Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

氷の微笑

2020-12-27 | 映画(か行)

◾️「氷の微笑/Basic Instinct」(1992年・アメリカ)

監督=ポール・ヴァーハーベン
主演=マイケル・ダグラス シャロン・ストーン ジョージ・ズンザ ジーン・トリプルホーン

ポール・バーハーベン監督の「氷の微笑」は、ヒッチコックの「めまい」へのオマージュである。サンフランシスコの市街を走る時のカメラの目線、ブロンドの髪を束ねたシャロン・ストーンはまるでキム・ノバクだった。彼女の魅力におちていくマイケル・ダグラスは、ジェームズ・スチュワートと同じ刑事。眼鏡っ子の彼女がいるところまで酷似。階段にカツラと衣装が残されてる場面なんて「サイコ」みたいだし(ネタバレ?)。

ヒッチコックファンの僕は、銀幕に繰り広げられるエロスに興奮しながら、「犯人は誰?」というミステリアスな物語だけでなく、逆らえないオンナの魅力に堕ちていく男の物語に震えたものだ。単なるサスペンス映画じゃない。男と女の深い話でもある。

されどこの映画の魅力は、シャロン・ストーンによるところが大きい。誰もがそう思う。脱ぎっぷりや有名な足の組み替えシーンもすごいけど、あの逆らえない眼力(めじから)。瞳に吸い込まれそうになる感覚。しかもこれが抗えない強さを持っている。キャスリン・トラメルというヒロインの手のひらでみんなが転がされてるのだが、それはスクリーンのこっち側の僕らも例外ではない。

この映画の後しばらくして、マイケル・ダグラスがセックス依存症であるという報道がされたことがある。そりゃこんな映画ばっかり出演してるからだよね、と納得したものでございますw。でもいちばん気の毒だったのは、足の組み替えをガン見する役柄だったウェイン・ナイトかも。スケベ男のイメージをこの映画で植え付けられてしまったもんね。




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今日のBGM:stray sheep / 米津玄師

2020-12-24 | 今日のBGM



本日の通勤BGMは米津玄師の「stray sheep」。ここしばらくパワープレイしていた。「感電」に代表されるハネる16分音符のリズムが心地よい。このジャックシャッフルって、和製R&Bの人々がクネクネ声震わせて歌う楽曲でよく聴くけれど、あれには何故か心が躍らない。米津玄師のテクニカルな打ち込みシャッフルのグルーブには、ところどころにトリッキーな仕掛けが用意されていて楽しい。16ビートだと何気なく聴いてると、細かい三連符を感じさせる裏打ちがオッと思わせる。ボカロPから世に出た人だから、さんざんあれこれ試してここまでたどり着いたんだろな、と思う。

文学的な歌詞にも惹かれる。どの曲にも惹かれるけど、例えば2曲目の「Flamingo」の粋な言葉選び。それを和の節回しに乗せるボーカルもお見事。
御目通り/有難し/宵闇に舞い上がり/上滑り
氷雨に打たれて鼻垂らし/あたしは右手に猫じゃらし
粋だねぇ。
ロック色の強い「Teenage Riot」の、声にならない叫びめいた歌詞も好き。
誰も興味がないそのGコードを/君はひどく愛していたんだ
悶々とした気持ちを持て余してギターを抱きしめるティーンの姿が浮かんでくる。

裏の拍を感じろ、歌詞に身を任せろ。
久々に流行りものに手を出したけど、ただの流行りものじゃない。
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見えない目撃者

2020-12-18 | 映画(ま行)






◾️「見えない目撃者」(2019年・日本)

監督=森淳一
主演=吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二

配偶者に「あんた、LuxのCMに出る外国女優好きよね」と言われるのだけれど、歴代女優の中で主演作を熱心に追いかけて観てるのは実はペネロペ・クルスくらい。日本の女優も同様で、CMが始まると手が止まるくらいに好きな人に限って、出演ドラマをことごとく見ていない。綾瀬はるかは大河ドラマこそ真剣に見たけど、劇場映画は数本しか観ていない。一時期好き好き言ってた小西真奈美は「Sweet Rain 死神の精度」くらいしか出演した映画を観ていない。吉岡里帆もその例の一人で、どんぎつねを携帯の待ち受けにしたいくらいなのに出演作をほぼ見ていない。そんな僕が「見えない目撃者」に挑むの巻である。

オリジナルの韓国映画は未見なので比べようがないのだけれど、このリメイクを観る限りオリジナルは脚本がしっかりした映画なのだろう。クライマックスの徹底的なしつこさは、よくある日本のサスペンス映画とは一味違う。グロテスクな描写に免疫のない僕なので、猟奇犯罪の場面は目を逸らしたくなる。されど警察内部のことなかれ主義に立ち向かう定年前の刑事の執念や、ヒロインを支える母親の心情などそれぞれの脇役が主軸の物語をしっかり支えていてとても見応えのある作品だ。オリジナル観たらいいんだろうけど、韓国映画の暴力描写って苦手だからなあ(汗)。

吉岡里帆は難役を違和感なくこなしていて実に素晴らしい。この役をこれだけの完成度でこなすには、かなりのリサーチと準備が必要だったはず。それに元警察官でもあるわけだから、その設定が生きるような身のこなしも必要なわけで、いやはや惚れ直した。まさに熱演。一方で「写真撮っていいですか?かわいいー」と言われるのを、犬でなく自分と誤解する場面のかわゆさったら。

スマートフォンやPCを視覚障害の方がどう使っているのか、感覚の鋭さ、わずかに感じ取れる視界の細やかな表現がいい。障害の状況は人それぞれだけど、こういう映画を通じて知ることは理解への第一歩になると思うのだ。障害者が日常生活するにも必要な勇気について、高杉真宙くんがすげえと口にする場面、なかなかグッときた。

同じ視覚障害のヒロインをオードリー・ヘプバーンが演じた「暗くなるまで待って」、改めて観たくなった。吉岡里帆の他の出演作にも手を出してみようかな。え?綾瀬はるかも盲目ヒロインの時代劇があるって?あれは…まだ観てないけど、心がやめとけって言うんだよw





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さらば青春の光

2020-12-15 | 映画(さ行)



◾️「さらば青春の光/Quadrophenia」(1979年・イギリス)

監督=フランク・ロッダム
主演=フィル・ダニエルズ レスリー・アッシュ スティング

中学生の頃から映画チラシコレクターなのだが、集め始めてすぐの頃に、「さらば青春の光」のチラシを手に入れた。斜めの白文字でタイトルが左下に記され、右寄りにデコったスクーターにまたがる男子。「ハートブレイクなんてクソくらえ」と、片岡義男が自暴自棄になったようなコピーが右上に書かれたチラシだ。映画のことはよく知らなかったけど、当時のヤングな(死語)お兄さんたちがこの映画に熱狂していると言う噂は聞いた。なかなか観る機会がなく、よく行くレンタル店では見つからず、The Whoにちょっと苦手意識を持っていたもので、今回が初鑑賞。

モッズとロッカーズ。ファッションや嗜好の違いは確かに隔たりを感じるのだけれど、ここまで反目し合うとは。相手はダサい、俺たちこそ最高というこだわりと不寛容がこんな対立に結びつくってことなんだろう。細身のスーツに米軍払い下げのロングコート、ベスパ、デザートブーツって、まさに自分が好んでるものだけにモッズの面々のファッションは映画を観ていてとても気になった。

まだMTVがなかった時代だけに、映画館の大画面でカッコいい映像にThe Whoの演奏が重なる瞬間は興奮したんだろな。あの白く切り立った崖っぷちを疾走する無言のシーンを映画館の大画面で、しかも大音量の音楽で鑑賞できたらそりゃたまらんだろう。

されど、お話としてはどうも乗りきれず。あの年頃のイライラする感じ、憧れたエースの現実や彼女の心変わりを見た絶望、喪失感、孤独。その気持ちはわかるし、熱に浮かれたような盛り上がりも分からなくはないけど、もし同じ年頃で観ても共感できたかは微妙。「トレインスポッティング」も同じような気持ちになっただけに、イギリスの不良少年映画に僕は向いてないのかも。





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痴人の愛

2020-12-09 | 映画(た行)




◾️「痴人の愛」(1967年・日本)


監督=増村保造
主演=安田道代 小沢昭一 田村正和


「歳をとって女に熱をあげると狂うぞ」

若い頃、身近なある人が言っていた。その時は何気なく聞いていたのだが、それなりの年齢になってその言葉が気になってきている。あ、別にそんな状態ではございません、念のためww。映画をあれこれ観続けていると、目の前に映し出される様々な人生を学ぶことになる。男が女に「狂う」をこういうことか、と感じた映画も数々ある。例えば「北斎漫画」のフランキー堺。若い女をつなぎ止める為に、初老の男がいろんな意味で身を削る様をスクリーンの中に観てきた。その度に前述のひと言が、教訓めいた意味をもって思い出される。なんかの呪縛にかかったみたいに。

リスペクトしている小沢昭一センセイが主人公河合譲治、ナオミを安田道代が演ずる増村保造監督版。人間の欲望という部分だけを切り取って90分間につなぐとこうなる、と見せつけられたような気持ちになる。男と女なんて、一皮むけばこんなもんだぞ。ナオミを飼っていたつもりの譲治が、彼女がいなくなった部屋で裸の写真並べて名前を呼びのたうち回る。戻ってきたナオミが再び譲治に馬乗りになり、いろいろ要求した上で「やっぱりあなたしかいないのよ」と譲治の背中に向かってポツリと言う。その二人の姿は醜いし、痛々しい。だけどけしからんとも許せないとも思わない。だって、男と女のことなんだもの、当人たちにしか分からない世界がある。その姿を見て「こうはなるまい」と思っている人は、きっとたくさんいる。でもここまで溺れてみたいと思う人も、きっとたくさんいる。

理想の女性に育てようとする男の物語と言えば「マイ・フェア・レディ」だけど、そんなスマートな話ではない。家に連れ込んでほぼ監禁、観察日記のように裸の写真を撮りまくり、風呂で肌を磨く偏愛ぶり。ヒギンズ先生はこんなことしませんw。この物語と比べたら、新藤兼人脚本の「完全なる飼育」も色褪せて感じる。やっぱり谷崎潤一郎が男と女を見つめる視点は深い。だからこそ、谷崎作品は文学や映像化した作品に触れる僕らを非日常に連れて行ってくれ、何度も味わいたくなる魅力を持っている。


谷崎潤一郎の小説を読み終えたとき、映画化作品のエンドマークを観るとき、僕の心の片隅でまた例の声がするのだ。
「わかっただろ。狂うぞ。」


「女性上位時代」で、カトリーヌ・スパークがジャン・ルイ・トランティニャンに馬乗りになる場面があるけど、「痴人の愛」の影響とかではないんだろうな。増村保造監督版と同時期だけにちょっと気になる。


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燃ゆる女の肖像

2020-12-06 | 映画(ま行)



◾️「燃ゆる女の肖像/Portrait de la jeune fille en feu」(2019年・フランス)

監督=セリーヌ・シアマ
主演=アデル・エネル ノエミ・メルラン ルアナ・バイラミ ヴァレリア・ゴリノ

登場人物はほぼ3人。孤島が舞台なので波の荒い海岸と室内の風景がほぼ繰り返され、衣装もほぼ変わらない。ストーリーを彩る劇伴はなく、全編を通じて流れる音楽は2曲だけ。とにかく静寂の中で台詞と生活音だけが響き続ける前半にちょっとダレそうになる。仕事帰りに観るんじゃなかったかな…と思っていたところで、様子が変わった。

島の人々が集まって焚き火を囲む場面。ハンドクラップと歌声が幾重にも重なり合う印象的な音楽が奏でられ、そこから続く後半一気に物語は熱を帯びてくる。前半の雰囲気から、この映画をナメていた自分に気づく。そこから先は、スクリーンに映る二人の息遣いひとつひとつまで聴き逃せない。映画館の暗闇で息を潜めている自分がいる。最初は予想もしなかった緊張感。エンドクレジットも再び静寂の中で終わる。世間が称賛するのは納得。映画館で集中して観られてよかった。

18世紀のフランス、ブルターニュ地方の島にボートが向かうところから映画は始まる。孤島の屋敷に住む貴族の娘エロイーズは望まない結婚を目前に控えており、彼女の肖像画を描くために画家マリアンヌが招かれたのだった。肖像画はお見合い目的。母親はマリアンヌに画家だと言わずに屋敷に滞在し、絵を仕上げるように依頼する。一旦絵は完成した。しかし、マリアンヌが来た目的を知り、描かれた自分に不満を口にするたエロイーズ。しかし彼女は、あれ程嫌っていた絵のモデルを承諾し、マリアンヌは5日間の期限で再びキャンバスに向かう。

お互いを知ることで、ニコリともしなかったエロイーズの表情が変わっていく。修道院で過ごしてきたエロイーズにとってマリアンヌは、世間の様子を教えてくれた存在でもある。島に持参した神話の物語をメイドのソフィを交えて音読し、「好きな曲なの」とハープシコードでヴィヴァルディを弾く。やがてエロイーズはこれまで抱いたことのない気持ちをマリアンヌに感じるようになる。肖像画が完成することは、二人の別れでもある。エロイーズは結婚をし、マリアンヌは元の日常に戻っていく。オルフェウスの一場面と見事に呼応する、二人の呆気ない別れの場面。どの場面もただただ美しい。

男の目線が一切出てこないのに、望まない妊娠をしているソフィを含めた3人の女性を通じて、当時女性が社会的に強いられてきた立場をきちんと観客に伝える脚本は見事だ。肖像画を依頼するエロイーズの母親を演ずるのは「レインマン」のヴァレリア・ゴリノ。昔馴染みに会ったような懐かしさ。

映画のラスト。マリアンヌはエロイーズを劇場で見かける。その演奏会で奏でられた曲は、映画の初めにマリアンヌが弾いたヴィヴァルディ。「彼女は私を見なかった」とマリアンヌのナレーションが流れるが、カメラはそのままエロイーズへと寄っていき、感情が高まっていく表情を、冷酷なまでの長回しで撮り続ける。エロイーズはその曲で胸中何を思ったのか。物言わぬラストで、思わずもらい泣き。



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9人の翻訳家 囚われたベストセラー

2020-12-04 | 映画(か行)





◾️「9人の翻訳家 囚われたベストセラー/Les traducteurs」(2019年・フランス)

監督=レジス・ロワンサル
主演=ランベール・ウィルソン オルガ・キュリレンコ アレックス・ロウザー

出版前の作品漏洩を防ぐために、各国語を担当する翻訳家が集められ、地下室に隔離して作業にあたった。その実話をヒントに製作された、フランス製ミステリー映画。決して密室内の会話劇ではなく、翻訳家たちが地下室に入る前、その後、さらに回想と一連の出来事を描く場面が次々に展開していき、小出しに情報が示されていく。

犯人探しのミステリーとしては物足りない方もあるかもしれないが、観客を騙すばかりがミステリーではない。騙し騙される映画を観たいならそれが売りの映画を観ればよい。一癖も二癖もある登場人物の人間模様、犯罪に至るまでの心理、葛藤のドラマがねっとりと絡みつく面白さがミステリーの醍醐味。この映画もその類だ。もしハリウッドリメイクされることがあったなら、犯人探しと手口はさらに面白くなるかもしれないが、動機はきっと味気ないものになるだろう。

レジス・ロワンサル監督の「タイピスト!」のクライマックスでは、各国代表が集まるタイピング大会が登場する。決勝に集結した各国選手は、かなりステレオタイプな描かれ方をしていた。また映画のオチも、ビジネスはアメリカ人、恋愛上手はフランス人という分かりやすさが楽しかった。

「9人の翻訳家」でも、9ヶ国語それぞれを担当する各国の翻訳家が集められる。しかし今回は、それぞれのお国柄を"いかにも"と感じさせることはしない。ドイツの人はお堅くなく、イタリアの人が大らかでない。小説や仕事、生活、自分自身に向き合う等身大の姿が描かれる。特にオルガ・キュリレンコ演ずるロシア語担当は、小説のヒロインに魅せられて同じようなファッションでなりきり、翻訳しながら感情移入して泣くような"ヤバい読者"。エドゥアルド・ノリエガが演じたスペイン語担当は吃音にコンプレックスを感じているし、デンマーク語担当の女性は家族に対する複雑な気持ちに悩んでいる。お国柄でなく人柄のバラエティになっている。お国柄が出たのは、優秀な日本のコピー機かww。彼らが警備員に気づかれないように多言語で指示を出し合う場面、やたらカッコいい。

閑話休題。視覚で把握できる範囲は限りがある。ましてや映画を観ている観客にとっては、スクリーンに映されている四角に切り取られた風景がすべてで、その外側に何があるのか知ることはできない。ズームインとズームアウト。カメラレンズを回す操作によって、僕ら観客には情報量がガラッと変わってしまう。画面の外側にある事実、外側にいる誰か。暗闇の中ナイフを手に進む男性がぶつかる何か。焦りと怒りで顔をゆがめる出版社社長の表情だけが示され続けることで、僕ら観客は情報を与えられずにじらされる。そこでイライラしては負け。また、社長が懐に忍ばせたものをめぐるクライマックスの場面は、逆に観客目線でしか見えてないだけに、その後の展開が実に爽快。

主犯がどうしてここまで回りくどい方法をとるのかとは思ったけれども、後からジワリと染みてくるのだ。






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ばるぼら

2020-12-01 | 映画(は行)



◾️「ばるぼら/Barbara」(2019年・イギリス=ドイツ=日本)

監督=手塚眞
主演=稲垣吾郎 二階堂ふみ 渋川清彦

売れっ子作家の美倉洋介は、世間にちやほやされながらも満足できない日々を過ごしていた。彼はホームレス同然の生活をしている飲んだくれの女ばるぼらと出会う。最初は自作の小説を笑い飛ばされて腹を立てた美倉。しかし、彼の異常な性欲が高まって道を外れそうになると、どこからともなくばるぼらが現れて彼を引き戻してくれた。ばるぼらと過ごすことで刺激を受けた美倉は仕事も順調になるが、次第に世間との関わりが希薄になっていく。

手塚治虫のアダルトコミックを、息子手塚眞が映画化。本作は特にポストプロダクション(撮影後に行われる編集、音楽などの作業のこと)にじっくりと時間がかけられて完成されたと聞く。主演二人の熱演を美しく撮ったクリストファー・ドイルのカメラも、ジャジーな橋本一子の音楽も、凝った編集も他の映画では見られない独自の魅力がある。

されど、ビジュアルの美しさに傾いたせいなのか、美倉が変わっていく様子がどうも説得力不足に感じられる。ばるぼらと出会って美倉の作品や仕事がどう変化したのかがどうも伝わらない。それだけに、ばるぼらのことを「ミューズ」とまで言うにもかかわらず、彼の芸術をどれだけ高めた存在なのかは見えてこない。単に部屋を荒らしたアル中娘にしか見えないのが残念。また、二人が出会って交わす言葉のやりとり。道の隅に転がってた汚い女が文学的な言葉を口にしたことが、美倉に響いたはず。だのにその言葉がスクリーンのこっちにはどうも響かない。かといって字幕出すわけにいかないだろうけど。

思うに、ばるぼらは美倉にとって守護天使みたいな存在だったのではなかろうか。異常な性衝動に駆られると現れて彼を連れ戻し、仕事への啓示を与えてくれる。映画のラストで、タブーを犯す美倉がハッと我に帰って涙するのも、もしかしたら彼女の導きかもしれない。

この映画の英題表記が「Barbara」なのは、キリスト教の守護聖人の一人、聖バルバラにちなんでいるのではなかろうか。聖バルバラは、実在が証明できないからキリスト教会は聖人から外しているけれど、民間で崇拝されている存在だと聞く。それって素性もわからないし、存在した証もないけれど、美倉にとって確かにそこにいたばるぼらに重なるようにも思える。




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