不安な気持ちにさせられる。その夫にも秘密があったり、妻がどんな人物だったのかが示される中盤になって、僕らに与えられる情報量は一気に増えてくる。ストーリーの急な展開に、この二人どうなっちゃうの?と二重のサスペンスに僕らは引きずり込まれてしまう。ところが映画終盤になっての思わぬ展開。つっこみどころはいくらでもあるのに、誰もそれを指摘できない。夫の巻き返し?と思った展開が・・・。携帯電話が不安をかき立てる小道具になっているのだけれど、この映画の音楽には携帯電話のバイブ音に似たノイズがずーっと使われてる。それも観ている僕らを不安にさせる仕組みのひとつ。巧いよなぁ。

 それにしても既婚男性は銀幕のこっち側のことが心配になる映画。「結婚ってそういうもんでしょう」というラストの台詞にグサグサッ!同じく夫婦をめぐるサスペンス映画である「アイズ・ワイド・シャット」の台詞「ファックするしかないでしょう」に匹敵する衝撃。男と女って・・・深い。デビッド・フィンチャー監督作でそんなことを考えるなんて予想もしなかった。フィンチャー作品に描かれる"得体の知れない存在"。それが男と女に行き着いてしまったことに、彼の映画人としての大いなる進歩を感じたのでありました。面白かったー、怖かったー。「女は怖い」的な感想を世間でよく見るけれど、それは違う。夫への復讐というしたたかな女の怖さよりも、世間が押しつける"幸福な家庭"というイメージこそが実は怖いのではないだろか。妻はそれに追い詰められて、それを守り通したかったんだもの。




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嗤う分身

2015-03-07 | 映画(わ行)

■「嗤う分身/The Double」(2013年・イギリス)

監督=リチャード・アイオアディ
主演=ジェシー・アイゼンバーグ ミア・ワシコウスカ ウォーレス・ショーン ノア・テイラー

※結末に触れる部分があります。

ドストエフスキーの原作を映画化した英国製スリラー。舞台となる時代も場所も特定できない風変わりな世界が展開する不思議な映画だ。主人公サイモンは、ガチガチに管理された会社で黙々と仕事をこなす地味な男。楽しみは密かに憧れている女性ハナの姿を望遠鏡で見つめること。ハナがダストシュートに捨てた絵を密かに持ち帰るストーカーまがいな行動もとるが、彼女に声をかけるのすらままならない。だがハナの誰にも知られることのない一面を自分だけは知っている。そんなプラトニックな人物だ。ある日、会社に同じ容姿をしたジェームズが現れる。性格は正反対で、要領もよく上司にすぐに認められていく。その一方でサイモンは立場を失っていき、愛しのハナまでもがジェームズに思いを寄せ始めた。思うがままのジェームズはサイモンに行動を強要するようになり、ついにサイモンはジェームズに対抗しようと行動に出る・・・。

同じ容姿で正反対の二人。ヒロインであるハナがコピー(複写)係であること。会社のIDカード失ったサイモンが何度も繰り返す守衛とのやりとりや、オンボロエレベーターに乗ったときの反応違い。常にこの映画が示すのは"対比"。自分と同じ人間がもうひとり存在する"ドッペルゲンガー"をスリリングな要素として描きながら、この映画は冴えない主人公サイモンが"こうありたい自分"としてのジェームズを乗り越えていこうとする成長物語になっている。相手を傷つけると自分も傷ついていることに気づいたサイモンが挑んだ行動がこの映画のクライマックスなのだが、それは乗り越えるべき自分をまさに殺そうとすること。結果としてサイモンは自分を取り戻す。しかも前よりも少しだけ積極的である自分を。前編暗い画面で陰気な映画だが、サイモンを見つめるハナの笑顔ですべてが救われた気持ちにさせてくれる。

特筆すべきは国籍不明な"管理社会"の描かれ方。僕ら世代だとテリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」やジョージ・オーウェル原作の「1984」を思い浮かべるし、最近なら独裁者がいる管理社会へのクーデターを描いた「Vフォー・ベンデッタ」もある。「1984」のような体制の怖さこそ描かれないが、ジェームズの登場でサイモンが社会から疎ましく思われる存在として孤立し、追い詰められていく怖さと重なる。これは自分への内なる革命の物語。そう思うとラストのミア・ワシコウスカの笑顔に、青春映画を見終わった後のような気持ちにさせられる。ただ全編に漂う暗い雰囲気は、好き嫌いがハッキリするところだろう。同じドッペルゲンガーを描いた作品である「複製された男」よりも好き。突然ニッポンの昭和歌謡(ブルーコメッツ!)が流れるのには驚いた。

もう一人の自分が自分を追い詰めていくスリラー!映画『嗤う分身』予告編


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1984 - 80's Movie Hits ! -

2015-03-06 | 80's Movie Hits !

- 80's Movie Hits! - 目次はこちら

■Sex Crime (1984)/Eurythmics

 この映画は、ジョージ・オーウェルが1948年に書いた近未来小説「1984」を、その84年に映画化した意欲作。社会主義国と思われる国が舞台。国民は国家の下での”党員”で、思想を持つこと、日記をつけること、恋愛をすることが禁じられ、国民が(思想的に)無知であることを強要しているような社会。国家は”偉大なる兄弟(Big Brother)”が統治する徹底した管理社会。各部屋に取り付けられた双方向モニターには、指導者の画像が映り、国民を監視する。そして反政府的行動には、拷問、洗脳が施される。

 その暗い世界観を彩る音楽に起用されたのがユーリズミックスだった。このエレクトロポップデュオは、Sweet Dreams の大ヒットで知られている。初期は無機質なシンセ音で、重く暗い雰囲気の、独特の世界を作り出していた。結局、サントラとすべく製作されたアルバム「1984」から本編に数曲が使われたのみだったが、使われた曲は映画の世界観にマッチしていたように僕は思う。Julia は淡々としたシーケンスと、エフェクトが効いたヴォーカルのスローナンバーだった。当初、主題歌として作られたのが Sex Crime(1984) 。ビデオにも映画のシーンがふんだんに挿入されていたのだが、本編では使用されなかった。Sex Crime(1984) はダンサブルなエレクトロポップで、”いかにも80年代につくられた音”であるが故に監督の意向に合わなかったと伝えられている。この曲の不運はそれだけではなく、”セックスが犯罪”とされる社会を皮肉った内容だったにもかかわらず、現実社会では”性犯罪を助長する”との理由で英国では放送禁止になったと伝えられる。僕は彼らの曲の中でも Sex Crime(1984) はお気に入り。87年(だったかな?)の福岡公演では1曲目がこの曲だったなぁ。

 映画「1984」についてはこんな話もある。実は日本の一般映画館で無修正で上映されたヘア解禁映画1号。これは東京国際映画祭で上映された際、「外国人も来るのにボカシはいかがなものか?」という論議から修正なしで上映したもの。映画祭のために来日したラザフォード監督に「最初のヘア解禁映画(注)となったのですが、お気持ちはいかがですか?」という質問を浴びせたインタビューアーも。困った顔しながらも監督は”管理社会”とひっかけてうまい答えをしたらしいですが。

注・大阪万博で公開されたスウェーデン映画「私は好奇心の強い女」が日本初の無修正上映。あれは万博会場が治外法権となるため日本の規制が及ばなかったから。映画祭ではあれ、一般映画館での上映では「1984」が初めてってことになるのでしょうね。

eurythmics sex crime


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