◼️「コーダ あいのうた/Coda」(2021年・アメリカ=フランス=カナダ)
監督=シアン・ヘダー
主演=エミリア・ジョーンズ フェルディア・ウォルシュ・ピーロ マーリー・マトリン トロイ・コッツアー
幸せな気持ちを届けてくれる秀作。映画館で観られて本当によかった。サンダンス映画祭での受賞後に大手企業から配信されることになったが、その前に日本では配給会社が権利を得ていたらしい。その大手から権利買取る申し出があったのを配給会社は突っぱねて、シアターで待つ僕らに届けてくれた。感謝しかない。配信は便利だけど誰もが観られないし、日常音を気にしながらディスプレイに向かう鑑賞は映画館とはやっぱり違う。この歌声をシアターで聴けたことに感謝。それだけにスマホいじってた同じ列のヤツと、3列くらい斜め前のヤツが許せない。お前らこの映画館出禁だからな。俺、暗闇で睨みつけてたからな(笑)。
家族の自分以外が聾唖者のルビー。父と兄が働く漁船の仕事を手伝った後で登校する日々を送っている。歌うことが好きな彼女は選択授業で合唱を選択する。そこでエネルギッシュな教師に才能を認められ、バークリー音楽大学への進学を勧められる。しかし、家族は音楽に触れられない世界に暮らしている。理解してもらえない。自身も喋り方が変だとバカにされた過去があり、人前で声を発することにコンプレックスがあった。音楽が好き。しかし周囲と言葉でのコミュニケーションができない家族に、唯一の健聴者である自分は頼られている。ルビーと家族の選択は…。
相手役のF・W・ピーロ(キングクリムゾンのTシャツがいいセンス!)主演の「シング・ストリート」や、「ワンダー君は太陽」みたいに、悪意ある憎まれ役が出てこない映画。こういう映画を"性善説のきれいごと"だと言う人もいる。確かに僕らが生きてる日々は不愉快なこともいっぱいだ。だからこそ僕らはこういう映画に心惹かれるし、勇気をもらい癒される。
それにこの映画はきれいごとではない。聾唖者一家が直面する様々な困難がきちんと描かれている。ハートウォームな感動作だけど、現実から決して逃げていない。緊急無線が聞けずに漁に出られなくなるエピソードも胸にくるけれど、何より切ないのはルビーが歌う高校のコンサート場面。観客である僕らも聴きたかったデュエット、You're All I Need To Get Byをルビーとマイルズが歌う場面だ。ずっと待っていた歌は突然無音となり、聾唖者である一家の視線を観客に突きつける。愛する娘の歌声が聴こえない。しかしそれは両親には日常だ。父親は周囲を見渡して、他の人々の反応を見る。リズムに身体を揺する人、笑顔でステージを見つめる人、そしてハンカチで涙を拭く人。その夜、父親が自分の前で歌うようにルビーに言い、その喉に手を当てて、娘の歌声を感じようとするのだ。
いい親父やん。ヤバっ、泣く…。
こら同列左側のてめえ、携帯切りやがれ。
そして受験会場に向かうクライマックス。手話を交えて、ジョニ・ミッチェルの曲を歌う姿に涙があふれる。伝えようとすること、伝えようとする気持ち。この場面でルビーが着ているのは赤いセーター。母親役、聾唖者であるマーリー・マトリンが、主演作「愛は静けさの中に」(アカデミー主演女優賞)で着ていた衣装の色と重なって見える。長年映画ファンやってると、こういう偏った思い入れが勝手に感動をかき立ててきやがる。音楽教師役のエウジェニオ・ダーベス、今年の助演賞候補決定ね。
遅くなったが2022年の映画館初詣。泣けるのがいい映画じゃなくて、こういういろんな生き様に触れられるのがいい映画だと思うのだ。「泣ける」という安直な宣伝をしていない配給会社の姿勢も素晴らしい。
是非スクリーンで。
2時間くらい携帯気にすんな。
家族の自分以外が聾唖者のルビー。父と兄が働く漁船の仕事を手伝った後で登校する日々を送っている。歌うことが好きな彼女は選択授業で合唱を選択する。そこでエネルギッシュな教師に才能を認められ、バークリー音楽大学への進学を勧められる。しかし、家族は音楽に触れられない世界に暮らしている。理解してもらえない。自身も喋り方が変だとバカにされた過去があり、人前で声を発することにコンプレックスがあった。音楽が好き。しかし周囲と言葉でのコミュニケーションができない家族に、唯一の健聴者である自分は頼られている。ルビーと家族の選択は…。
相手役のF・W・ピーロ(キングクリムゾンのTシャツがいいセンス!)主演の「シング・ストリート」や、「ワンダー君は太陽」みたいに、悪意ある憎まれ役が出てこない映画。こういう映画を"性善説のきれいごと"だと言う人もいる。確かに僕らが生きてる日々は不愉快なこともいっぱいだ。だからこそ僕らはこういう映画に心惹かれるし、勇気をもらい癒される。
それにこの映画はきれいごとではない。聾唖者一家が直面する様々な困難がきちんと描かれている。ハートウォームな感動作だけど、現実から決して逃げていない。緊急無線が聞けずに漁に出られなくなるエピソードも胸にくるけれど、何より切ないのはルビーが歌う高校のコンサート場面。観客である僕らも聴きたかったデュエット、You're All I Need To Get Byをルビーとマイルズが歌う場面だ。ずっと待っていた歌は突然無音となり、聾唖者である一家の視線を観客に突きつける。愛する娘の歌声が聴こえない。しかしそれは両親には日常だ。父親は周囲を見渡して、他の人々の反応を見る。リズムに身体を揺する人、笑顔でステージを見つめる人、そしてハンカチで涙を拭く人。その夜、父親が自分の前で歌うようにルビーに言い、その喉に手を当てて、娘の歌声を感じようとするのだ。
いい親父やん。ヤバっ、泣く…。
こら同列左側のてめえ、携帯切りやがれ。
そして受験会場に向かうクライマックス。手話を交えて、ジョニ・ミッチェルの曲を歌う姿に涙があふれる。伝えようとすること、伝えようとする気持ち。この場面でルビーが着ているのは赤いセーター。母親役、聾唖者であるマーリー・マトリンが、主演作「愛は静けさの中に」(アカデミー主演女優賞)で着ていた衣装の色と重なって見える。長年映画ファンやってると、こういう偏った思い入れが勝手に感動をかき立ててきやがる。音楽教師役のエウジェニオ・ダーベス、今年の助演賞候補決定ね。
遅くなったが2022年の映画館初詣。泣けるのがいい映画じゃなくて、こういういろんな生き様に触れられるのがいい映画だと思うのだ。「泣ける」という安直な宣伝をしていない配給会社の姿勢も素晴らしい。
是非スクリーンで。
2時間くらい携帯気にすんな。