Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

12月のBGM

2013-12-31 | 音楽
2013年12月に聴いていた愛すべき音楽たち。

■いっぱいいっぱい/クレイジーケンバンド
ITALIAN GARDEN
昨年、前任者からお仕事を引き継いで初の年末。2つの重たい業務が併走する。前任者に兼任しちゃダメ!と言われていたけどその意味がようやく理解できた。周囲の協力もあって乗り切ったーーっ!そんな自分のBGMだったのが、CKBの「いっぱいいっぱい」。まさに自分で精一杯だった12月。クリスマスソングなんぞより、心の中でずーっとパワープレイされておりましたがな。

■Tommy Ice Cream Heaven Forever/Tommy heavenly6
TOMMY ICE CREAM HEAVEN FOREVER(初回限定盤)
Tommy heavenly6の新作は何ともひずんだギターが心地よい快作!ブリグリのAsh Like Snowの英語ヴァージョンも収録。やたらカッコいい。川瀬智子嬢はやっぱり僕のロックアイドルです。

■The Best Of Me/Brian Adams
ベスト・オブ・ミー/ブライアン・アダムス・ベスト2
死ぬまで18歳だぜー♪と歌うブライアンは僕ら80年代青春組にとっては思い入れがあるアーティスト。このベスト盤は繰り返し聴いている。もう1枚のベストSo Far So Goodも今月はよく聴いた。この声がいいんだよね。

■戦争に反対する唯一の手段は。-ピチカート・ファイヴのうたとことば-/Various artists
年末、作業BGMにしていたのは、ピチカート・ファイヴのトリビュート盤「戦争に反対する唯一の手段は。-ピチカート・ファイヴのうたとことば-」。オリジナル・ラブ、和田アキ子、市川美加子らが参加したアルバムだ。

今年は平和を揺るがしそうな不穏な動き、疑問を感じる様々な人々の言動が連日ニュースを彩った。何がおかしいのか、何が正しいのか。人の数だけ考えはあり、人の数だけ正義がある。それぞれの人が美しい、素敵だと思えることを尊重できる"寛容さ"はきっと世界を救うと思うのだ。でもイデオロギーや歴史がその壁となる。

"戦争はどうして終わらないのかな/戦争はどうしてなくならないのかな"
有近真澄がカヴァーした「戦争は終わった」の歌詞が心に刺さる。

有近真澄 「戦争は終わった」


Pizzicato Five - 戦争は終わった


このアルバムに収録されている、曽我部恵一の「メッセージソング」は、オリジナル以上に切なくて聴くたびに涙してしまう。

メッセージ・ソング / 曽我部恵一


A Message Song - Pizzicato Five


小西康晴氏ってスキなことをスキなように楽しんでる人に見えるけれども、彼の創り出す世界には確たるメッセージがある。

恋のうたの裏側に、僕らが守るべき素敵な世界がある。ピチカートの楽曲でそれを考える年の瀬である。


来年は棚の奥に眠ってるような音楽たちを引きずり出してみたいなぁと思うのであります。

ブログランキング・にほんブログ村へ blogram投票ボタン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー

2013-12-16 | キル・ビルのルーツを探せ!
「キル・ビル」のルーツを探せ!(その33)★88人斬りのルーツはカンフー映画のルーツにあり
吼えろ ! ドラゴン 起て ! ジャガー [DVD]
■「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー/ 龍虎闘 (The Chinese Boxer)」(1972年・香港)

監督=ジミー・ウォング
主演=ジミー・ウォング ロー・リエ ワン・ピン チャオシュン

 「キル・ビル」で青葉屋に乗り込んだブライドは、オーレン・イシイの手下クレイジー88を相手にたった一人で戦う。 ここでブライドは、斬って斬って斬りまくるのだが、この百人斬りならぬ88人斬りにもルーツがある。ショウブラザースの功夫片「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」がそれだ。ある街の中国拳法”国術”を教える道場に、突然空手家が現れる。道場破りを挑むが、年老いた道場の師匠に阻止された。彼は日本人空手家を雇って、再び道場に現れる。ここで黒服に赤帯の空手家が、道場の全員をバッタバッタと血祭りにあげていく場面が登場する。 またこの映画のクライマックスには、主人公ジミー・ウォングが斧まで持って襲いかかる悪党を相手に百人斬り!。ここが「キル・ビル」が引用した場面。刀を手にしたブライドに次々とクレイジー88が襲いかかるところだ。「吼えろ!~」でのこの場面は、血しぶきが飛び、目をつぶされた弟子たちが悲鳴をあげる。こうした残酷描写も「キル・ビル」に影響を与えているのだ。 ちゃんと斧を持ったのも出てくる。

 この戦いで生き残った主人公(ジミー・ウォング)は、街を牛耳ることになった空手家たちに復讐すべく、亡き師匠の言葉を信じて技の稽古を積む。そして、空手家の悪行に怒りがピークに達したとき、復讐のときが訪れる。クライマックスの死闘には、観ているこちらまで思わず力が入ってしまう。 アクションに力が注がれているだけに、ドラマ部分の情感が今ひとつ・・・。だが、その分純粋に拳と拳のぶつかり合いに僕らは心を奪われていく。

 実はこの映画、香港映画史上で転機ともなった重要作なのである。この映画が製作されるまでの香港活劇は、いわゆる”武侠映画”。要は剣劇、チャンバラだ。人が拳で戦うアクション映画は、この映画が登場するまでなかったと言われている。しかも、その後のショウブラザース映画に引き継がれる”異種格闘技”的な物語も面白い。 「日本から武士を呼んでやる」という空手家北島(ロー・リエ)が、呼び寄せたいかにも悪そうな武士二人。何故か手裏剣を使ったりするのだが・・・。こうした面白さが行き着くところまで行っちゃったのが、同じジミー・ウォングの「片腕ドラゴン」なんだろう。また、この映画のアクションを見たブルース・リーが、「俺はこれ以上のアクション映画がやれるゾ!」と宣言。そして「ドラゴン危機一髪」が製作されたという逸話が残っている。「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」がなかったら、その後の香港カンフー映画の歩みはなかったのだ。

 「キル・ビル」の撮影中、タランティーノはこの映画を「参考に」とスタッフに見せた。アクション監督ユアン・ウー・ピンが「あ、うちの親父が写ってる」と言う。「酔拳」のユアン・シャオティエン老師の若き日の姿がそこにある。香港映画の歴史を感じさせる作品だ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語

2013-12-15 | 映画(ま行)

■「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語」(2013年・日本)

総監督=新房昭之 監督=宮本幸浩
主演=悠木碧 斎藤千和 水橋かおり 喜多村英梨

※注・結末に触れる部分があります
 昨年前編後編を一気に観て夢中になった「まど☆マギ」。テレビシリーズの再編集だった前劇場版2作品に続いて放たれたこの[新編]は、まったく新たな展開へ。公開が始まったらとっとと一人で観ようと思っていたのだが、長男ルーク(中3)が「一人で観るんじゃないよね?」と言うので、期末試験が終わるのを待って出かけた。上映開始して一月近く経つのに「まど☆マギ」には列が。入ってくる巷の情報を見ないように努力して、いざ本編。

 願いを叶える代償に嫉妬と怨みにまみれて魔女になるという運命から、鹿目まどかが魔法少女を解放した後の世界。この続編は、それでも何かと戦い続ける魔法少女たちが描かれるのかと思いきや、何気ない普通の生活、学園生活から始まる。しかし前作とは違っている。そこにはさやかもいるし、同じ学校に通う杏子もいるし、マミさんも健在(しかもあのお菓子の魔女をペットにしてる)。彼女たちは仲良く幸せそうに過ごしながら、現れるナイトメアを退治する活躍をしていた。今回は彼女たちの活躍を見せたい!というのが目的のひとつということで、変身シーンもバトルシーンもたっぷりと登場する。前半はとにかく彼女たちの勇姿を見たいファンへのサービスとも思えた。でもそこで不気味なのが喋らないキュウべえ。しかし、暁美ほむらはだんだんとその世界の不可思議な点に気付いていく。真相を探ろうと隣町に杏子とほむらは向かったが、循環路線のバスは街が閉鎖されているかのように出て行くことはなかった。気付かないふりをしているうちは安全・・・しかしほむらは真相に迫っていく。そこで彼女が目にしたものは・・・。

 閉鎖された街とそこからの脱出劇。「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」や「涼宮ハルヒの憂鬱」でも閉鎖空間や現実と改変された世界が登場するが、今回の「まどマギ新編」で登場する閉鎖空間は、それらと同じく一人の少女の偏った思いが創りあげた世界だ。前作のラストで、まどかを覚えている存在は世界で暁美ほむら一人になってしまう。まどかの行為は崇高で偉大なものだが、まどかを守り抜くことを貫こうとしたほむらにとって改変された世界は空虚で辛いものであったに違いない。この新編は、ほむらがまどかを取り戻そうとする物語。それは世界への反逆であり、まどかが改変した世界への反逆。新たな物語の結末は予想もしなかったものだけに、何度もこの物語に食らいつきたい気持にさせる。リピーターが劇場に足を運んでいるのも納得できる。新編の思わせぶりなラストシーンはさらなる続編?とも感じられるもの。

 しかし、この映画が終わって心に残る空虚な気持は、伝えたくても伝わらないままならない空しさにも感じられる。そうした人と人の気持ちのすれ違いや自分の思いが相手に届かないことは、現実世界では必ずついてまわること。とくに彼女たちティーンエイジャーは、「どうして私の気持ちがわかんないのよ!」と苛立ち、自己中心的な気持になることも多いお年頃。だからこそ感情の高ぶりも爆発もある(そこにインキュベーターは目をつけた訳だが)。「まど☆マギ」全編に貫かれているダークな味わいは、魔法少女たちの孤独で暗い運命が描かれているからではない。人間関係の難しさに苦悩し、大人のようにそれを割り切って考えられない少女達の心のエアポケットなのではないか。それは誰しもが通ってきた道。だから、この物語は僕らの心に迫るし、目を離さずにはいられないのだ。ほむらは悪魔へ変化(へんげ)したけれど、誰しもがほむらのように自分自身の気持ちの為に世界を変えたいというエゴを持ち合わせているはずなのだ。ほむらはまどかに自分だけを見て欲しかった。

 ストーリー以外にも、前作同様魅力は尽きない。新たなキャラクター、ビジュアルデザインの巧さ、梶浦由記の音楽。魔女対魔女が戦うクライマックスは、まるでスーパー戦隊のロボット戦か「ジョジョ」のスタンドみたい。マミさん、さやかも大活躍する姿に大満足。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋人たちの予感 - 80's Movie Hits !-

2013-12-15 | 80's Movie Hits !

- 80's Movie Hits! - 目次はこちら

■It Had To Be You/Harry Connick Jr.
from「恋人たちの予感/When Harry Met Sally...」(1989年・アメリカ)

監督=ロブ・ライナー
主演=メグ・ライアン ビリー・クリスタル キャリー・フィッシャー

 ハリー・コニックJr.はニューオリンズ生まれのジャズ・ピアニスト。また歌もこなせ、俳優として映画にも出演(「メンフィス・ベル」・「コピー・キャット」等)している才人。20歳のときリリースしたデビューアルバムは、音楽各誌でベストアルバムに選出される成功を収めた。彼は1967年生まれなので、僕とは同世代(しかも誕生日が同じなのだ)。「恋人たちの予感」サントラは22歳の作品というから、才能のある人は違うよね。鍵盤弾きの一人としても尊敬しちゃいます。この主題歌 It Had To Be You は、ハリー・コニックJr.がビッグバンドをバックに歌ったものと、ピアノ・トリオでの演奏がサントラに収録されている。本編のエンディングでは、フランク・シナトラのヴァージョンが流れる。この対比が映画ではとても印象的だ。サントラでは他にはジョージ・ガーシュイン(Let's Call The Whole Thing Off)、リチャード・ロジャース(I Could Write A Book)、ベニー・グッドマン(Stompin' At The Savoy)の曲もプレイしている。これらはロブ・ライナー監督自身が選曲したとか。僕はジャズはそれ程詳しい方ではないけれど、このサントラだけは愛聴盤。

 さて映画の方はメグ・ライアンの出世作となり、以後ロマンティック・コメディ主演女優の代名詞となったのは周知のことだろう。この映画は監督のロブ・ライナーが離婚の経験がそもそもの元ネタである。離婚のショックから立ち直れないハリーの姿は監督の分身だったのだ。それを脚本家ノーラ・エフロン(現在は「ユー・ガット・メール」などロマンティック・コメディには欠かせない女性監督となった)に話したことで、女性の本音も加えられた。結果性別を問わず多くの支持を集める映画として完成したのだ。ロブ・ライナーはハリーの友人役で出演もしている。チラシにも使われている紅葉の美しさも見どころのひとつ。ちなみに撮影監督は、後に「アダムズ・ファミリー」を監督することになるバリー・ソネンフェルド。

 男女間に友情は成立しうるのか?・・・これはこの映画の究極のテーマ。僕はイエスと答えたい。確かに、結婚=友情の終わりと解するならばそれは答えはノーということになる。でも夫婦となっても、何でも話し合える友人の様な夫婦ってあると思うのだ(一方で、互いに隠し事が増える夫婦もあるだろうけどね・笑)。それは友情とは言えないのかな。それに僕自身、異性の方がかえって本音で話せることがある。男同士って共通のコミュニティに属しているとか、よっぽど趣味が同じだとか、ビジネスとか、共有できる何かがないと親しい関係を保つことは難しい。だから信頼できる異性の友人は(人によっては)必要だと思うのね。皆さんもこのサントラ聴きながら、このテーマについて考えてみるのはいかが?

When Harry Met Sally... Official Trailer #1 - Billy Crystal Movie (1989) HD


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪の法則

2013-12-14 | 映画(あ行)

■「悪の法則/The Counselor」(2013年・アメリカ)

監督=リドリー・スコット
主演=マイケル・ファスベンダー キャメロン・ディアス ペネロペ・クルス ブラッド・ピット ハビエル・バルデム

 アメリカとメキシコの国境を挟むヤバイお話の映画はこれまでにもたくさんあった。スティーブン・ソダーバーグ監督の「トラフィック」あたりが代表作だろう。日本にいる我々も、こうした映画を通じてアメリカ南部じゃ日常的にこんな出来事が起こっているのだな、と異国の現実にショックを受けざるを得ない。それがリアルワールドではますます深刻化しているのだな、ということを映画「悪の法則」では思い知らされる。 美しい恋人と結婚を決めたばかりの弁護士(ファスベンダー)は、友人を介してガッポリ儲かるヤバイ仕事をしようと思いつく。ところが、ひとつの誤解が胴元を怒らせる結果となり、関係者一同が追われる羽目になってしまう。映画はその顛末を延々と2時間見せつけるのだ。ハッキリ言えばお話はそれだけ。言わば、悪事に手を染めるとたいへんなことになりますよ、というお説教映画だ。

 スタアキャストにつられて映画館に行った人々はガッカリしたのではなかろうか。ペネロペちゃんは純で彼氏思いの女性を好演してるが話半ばで姿を消す。仲介人を演じたブラッド・ピットも決してカッコいい役柄ではない。主人公マイケル・ファスベンダー(「プロメテウス」に続いてリドリー・スコット監督作出演。お気に入りなんだろか?)は、映画後半はビクビクしてベソかいて絶叫して・・・。唯一最後までカッコいいのは極悪ビッチを演じきったキャメロン・ディアス。確かにイッちゃってる役柄だが、彼女が「車としたい」と言ってフロントガラスに股間を押しつける場面は、劇中のハビエル・バルデムと同じくもはや唖然とするしかない。リドリー・スコット監督はエロを撮らせたらダメなのかなぁ。映画冒頭シーツの下でイチャつく主人公とペネロペちゃんにしても生々しすぎて、ドキドキできなかった。

 麻薬組織の報復の凄まじさがさんざん語られるが、それが人体切断に執着しているものだからますます後味が悪い。観ているこっち側も組織はそんな非人間的なことをするのか・・・と聞かされた後だから、クライマックスは主人公のもとに送り届けられるDVDディスク1枚を見るだけでゾッとする。この場面の物言わぬ演出の凄みはさすがだと思った。でももっともっと怖かったのは、弾痕と血に汚れたトラックを手際よく修理、掃除する家族たちの場面。「パルプ・フィクション」には"掃除屋"というプロが登場したが、現実世界ではそれを貧しい家族がてきぱきとこなしている・・・。怖っ!!それを思うと国境を挟んだクスリがらみの問題がいかに根深く深刻なのかが思い知らされるではないか。

 そんなこんなの2時間。ただの儲け話だと思ってヤバイことに手を染めるとこうなるんだよ、とひたすら巨匠のお説教を聞いてる2時間。とにかくこんなに後味が悪い映画を観たのは久しぶり。それを社会的啓蒙だととらえてお勉強の2時間ととらえるか。安易に観ると殺人カタログみたいな台詞の数々がきっとあなたのトラウマになる。それが嫌ならこの映画に手を出さないこったな。ヤバイ儲け話には危険と隣り合わせの魅力があるのかもしれないけど、この映画にもトラウマになるよな危険と隣り合わせのスタアの魅力が添えられている。うっかり手を出すと・・・危ないぜ。

ブログランキング・にほんブログ村へ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キング・ボクサー/大逆転

2013-12-06 | キル・ビルのルーツを探せ!
「キル・ビル」のルーツを探せ!(その32)★鬼警部アイアンサイドの音楽が使われている訳

■「キング・ボクサー 大逆転/天下第一拳(Five Fingers Of Death)」(1972年・香港)

監督=チェン・チャンホー
主演=ロー・リエ ワン・ティエン・フェン ワン・ピン ナン・クン・スン

 クエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」で、テレビ番組「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲が使われていた。ユマ・サーマンが怒ると、ピーポーピーポーってサイレン音がしてお馴染みのホーンのフレーズ(日本ではニュース番組でもお馴染みのフレーズ)が流れる。これは功夫映画「キング・ボクサー/大逆転」で無断使用されたのをタランティーノがその劇中の使い方を気に入って「キル・ビル」に取り入れたもの。もちろん、今度は無断使用ではない。

 田舎の道場で武術を学ぶ主人公は、都の別な道場で学び、国術大会に出場することを師匠に勧められる。折しも彼が入る尚武国術館と百勝武館は、近く行われる国術大会をめぐって対立していた。やがて師匠に腕を見込まれた主人公は、秘術の鉄拳を伝授されることになる。物語は道場の対立だけでなく、同じ門下生同士の対立、主人公が助けた女芸人、故郷に残してきた師匠の娘・・・様々な要素が入り交じり息つく間もない。単なる活劇に終わらないとてもよくできたシナリオだ。師匠の娘は幸せな再会を夢見る夢子チャン、一方で女芸人の片思いはとても切なく描かれる。

 主人公が会得した鉄拳は、戦うときに手のひらが赤く染まる。この赤いライトを当てるだけのいたってシンプルな演出だが、これが観ていてこっちまで拳に力が入る。主人公を演ずるロー・リエは、ショウブラザースで悪役もこなしたカンフースタア。どことなく森田健作を思わせる。

 この映画でも悪役に日本人空手家が登場する。その悪役に「まだ中国人を殺したいのか!」と主人公は言う。この映画製作された当時はまだ国交回復されていない。これも国民感情なのかな、と思った。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唇からナイフ

2013-12-05 | キル・ビルのルーツを探せ!
「キル・ビル」のルーツを探せ!(その31)★何故毒ヘビ暗殺団は黒いセーターを着ているのか

■「唇からナイフ/Modesty Blaise」(1966年・イギリス)

監督=ジョセフ・ロージー
主演=モニカ・ヴィッティ ダーク・ボガード テレンス・スタンプ

 イギリスの小説家ピーター・オドンネルが生み出した女泥棒がモデスティ・ブレイズ。1960年代に新聞マンガで連載されており、小説化された第1作がこの「唇からナイフ」なのだ。空手を使い、「007」みたいな新兵器、女性の魅力も武器に変え活躍する泥棒。これをモニカ・ビッティ主演で映画化したのがこの作品。イギリス政府が中東某国にダイヤを送ることになった。その護衛に雇われたのが他ならぬモデスティ・ブレイズ。ところが別の組織がダイヤを奪ったことから、頼れる相棒と共に組織に立ち向かう・・・というお話。

 ジョセフ・ロージー監督といえば、ジャンヌ・モローの「エヴァの匂い」やジュリー・クリスティの「恋」などしっとりとしたムードの映画を撮る真面目な監督のイメージがあった。正直、この映画を観て「何故ロージーが撮る必要があったの?」と疑問を抱かざるを得ない。残酷非道の悪女の登場も淡々と演出してみせるし、突然ミュージカルまがいの展開になるし、大胆なストーリーと絵になるビジュアル満載なのだが、遅々として話が進まずなーんか観ていて悶々としてくる。いやぁ、この映画はお話を楽しむよりも、純粋に雰囲気と凝った映像を楽しむのが吉ってところでしょう。同じ60年代のスパイ映画、ディーン・マーティン主演の「サイレンサー」シリーズだって理屈で観る映画じゃないですもんね(比べちゃいかんな)。ジョン・ダンクワースの音楽が魅力的。

 「キル・ビル」では、毒ヘビ暗殺団が教会を襲撃する場面で黒ずくめの殺し屋が登場する。殺し屋たちが黒いタートルネックのセーターを着ているのは、モデスティ・ブレイズがルーツ。「唇からナイフ」では部屋に忍び込む場面で、モニカ・ビッティは黒装束で登場する。また、「パルプ・フィクション」の中でジョン・トラボルタがトイレに本を持って行く場面があるが、そこで手にしているのが「モデスティ・ブレイズ」シリーズだったりする。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修羅雪姫

2013-12-02 | キル・ビルのルーツを探せ!
「キル・ビル」のルーツを探せ!(その30)★これがオーレン石井のルーツ!/修羅の花
修羅雪姫【期間限定プライス版】 [DVD]
■「修羅雪姫/Lady Snowblood」(1973年・日本)

監督=藤田敏八
主演=梶芽衣子 黒沢年男 西村晃

 「キル・ビル」の登場人物たちが着る衣装の中でもひときわ目を引くのが、ルーシー・リュー扮するオーレン石井が着る真っ白な着物姿。撮影当初から白で行く予定だったのだが、青葉屋で着る衣装は白か黒かで二転三転。理由はブライドの黄色いトラックスーツが目立つので、雪に白では沈んでしまう・・・ということ。ところが提案された黒の衣装はルーシー・リューが猛反対。大泣きしたそうだ。最後はルーシーが「お姫様っぽいイメージがいい」と言って白に決定したとか。結果、返り血を浴びていく様がますます緊張感を高めてくれた。そんなオーレン石井のキャラクターにタランティーノが参考にしたのが、梶芽衣子の「修羅雪姫」。小池一夫原作の劇画の映画化で、監督は藤田敏八。母親から託された復讐を果たすべく、ヒロイン鹿島雪が宿敵を追い戦いを挑む壮絶な物語だ。

 時は明治初期。獄中で生まれ”修羅の子”として育ったヒロイン雪は、剣術の手ほどきを受け、立派な刺客として成長する(このあたりもどこかパイ・メイとの修行シーンを思わせる)。復讐リストに従って一人、また一人・・・と復讐を遂げていく様はまさに「キル・ビル」同様の展開。この復讐劇の元となった事件とその時代を描くのに、藤田敏八監督は劇画の引用を用いた。これ自体もアニメパートを挿入した「キル・ビル」にも通ずるところ。随所に「キル・ビル」テイストが感じられる。オーレン石井の生い立ちを描いたアニメパートが登場するが、「修羅雪姫」はこの場面に大きな影響を与えている。幼い頃に両親を殺された少女が、中学生となり仇のやくざをベッドで追いつめる場面。「あたしの顔、誰かに似ちゃぁいないかい?」と凄むところはオリジナルを彷彿とさせる。さらに主題歌である 修羅の花 が日本庭園の場面に引用されている。よっぽど、好きなんだろうね、タランティーノ監督。

 単なるチャンバラやアクションがある復讐劇としてだけでなく、この映画には人としての悲しみや逆らえない宿命の重さがひしひしと画面からにじみ出る。製作時期は「女囚さそり」シリーズの後だけに、70年代の反体制的なムードはやはりこの映画でも健在。政府が欲望と権力をむさぼり、弱者が切り捨てられる・・・そんな様を、映画の前半徴兵制で苦しめられる平民たちの姿として描く。そしてクライマックスの舞台は、不平等条約改正の為とは言いながら、欲望に身を任せる場でしかない鹿鳴館。「因果応報!」(この決め台詞好き!)と雪が切り捨てた宿敵が、血に染まった日本の国旗と共に落下していく様はどうしても印象に残ってしまう。さらに、この映画が深いのは、”復讐はさらなる復讐を呼ぶ”ことをきちんと語っている点だ。黒沢年男の台詞「また修羅の子が増えたか・・・」にはそんな悲しみがあるのだ。このあたり「vol.1」でヴィヴィカ・A・フォックスを殺した後で、娘ニッキーに「大人になって、私を許せなかったら・・・」とブライドが言う場面に通ずるところかな。それにしても、70年代の日本映画って本当に残酷描写の加減を知らん。血しぶき、手が飛ぶのは当たり前、首つり遺体を真っ二つ!なんて怨みの強さを観客の方にまで思い知らせる場面満載。これは「キル・ビル」を愛する者には超重要作。心して観よ。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大統領の料理人

2013-12-01 | 映画(た行)

■「大統領の料理人/Les Saveurs du Palais」(2012年・フランス)

監督=クリスチャン・ヴァンサン
主演=カトリーヌ・フロ ジャン・ドルメッソン イポリット・ジラルド アルチュール・デュポン

 僕の映画友達Mさんは「ゲイが主人公の外国映画と料理がテーマの映画にはハズレがない」が持論だ。Mさんの言われるがままに「ミルク」も観たし、「ジュリー&ジュリア」も観た。僕も「バベットの晩餐会」や「南極料理人」が好きな映画だったから、Mさんの持論は(諸手を挙げてではないけれど)支持できる。食べることは生きていくことでもあるけれど、それをつくることは相手を思うこと。そこには細やかな気配りや繊細な心遣いがある。ゲイが主人公の映画には、大作映画では見られない繊細な心の表現がある。Mさんはそんなふうに"人を思うこと"が好きな人なのかもしれない、と時々思う。そんなMさんと話していてお互い気になる映画として挙げたのはこの「大統領の料理人」だった。

 「大統領の料理人」の主人公オルタンス・ラボリは、田舎町でトリュフを栽培しレストランを営んでいた。"おふくろの味"を求める大統領個人の希望から、推薦されて大統領官邸のキッチンを任されるプライベートシェフとしてエリゼ宮で働くことになる。ミッテラン大統領の時代に実際に2年間務めた女性ダニエル・デルプシュがモデルとなっている。映画は冒頭、フランス領の南極基地で料理をつくるオルタンスの姿を映し出す。エリゼ宮で働く過去と、南極基地で働く現在を映画は交互に見せながら、何故彼女が現在に至るのかを少しずつ示してくれる。映画前半は男性ばかりが働くエリゼ宮の中で、彼女の個性的なやり方が次第に周囲を魅了していく様子が描かれる。それは大統領の心を癒し、家族を喜ばせ、官邸を訪れる人々のお腹と心も満たしていく。しかし、宮廷の中には巨大な主厨房があり、大統領の料理をつくる仕事を奪われた苛立ちや嫉妬から、オルタンスと対立することになっていく。さらに官邸の懐を預かる人物が変わって徹底的なコストカットを要求してきたり、大統領の健康を心配する栄養士たちが料理にあれこれ口を出し始め、オルタンスは次第にやりづらい状況になっていく・・・。現実世界を離れて気分転換しようと観た映画だったけど、コストカットのエピソードで思いっきり現実に引き戻される(笑)。

 古いレシピ本を見たり、理想の食感を出すために試行錯誤するオルタンスと助手ニコラス。二人のまるで親子のような関係が見ていてとても心温まる。大統領の家族パーティの献立をめぐるエピソードは、オルタンスの気遣いと縄張り意識がある対立が絡み合うスリリングな場面。横槍が激しくなっていく中で、大統領がひとりキッチンを訪れてオルタンスを会話する場面がとても好きだ。「最近いじめられているね。私もなんだよ。」ねぎらいの言葉以上に相手を気遣うやりとりにホロリときてしまう。そして映画のクライマックスには、南極基地でオルタンスがいかに慕われていたのかが描かれる。「南極料理人」でも堺雅人が極限状態の隊員をいかに料理で楽しませるかが描かれたが、オルタンスもそう。隊員たちのお腹も心も満たしてくれた彼女に用意された粋なサプライズ。仕事を通じて人に認められることも大切だけど、人に慕われることはもっともっと嬉しいこと。ガブリエル・ヤレドの音楽がとっても心地よい。フランス映画が映し出す人間模様はいつだって素敵な時間をくれる。映画「大統領の料理人」の2時間は心を満たしてくれる"おもてなし"だ。

ブログランキング・にほんブログ村へ 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする