
■「マッドマックス 怒りのデス・ロード/Mad Max : Fury Road」(2015年・オーストラリア)
●2015年LA批評家協会賞 監督賞・撮影賞・美術賞
監督=ジョージ・ミラー
主演=トム・ハーディ シャーリーズ・セロン ニコラス・ホルト ヒュー・キース・バーン
とりあえず昨年見逃してた「マッドマックス 怒りのデスロード」からスタートした2016年のわが映画生活。80年代の三部作からウン十年経って、まさかの続編。しかもオリジナルのジョージ・ミラー監督というのが驚きだし、何よりも評価が高い。バイオレンス映画好きのタランティーノがベストワンに選ぶというのは納得できるんだけど、お堅い評論家やあのキネマ旬報までもがベストワンって言うもんだから…どんな映画になっているんだ。自分の目で確かめないと、とDVDで鑑賞。
おぉー…確かにすごい。というか、問答無用、単刀直入なオープニングから、全編見せ場だけで構成されたようなハイテンションムービー。それなりの高齢になってるミラー監督が描く、大暴走の怒涛のアクション。細部までこだわったキャラクターのつくり込み、母乳の搾乳やギター弾くだけのウォリアー、シルク・ド・ソレイユか!?と思えるアクロバティックな棒を使った攻撃などなどディテールの面白さが実に楽しい。説明くさい部分を徹底的に省いて、バトルシーンに費やしたいのだろう、とにかく無駄がない。
上手いなぁーと思ったのはイモータン・ジョーの砦の描写。支配層と被支配層を空間的に砦の上下で分けて、誰の目にもわかりやすくしている。また、自分の子供を産ませるための女たちが奪われたと知った彼が出撃するまでのシーンは、砦の中を歩き回って、水耕栽培されているような農場や支配層の様子が黙って示される。この独裁者が、この荒廃した世界の中でいかに立派な仕組みを備えているのか。この無言の冒頭で示されていて、その後で荒れた大地や汚染された街が映され、クライマックスでマックスと女戦士フュリオサらがたどり着く無謀とも思える決断に観客か違和感なく納得できるのだ。
メル・ギブソンをスタアにした第1作が公開された80年代初めは、アクション映画といえばバイオレンス描写がつきものだった。親がこうした映画を毛嫌いしたせいもあって、正直なところ第1作に僕は心踊らなかった。しかし。第2作を観たときに、他のバイオレンスアクション映画とは違う何かを感じた。あ、これは西部劇なんだ!タンクローリーは駅馬車、襲いかかる荒くれパンク野郎は、馬で追ってくる先住民族たち。そう思えたとき、第2作に昔ながらの活劇のルーツが生きてるのだ、と感じられる嬉しさと面白さを感じたもんだ。中学生のはずだが…オレ(汗)。
時代が変われば、その映画に込められるメッセージも変わってくる。混沌とした世界情勢の現代に、ジョージ・ミラー監督は、あの頃とは違うどんなメッセージを示したかったのだろうか。そういえば、主人公マックス自身もこの映画の中では、かなり良識派として描かれる。少なくとも復讐に燃えるマッドな元警官ではない。そこが残念といえば残念なところだが、年月を経て最もマッドになっちゃったのは、実はジョージ・ミラー監督自身かもしれない。映画館で観たら、ドッと疲れてただろうな。